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虚夢(5)

 

 しかし、思わぬ敵が予想外のところから襲ってきた。新型コロナウイルスだ。中国の武漢で発生した未知のウイルスは瞬く間に世界に広がり、2020年3月にWHOがパンデミック宣言を出すまでになった。このことによって世界の人流が止まった。各国が壁を作り始めたのだ。飛沫感染による拡大を防ぐためには感染国からの人の流入を抑えることが一番であり、次々に国境封鎖が行われた。それはロシアでも例外でなく、早々に中国との国境を封鎖し、罹患者をシベリアに隔離した。更に、感染者がモスクワで拡大すると、都市封鎖に踏み切った。それは経済活動に大きな影響を与えることになったが、問題はそれにとどまらなかった。国内問題以上に大変な状況が待ち受けていた。原油価格の急落だ。パンデミックの影響によって世界経済全体が急ブレーキをかけたような状態になり、連動して世界各地で工場の稼働が落ち、それによってエネルギー価格が一気に下がった。1バレルが20ドル台まで落ち込んだのだ。これは1バレル40ドルが最低ラインと考えていたロシアにとって看過できない問題となった。外貨収入が一気に落ち込むことになるからだ。しかも、先が見通せないという悲観的な状況が問題の根を深くしていた。ワクチンも治療薬も無いというお手上げ状態だったのだ。そのため世界の感染者数は急増し、死亡者数も一気に増えていった。

 流石のお前も頭を抱えた。リーマンショック時以上に低迷する世界経済に対して打つ手は何もなかった。ただこの感染症が収束するのを待つしかなかった。

 それでも、ワクチンと治療薬が開発されると、状況が一変した。経済活動再開に伴って原油価格が上昇を始めたのだ。更に、西欧諸国による化石燃料依存度低下策が思わぬ幸運を呼び込んだ。アメリカが増産を渋ったのだ。シェール革命によって世界一の原油生産国となったアメリカが増産すれば一気に原油価格に影響を及ぼすが、そうはならなかった。化石燃料の先行きが不透明な中、積極的な投資を行う事業者はほとんどいなかった。

 ロシアを含め産油国はこれで一息つくことができた。高値安定はウエルカム以外の何物でもなかった。だから、消費国よる増産要請にも正面から応えることはなかった。微増という妙案で切り抜けたのだ。それによって2021年に入ると1バレル50ドルを突破し、その後も上がり続けて年央には75ドルラインに届くようになった。産油国は大いに潤うようになったのだ。ロシアの外貨準備高も急増し、年末には6,300億ドルを超えた。73兆円という途轍もない額に積み上がったのだ。この状況がお前の背中を押した。悲願である民族統一に踏み出すことを決めたのだ。

 その前振りは7月に発表した論文にあった。『ロシア人とウクライナ人の歴史的統一性』だ。その内容は、ロシア人とウクライナ人は一つの民族であり、長い間単一の国家を形成していたという歴史があるにも拘らず、西側諸国の影響を受けてロシアに対抗する姿勢を鮮明にしたこと、ウクライナのネオナチがクリミアやドンバスでロシア系住民を蹂躙(じゅうりん)したこと、更に、EUやNATOへの加盟を目論んでおり、到底許せるものではないといったものだった。ソ連邦崩壊後、迫りくる西側諸国の拡大に警鐘を鳴らしたのだ。そこにはロシアを正当に認めてくれないという積年の恨みと共に、これ以上危険なゲームを進めるのなら容赦はしないという警告が込められていた。

 しかし、ウクライナも西側諸国も重要なサインとは受け取らなかった。勝手な作り話だと一笑に付したのだ。

 それを見てお前は次の行動に移った。ウクライナ国境への派兵を大幅に増やしたのだ。その数は10万人を超える規模へと拡大し、ベラルーシにも3万人を送り込んだ。いつでも攻め込める体制を作ったのだ。

 それを察したアメリカは警告を発した。侵略がいつ始まってもおかしくないという分析を矢継ぎ早に繰り出した。衛星写真を含めて機密情報を公開したのだ。しかし、世界の危機感は薄かった。少なくとも北京オリンピック・パラリンピックが終わるまではロシアが行動することはないと高を括っていた。

 そんなムードを嘲笑うかのようにお前は侵攻を決断した。それはオリンピック閉会式の4日後であり、パラリンピック開幕前の2月24日だった。『特別軍事作戦』と名付けた侵攻は東部ドンバス地方にとどまらず首都キエフもターゲットとした。特殊部隊を投入することによって、ネオナチの首謀者とみるゼレンスキー大統領の首を狙ったのだ。一気に体制を崩壊させて傀儡(かいらい)政権を樹立するのが目的だった。しかし、うまくいかなかった。大統領府の堅い守りに阻まれて彼に近づくことさえできなかった。

 作戦の失敗を受けて、ベラルーシに派遣していた部隊に進軍を命じた。一気呵成(いっきかせい)にキエフを攻め落とそうとしたのだ。ところが、順調だったのはチェルノブイリ原発を占領するまでだった。圧倒的な戦力の差によって短期間でキエフを制圧できると踏んでいたが、目論見(もくろみ)通りにはいかなかった。予想以上の反撃にあったこともあるが、それ以上にロシア軍の統制が取れていないことが大きかった。笛吹けど踊らずの状態が続いたのだ。それに業を煮やしたお前は部隊の司令官を前線に送り込んだが、これが裏目に出た。次々に殺害されてしまったのだ。それは、ウクライナ軍に協力した民間人によるドローン情報に加えて、西側諸国から提供された情報が狙撃の確率を高めていたことによるものだった。米軍の空中警戒管制機(AWACS)やイギリス軍の電子偵察機によってロシア軍の動きをリアルタイムに掴まれるだけでなく、それがウクライナ軍に共有されて反撃に使われていた。アメリカから提供された携帯型対戦車ミサイル『ジャベリン』や携帯型対空ミサイル『スティンガー』によって進撃を止められてしまったのだ。

 そこでキエフ制圧が難しいと判断したお前は、態勢を立て直して東部への攻撃に集中することにした。それは5月9日の対ドイツ戦勝記念日に勝利宣言をするためだった。そのためにはなんとしても東部2州の制圧が必要だった。お前は迷わずドゥボルニコフを司令官に任命した。『シリアの虐殺者』と異名をとる彼の手腕に期待したのだ。そして、すぐさまアゾフスターリ製鉄所に立てこもって抵抗を続ける憎きアゾフ大隊をせん滅せよと命じた。彼らこそがお前にとってのネオナチだからだ。この戦争の大義を立てるためにも一掃する必要があった。

 しかし、簡単にはいかなかった。核攻撃にも絶えられるほどの頑強な地下設備を破壊することはできなかった。そのため、5月9日の勝利宣言は諦めざるを得なくなった。



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