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だからアリスは聖女になった

お姉ちゃん大好きな妹(同短大歓迎!)が、お姉ちゃんを幸せにするために頑張る奮闘記です。

安心安定のハッピーエンドなので、気楽に読んでいただければと思います。

(悪役が出てきますが、最終的にはお仕置きされるのでご安心ください!)

 礼拝堂に、あたしの声だけが響いている。

 一日五回の祈祷の時間、その二回目。最初と最後は静かに祈るだけだけど、合間の三回はこうしてしっかり祝詞を上げることになっている。

 あたしは練習し続けた音を崩さないように気をつけながら、ひたすら声を張り上げていた。

 手元に隠した紙を時々盗み見て、祝詞を間違えていないか確認する。大丈夫、今回は全部あってた。実を言うと一日に一回はどこか間違えてるけど、大体誰も気づいてなさそうだからいいんだろう。

 正直、何を唱えているのかはあたし自身もよくわかっていなかったりする。祝詞って、古い時代の言葉で書かれてるんだって。大体こういう意味だ、ということは教わっていたけれど、結局覚えるにはただただ繰り返し読み上げて音を身体に馴染ませちゃうのが一番効率的だった。


「……安寧と平穏の守護者、優しき夜の女神イルエレ様、どうか、わたくしたちが道に迷わぬよう、お導きください……」


 最後の一言だけは教えられた通り今の言葉で読み上げて、大きく手を上げてから深く一礼する。

 ほう、というため息のような音が背後から聞こえなくなるのを待って、ゆっくりと身体を戻した。


「――以上をもちまして、朝の礼拝を終了致します。聖女様、最後にお言葉をお願い致します」


 そばに控えていた眼鏡の神官さんが終わりの挨拶を口にしたので、あたしはできる限り綺麗に見えるような微笑みを浮かべて背後を振り返る。

 そう、あたしは聖女だ。しかもまだなりたてほやほや、やっと一週間経ったばかりのひよっこ聖女。

 こうして何か話さなきゃならないときには、大体いつも似たようなことしか言えないくらい。


「皆様、女神イルエレ様はいつでもわたくしたちを見守ってくださっています。今日も一日、清らかで正しい行いを心がけましょうね」


 とはいえ、信者さんたちはもうすっかりあたしを歓迎してくれているみたいだ。


「ああ聖女様、ありがたいお言葉ですわ……聖女様のご祈祷を聞いていると、本当に、イルエレ様を近くに感じますの。前の聖女様のご祈祷では、そんな風に思ったこともありませんでしたのに……これも聖女様のお力ですのね」

「いや、本当に素晴らしい祈祷でした。私は仕事で他国の聖女様にも会いましたし、前の聖女様にも会いましたが……誰一人、あなたには叶わないでしょうな。これでまだ聖女になられて一週間だというのだから、恐れ入りますよ」

「お声が美しいばかりでなく、そのお姿までも夜の女神イルエレ様にふさわしい美しさだ。月明かりを思わせる淡い金色の御髪、いかなる宝石よりも輝く明るい青の瞳、雪のごとく白い肌……これはもう、絵師を呼んで礼拝堂に肖像画を飾った方が良いのでは?」

「聖女アリスティア様、あなた様のように清廉で聡明で美しい方が新しく聖女となられたことこそ、この国の民全ての幸福ですわ! きっと、イルエレ様も喜んでおられます!」


 ……本当に、この人たちは毎日飽きもせずあたしを褒めるわね。しかも、前の聖女のことをさりげなく下げながらさ。

 正直ちょっとイラッとしたけど、まあ今日も不慣れな祈祷が上手いこといった証拠だと思っとこう。

 なんて考えてたら、人垣を押しのけてあたしの方へ近づいてくる男がいた。ああ、またコイツだ。そういう内心が表に出ないように、頑張って綺麗な聖女の顔を作り続ける。


「アリスティア、今日も君の祈祷は素晴らしいな! 君の清らかな声と、ステンドグラス越しの光に照らされた美しい姿……見ているだけで、まるで心が洗われるようだった!」

「過分なお言葉痛み入ります、フレッド様」

「謙遜する必要はない、君は本当に美しいんだ。女神像の前で祈っているときの君は、本当に……神々しいくらいだよ。聖女どころか、女神の再来ではないかと思うほどに」

「まあ……ふふ」


 あのさ、いくら何でもそれは神様に失礼ってものでしょ。一介の人間と一緒にするなって怒られちゃうわよ。

 そう思ったけど、ズバリ指摘するわけにもいかなかったから、ここは曖昧に微笑んでごまかしておく。

 フレッド、という名のこの男は、どこか良いところのお坊ちゃんらしい。確かに着ている物も高そうだし、こうして一般の信者さんたちを押しのけることに何のためらいもないところを見ると、自分が優先されて当たり前だと思っている身分の人、なんだろう。

 大きな商家か、それとも貴族か……どっちだとしてもあたしには大して関係ない話だから、どうでもいいや。

 大事なのは、計画のためにはあたしがこの人の機嫌を損ねちゃいけない、っていうことだけだから。


「あー、その……アリスティア。じ、実はな、君を……」

「失礼致します。聖女様、そろそろお時間です」


 なんでかうっすら顔を赤くしながらしどろもどろし始めたフレッドさんに嫌な予感がしていたら、眼鏡の神官さんが良いタイミングで割って入ってくれた。うわお助かる! 有能!


