気まずい思い
これ以上嘘をついてはいけない、
義母の電話から10日が過ぎた朝、覚悟を決めた。衝撃を与えるかもしれないが、本当のことを言うしかないのだ。
決意を固めて台所に向かったが、食欲はまったくなかった。今朝も牛乳しか入りそうになかった。飲み過ぎが影響して固形物が入らないのだ。ダイニングテーブルの上には潰れた缶が7本散らばっていた。それでも前日よりは2本少なかったが、連日の飲酒が肝臓に負担をかけているのは間違いなかった。最後は気持ち悪くなって吐きそうになったことが思い出された。
さて、
身も心もボロボロだったが、なんとか歯磨きをして、顔を洗って、髪を整えて、ワイシャツと背広を身に着けた。ネクタイはもう何年もしたことがない。サマーカジュアルだったものが年中カジュアルに変わったからだ。それでも客と会う時のために会社に3本のネクタイを置いているが、それもほとんどする機会がない。客の会社も年中カジュアルになっているからだ。ネクタイを製造販売する会社は大変だろうな、と思いながら靴を履いて、マンションを出た。
駅に着くまではなんともなかったが。満員電車に揺られていると気持ちが悪くなった。生唾が出てきてえずきそうになった。しかし、吐くわけにもいかず、なんとか堪えて会社に駆け込んだ。
トイレに飛び込むと、何度もえずいて胃の中が空っぽになった。液体しか出なかったが、しんどくて震えが来た。それでもなんとか朝一番の会議に出たが、プレゼンを聞いているうちに目の前が真っ白になった。
その後のことは覚えていない。気づいた時には病院のベッドに横になっていて、腕には点滴のチューブが繋がれていた。
様子を見るために一晩入院ということになった。生まれて初めての入院だった。でも、不謹慎なようだが天国のように思えた。妻の匂いがする自宅は地獄でしかなかったからだ。当分ここに居てもいいと思った。
一人部屋だった。相部屋は満室で入れなかったようだ。差額ベッド代がかかると言われたが、そんなことはどうでもよかった。他の人のことを気にせずにいられることがありがたかった。それに、夜遅く電話を受けるにも都合がよかった。間違いなくナターシャの母親からかかってくるからだ。ベッド横のサイドテーブルにスマホを置いて、呼び出し音が鳴るのを待ち続けた。
22時を過ぎた頃、スマホが着信を知らせた。案の定、義母だった。いま入院していることを伝えた上で、ナターシャが家を出て、どこにいるのかわからないことを正直に話した。
義母は明らかに動揺していた。ショックを受けているようだった。そのせいか感染のことに触れられることはなかったが、気まずい思いを拭い去ることはできなかった。電話が切れたあとも、それはいつまでもとどまり続けた。




