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虚夢(2)

 

 深い森の中に濃い(もや)が立ち込めていた。静寂が支配し、生き物の気配は感じられなかった。葉音すら聞こえなかった。

 突然、音が響いた。甲高い音だった。その音に導かれるように靄が動き出し、モーセが海を開いたように一本の道が現れた。それはとても長い道だったが、辿り着いた先には草むらがあり、そこに小さな体が横たわっていた。生まれたばかりだろうか、裸の赤ん坊が泣いていた。

 その傍には白い髭を長く伸ばした老人が立っていた。その人はしばらく赤ん坊を見つめていたが、あやすためか、腰を落として手を差しのべた。抱き上げると、その子に向かって語り始めた。


「赤子よ、父と同じウラジミールという名を持つ赤子よ、今から話すことをよく聞きなさい。例えそれがどんなものであろうと耳を背けてはなりません。なにしろ、今から話すのはお前の人生そのものだからです」


 すると、赤ん坊は泣き止み、小さな両の手を伸ばして老人の(ひげ)に触れた。その途端、愛らしい笑みがこぼれた。両頬にはえくぼが浮かんでいた。


「赤子よ、お前が生まれた日のことを教えてあげよう。1952年10月7日という日を覚えておきなさい。それがお前の生まれた日だからだ。場所はレニングラード。そのとき両親は共に41歳だった。お前は第3子だったが、2人の兄はこの世に存在していなかった。一人は生後わずか数か月で、もう一人はジフテリアに(かか)って天に召された。そのためお前は一人っ子として育つことになった。

 お前の家は貧乏だった。酷いアパートで暮らしていた。お湯は出ず、風呂もなく、ネズミが走り回るようなところだった。だから家の中に居場所はなかった。通りに出て遊ぶしかなかった。しかし、そこは力が支配する世界だった。常にもめ事があり、つかみ合いの喧嘩(けんか)があり、最後に勝つのは力の強い者だった。弱い者は虐められるだけだった。

 そんな中、体が小さかったお前は通りで大きな顔をするためにはどうすればいいか考えた。考え続けた。その結果、格闘技を習得する必要があることに思い至った。一番になるにはそれしか道がなかったからだ。早速ボクシングを習い始めた。しかし、すぐに鼻を折られてしまって続けることができなくなった。次はサンボを習い始めたが、最終的に辿り着いた柔道こそが自分に合っていると確信した。相手の力を利用して投げ飛ばせる技の魅力に惚れ込んだのだ。〈柔よく剛を制す〉という考え方は自分に合っているし、〈力こそが正義〉という環境の中で生き残っていくには、これを習得するしかないと思い込んだのだ。

 ストリートファイトと柔道から学んだのは3つのことだった。〈力が強くなければならない〉〈何がなんでも勝つ〉〈相手を徹底的にやっつける〉。それは生涯を通じてお前の指針となった。

 そんなやんちゃな子供時代を過ごしたお前だったが、中学以降は打って変わって猛勉強を始め、遂には40倍という超難関のレニングラード大学法学部に入学した。それには理由があった。情報機関で働くという幼い頃からの夢を叶えるためには法学部への進学がどうしても必要だったのだ。子供の頃に映画や小説に影響を受けてスパイという特別な存在に憧れを持ったお前は、それを実現するためにはどうしたらいいか知りたくなり、思い切ってKGBの支部を訪ねた。すると、法学部が有利だと担当職員が教えてくれた。それをずっと忘れないでいたのだ。

 大学4年生の時に見知らぬ男が訪ねてきて、お前の夢は現実となった。彼はKGBの職員だった。もちろんお前はその男の誘いに乗り、1975年にKGBの一員となった。共産党に入党したのもその時だった。KGB職員は党員でなければならなかったからだ。

 対外諜報(ちょうほう)活動の研修中に外国諜報部の幹部の目に留まったお前は、4度の面接を経てスカウトされ、レニングラードの諜報部で働き始めた。その後、モスクワで研修を受け、1985年に東ドイツのドレスデンへ派遣された。主な任務はNATO対策だった。情報源を雇い、収集した情報を分析してモスクワへ送るのだ。それをきっちりこなしたお前は二度の昇進を果たして上級補佐となった。現地のナンバーツーの地位に就いたのだ。

 しかし、ゴルバチョフのペレストロイカによってソ連邦が地殻変動を起こす中、東ドイツでも不穏な動きが始まった。そのことによって、諜報活動が困難に直面するだけでなく、機密が流出する懸念が強まった。それを恐れたお前はあらゆる文書や連絡先リスト、諜報員のネットワークリストをすべて燃やして秘密を守った。

 1989年11月9日の夜、ベルリンの壁が崩壊した。それは突然のことであると同時に社会主義体制の終焉(しゅうえん)を告げるものであり、その衝撃は凄まじく大きかった。東欧や中欧の衛星国は将棋倒しのように社会主義体制を打ち壊し、ソ連邦から離れていった。それを目の当たりにしたお前は愕然とした。と共に、なんら有効な手立てを取ろうとしなかったクレムリンに失望した。しかし、どうすることもできなかった。居場所がなくなったお前は東ドイツを離れるしかなかった。

 ソ連邦にもKGBにも幻滅を感じたお前はKGBに辞表を提出し、学問の道に進むことを決意した。しかし、政界がそれを許さなかった。モスクワに呼ばれたのだ。それは意に反するものではあったが、水があったのか、お前はその能力を発揮して驚くべき出世を遂げた。1997年に監督総局長になると、翌年には大統領府第一副長官となり、更に連邦保安庁長官を経て、1999年には国家安全保障会議書記に任命された。そして、その年の8月に首相に抜擢された。

 そんな中、チェチェンで完全独立を主張する独立派の運動が激化すると、お前は迷うことなく反乱軍を叩くことを決断した。事態を収拾しなければロシアが消滅してしまうという危機感がそうさせたのだ。チェチェンの分離独立が成立すれば他の地域でも独立の機運が高まり、収拾がつかなくなってしまう。それを恐れて強硬策に出たのだ。その結果、数十万人が犠牲になり、強権的だという非難が沸き起こったが、結果としてお前の人気を押し上げることになった。支持率が急上昇したのだ。強いリーダーとして認められたのは間違いなかった。



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