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虚夢(3)

 

 ところで、1999年末にお前が表した論文『千年紀の境目におけるロシア』には驚かされた。そこには、ロシアは二流国家であり、経済規模はG7の平均の五分の一でしかないという現実が記されていたからだ。それは素材産業と軍需産業に過度に依存した産業構造の歪さや研究開発に対する投資不足が原因であり、情報科学、エレクトロニクス、通信といった先端産業を無視した結果であると素直に認めていた。その上で、この現状から挽回していくためには外国資本を呼び込み、ロシア経済を世界経済構造の中に融合する必要があると指摘した。更に、GDPの年間成長率10パーセントを15年続けることができれば先進国に追いつくことも可能だという分析結果を紹介し、政府主導の長期戦略の必要性を訴えた。しかし、国家イデオロギーの復活には反対し、あくまでも民主国家として進まなければならないと明言した。その上で、表現の自由や外国旅行の自由、その他基本的な権利などの価値について触れた。興味深いことにお前は全体主義を否定したのだ。あらゆる独裁体制、あらゆる権威主義政権は短期で滅びることを歴史が証明しているという理由からだった。それ故、ロシアにおける強い国家権力とは民主主義と法に基づく行為能力のある連邦国家だと結論付けた」


 そこまで話すと、今までぱっちりと目を開けていた赤ん坊が口を大きく開けた。あくびだった。それを見て老人は目を細めた。


「眠たくなったかい?」


 声をかけると、その子の口がまた大きく開いた。老人は更に目を細めて頭を撫でた。


「眠りなさい。私の声を子守唄として眠りなさい。続きは夢の中で聞きなさい」


 すると、その言葉を理解したのか、もう一度あくびをしたその子は目を閉じて、可愛い寝息を立て始めた。それを見た老人は笑みを浮かべながら再び語り始めた。


「大統領の任期を半年残したエリツィンが辞任を表明すると、憲法に従って首相のお前が大統領の権限を引き継いだ。大統領代行となったのだ。その影には政商的性格を持つ集団であるオリガルヒという新興財閥がいた。彼らがお前を実質的な権力トップに押し上げたのだ。それは利益共同体を築き上げるための戦略だったが、お前は敢えてそれに乗ることにした。流れに(さお)さしたのだ。その後、選挙を経て2000年5月7日に大統領に就任したお前は、名実ともに最高権力者としての地位についた。

 しかし、その時のロシアは目も当てられない状態になっていた。社会は分裂し、経済は破壊されていた上に、軍隊は腐敗し、装備も劣悪だった。かつての大ロシア帝国は二流国家に成り下がっていたのだ。これは大国主義者であるお前にとって許すことのできないものだった。ロシアは強大な力を持つ帝国でなければならないからだ。世界における主要プレイヤーでなければならないのだ。

 それでも、一気にそれを実現することは不可能だった。確固たる戦略と力を蓄えるための長い期間が必要だった。世界に打って出るためには足腰を鍛えるしか道がなかったのだ。そこでお前は国内の問題に的を絞ることにした。就任直後に中央と地方の関係の見直しに手を付けたのだ。それは改革といってもよいものだった。分散的国家状態にあるロシアに危機感を抱いていたお前は完全な連邦国家を目指して垂直的権限の拡大を図った。今まで選挙で選ばれていた知事を実質的な任命制度に変えてしまったのだ。

 次にやったのがオリガルヒとの戦いだった。トップに押し上げてくれた功労者とはいえ、経済の実権を握る金融寡頭(かとう)集団を野放しにしておくことはできなかった。当時はロシアの富の4割を4オリガルヒが握るという異常な状態になっており、放置しておけるレベルにはなかった。特に、石油資本を牛耳るオリガルフが政治改革を実現して次期首相を目指すというリポートを発表するに至ると、黙っているわけにはいかなくなった。間髪容れず首謀者を逮捕し、シベリア送りにした上で、事実上の国有化に踏み切り、資源から生まれる富を国のものとした。

 それに相前後して石油価格が高騰した。図らずもお前に追い風が吹いたのだ。それは2001年の同時多発テロを契機としたアメリカの対テロ作戦が切っ掛けだった。中東の不安定化が進むことによってロシアを石油輸出大国に押し上げたのだ。その結果、8パーセントを超える高度成長が始まり、財政基盤も強固となった。すると当然のように国民からの信認度も上昇し、2004年の大統領選挙で圧勝した。70パーセントを超える得票を得たのだ」


 そこまで話した老人は腕の重みを感じて赤ん坊を見つめた。熟睡している顔はとても愛らしかったが、これ以上このままの姿勢で抱き続けるのは難しかった。近くの切株に腰を下ろしてその子を抱き直し、大統領2期目のことを話し始めた。



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