「貴様……っ! 今、俺がアリスと話しているのが見えないのか!? 時間などどうとでも……」

「まあ大変! 次のお勤めのお時間ですわね! フレッド様、お話が途中になってしまって申し訳ありません。ですが、わたくしはまだ聖女の見習いにも等しい身。今は規則通りに聖女としてのお勤めを果たすことが、何より大事だと思っておりますの。お名残惜しいですが……どうか、ご容赦くださいましね?」


 眼鏡さんに余計な面倒を掛けないよう、すぐさまとっておきの可愛い顔を作ってフレッドさんを上目遣いに見上げれば、うぐ、とかなんとか唸ったあとでフレッドさんはしぶしぶ頷いた。よしよし、効果有りね。


「それでは、フレッド様、皆様、失礼致します。皆様に等しく、イルエレ様のご加護がありますように」


 あたしは微笑んで軽く一礼すると、礼拝堂の奥にある扉から神殿の奥へと入った。眼鏡さんがすぐ後をついてきて、素早く扉を閉める。

 ここから先は、神殿の関係者以外は立ち入れない場所だ。最初はお付きの神官さんがあたしの前に立って扉を開けてくれていたんだけど、前に一度信者さんがあたしを追いかけて来たことがあって、それ以来逆の順番で入ることになった。あれはちょっと、ひやっとしたよね。


「……お勤めご苦労様でした、聖女様。何か飲み物でもお持ちしますか?」

「いえ、大丈夫です。必要があれば、こちらから取りに伺いますわ。次のお勤めまで自室におりますので、何かありましたらお声がけください」

「かしこまりました」


 眼鏡さんはそう言うとあっさりどこかへ去って行く。

 聖女であるあたしのお付きになる神官さんは日替わりらしく、その中でもこの眼鏡さんは群を抜いて愛想がない、というか、端的に言ってあたしのことを嫌っているようなのだ。

 でもあたしは別に気にしてない。

 なんでかって?

 だってこの眼鏡さんがあたしに冷たいのは、先代聖女のことを尊敬し過ぎてるからみたいなんだもん!

 昨日だって、あたしがうっかり礼拝の時間を忘れて部屋にいたら迎えに来てくれたんだけど、


『先代の聖女様は全てのお勤めの時間をご自分できちんと把握しておられました。貴女もあの方から聖女の名を奪った……失礼、継いだ自覚があるのなら、せめてそのくらいはきちんとしていただけなくては困ります』


 なんてツンケンした感じで言ってきたの!

 しかもそのあと、


『まあ、先代の聖女様はとても素晴らしい方でしたからね。あなたと違って祈祷の聖句は一度たりとも間違えたことなどありませんし、我々神官の負担までも気遣って下さるほど慈愛に満ちあふれた、まさに聖女になるべくしてなった、と言えるほどの方でしたから。あなたにあの方のような振る舞いを期待するのは酷でしょうが、最低限の役目くらいは果たしてもらえると僕も助かります』


 とまで嫌味な顔して付け足してきたのよ!!

 もちろん表面上はしゅんとしてごめんなさいしておいたけど、内心あたしは小躍りしたいほど嬉しかった。なんなら、お勤めが全部終わった夜の自由時間に思い出して部屋でこっそり踊ったくらい。

 だって、眼鏡さんが言ったことって、あたしが思ってたことそのまんまなんだもん!

 眼鏡さんの言うとおり、本当に前の聖女様って素晴らしいよね! わかる! あたしも大好き!

 だからあたしに塩対応なの、全然気にならない! っていうか、むしろそのくらいみんな無関心でいてくれたらいいのにな、って思ったりする。他の神官さんは、なんか理由を付けて部屋に入ろうとしたり、なるべく長く一緒にいようとしたりしてやたらとどうでも良い世間話をしてくるから、都度都度断るのがちょっと面倒なのだ。


(いっそのこと、あたしのお付きの人、あの眼鏡さんに固定してくれないかなあ……)


 そんなことを考えながらあたしはするっと自分の部屋に戻った。

 念の為しばらくドアの外の気配をうかがって、確実に誰もいないことを確かめてからばふんとベッドに倒れ込む。


「うー……聖女って疲れるー……!!」


 疲れた! 礼拝疲れた! 一日五回もあるの面倒だし、フレッドさんの扱い難しすぎだし!

 でもそれより! そんなことよりも!


「ってかなんなのほんとにもー! あたしを褒めるのは良いけど前の聖女を下げるな! あと聖女になるのに外見なんて全然全くこれっぽっちも関係ないでしょうが! 神様なんか信じてない人間の心なんかこもってない祈祷をあんなありがたがるってどうなってんのよ! みんなあたしよりよっぽど神様に詳しいはずでしょもう意味わかんない!!」


 あたしは枕に顔を埋めて頭から布団を被りつつ思い切り叫んだ。これは、うるさくしちゃいけないときによく使ってきた小技だ。

 本当なら大声で、全力で、この神殿中に響かせてやりたいけど、さすがにそれはできない。一応あたし、まだ聖女やってなきゃいけないし。


「うう……こんなわけわかんないところで言われるまま聖女やってたなんて、やっぱりお姉ちゃんが可哀想すぎるよぉ……」


 そう。

 あたしの前の聖女は、あたしの大、大、大好きな、サーシャお姉ちゃんだったのだ。

 だからあたしは眼鏡さんが先代の聖女を褒めてくれたことが本当に嬉しかったし、眼鏡さん以外の信者さんたちのことが正直好きではない。あの人たち、お姉ちゃんとあたしを比べてはあたしの方が美人だとか祈祷が上手いとか適当なことばかり言って、二言目にはそれに引き換え前の聖女は……みたいなことを言い出すから。


「どこをどう見たらお姉ちゃんよりあたしの方が聖女っぽいとか思うのよ……どう考えたってお姉ちゃんの方が一億万倍以上聖女でしょ……お姉ちゃんこそ真の聖女に決まってるじゃん……世界中探したってお姉ちゃんほど聖女な人なんていないのにさぁ……アンタらの目は節穴ですかぁー……?」


 サーシャお姉ちゃんは、緩やかにふんわり波打つ落ち葉の色の長い髪と、夜に眺める森のような深い緑色の目をした、あたしの自慢の優しくて綺麗でいい匂いのする最高のお姉ちゃんだ。

 あたしのことを「アリス」って愛称で優しく呼んでくれて、あたしのこのなにも面白みのないまっすぐな白っぽい金色の髪も綺麗よって言ってくれて、ただ真っ青なだけの目も宝石みたいで素敵よと笑ってくれた、八つ年上であたしよりうんと背の高いひと。

 とはいえあたしもお姉ちゃんも孤児院の出身だから、本当の姉妹ってわけじゃないけれど、二人揃って同じ家にもらわれたときから本当に姉妹を名乗るようになったのだ。まあ、孤児院にいた頃から、あたしはお姉ちゃんをお姉ちゃんって慕ってたけどね。


 そんなお姉ちゃんが聖女に選ばれたのは、二年くらい前のことだった。

 最初はあたしも喜んだ。だって、眼鏡さんが言うとおり、お姉ちゃんこそが聖女にふさわしいひとだと思ったから。

 聖女っていうのは、神様に選ばれて神様の声を聞くために祈りを捧げる女性のことを言うらしい。

 お姉ちゃんは誰にでも優しくて、人を助けることが大好きで、そのくせ自分のことは全然顧みなくて、手に持っていた自分のぶんのご飯を空腹で泣いている子にためらいなく差し出してしまうような人で。

 だから聖女に選ばれたって言われても、そりゃあそうでしょうねえ、という感じだった。

 ううん、むしろ、今頃お姉ちゃんの素晴らしさに気づいたわけ神様は? あたしはもっと前から知ってましたけど? くらいまであったかも知れない。


 だけど、聖女に選ばれた人は、家族と別れて神殿で暮らさなきゃいけないんだって……しかも基本的に、選ばれてしまったら断ることもできないらしくて、それを知ったあたしは手のひら返して暴れに暴れて嫌がった。だって知らなかったんだもん! お姉ちゃんと一緒にいたかったんだもん!

 でもあたしたちを引き取ってくれた商家の人は神殿側から提示されたお祝い金に目がくらんだのか、あっさりと許可を出してしまったのだ。ああ、やっぱり世の中ってお金。まあ、断れない以上仕方ないと言えばないんだけどね。

 離れるのを嫌がって泣くあたしを、お姉ちゃんはずっと慰めてくれて、だけど最後にアリスの笑った顔が見たいわって言われたから、あたしだって頑張って笑おうとして、でもやっぱりできなくて。

 半分泣き、半分笑いのおかしな顔のままお別れをした、その次の日からあたしは聖女になったお姉ちゃんの姿を見るために神殿に通い詰め、毎日の礼拝を欠かさなくなったのだ。


「お姉ちゃん……今頃、何してるかなぁ」


 聖女をやめたお姉ちゃんの暮らしに思いを馳せて、ごろんとベッドに寝転がる。本棚、机、ベッド、服をしまう棚、と必要最低限の家具しか用意されていないこの部屋は、元々お姉ちゃんの部屋だったものだ。それをそのまま、あたしが自分の部屋として使わせてもらっている。

 最初の頃はお姉ちゃんの気配が残っていたベッドも、今ではもうすっかりあたしのものだ。寂しいけれど、仕方がない。


「……もっと、頑張らなくちゃ」


 うん、そうだ、頑張らなくちゃ。

 お姉ちゃんのためにも、あたしのためにも、あたしはお姉ちゃんに負けないほど素晴らしい、完璧な聖女でいなくちゃいけない。


 だって、最高の聖女のお姉ちゃんからその座を奪うと決めたのは――あたし、なんだから。



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