覚悟(1)
「一旦モルドバへ引き上げよう」
オデーサでボランティアを率いるリーダーは、移動する準備を始めるように指示を出した。連日のようにミサイルとドローンが飛んできてインフラや集合住宅が攻撃されているので、待ったなしの状態になっているのだ。
「ここにいたらいつミサイルが飛んでくるかわからない。ぐずぐずしている場合ではないんだ」
強く促されたが、オデーサを離れるつもりはなかった。
「死ぬかもしれないんだぞ。そんなことになったらどうするんだ」
身の安全を確保するのが最優先だと説得されたが、それでもナターシャの気持ちが変わることはなかった。オデーサの人たちと共に戦う覚悟ができていたのだ。それは骨を埋める覚悟と言い換えることができるものだったが、簡単に死ぬつもりはなかった。大義も正義もないロシア軍のへなちょこミサイルやドローンが自分を殺せるわけはないと固く信じていたからだ。
「最後は正しいものが勝つの」
頻繁に連絡を取り合っているマルーシャが毎日のように発する言葉が心の支えになっていた。それに、反転攻勢を続けるウクライナ軍の勇敢な姿に力を貰っていた。オデーサ市民の士気の高さにも鼓舞されていた。だから、ここを離れるという選択肢はあり得なかった。
「大丈夫です。皆さんが戻ってくる日までここを守っています」
笑みを浮かべてリーダーに告げると、倉庫の中に入って、いつものように支援品の整理に取り掛かった。
*
「えっ? オデーサに残る?」
倭生那はナターシャの言っていることが理解できなかった。クリミア大橋を破壊されたことへの報復が続く中、とどまり続けるというのはあり得ないことだった。
「いや、だめだ、それは」
余りにも危険すぎると警告したが、「大丈夫よ。何も問題ないわ」と平気な声が返ってきた。
「いや、だめだ。頼むからモルドバに戻ってくれ」
「もう無理なの。みんな行ってしまったから」
ボランティアのメンバーが全員引き上げたので、乗せてもらえる車はないのだという。
「なんで一緒に」
言いかけたところで遮られた。
「充電ができなくなる可能性があるからもう切るわね」
「ちょっと」
待って、と言う間もなく通話が切れた。すぐにかけなおそうとしたが、指が止まった。オデーサは電力インフラが攻撃されているのだ。いつ停電になってもおかしくない状況なのだ。そんな中でスマホの使用を制限するのは当たり前だろう。もし停電になれば明かりとしても使わなければならないのだから、無駄遣いなんてできるはずがない。しかし、連絡が取れないということはナターシャの安否確認が難しくなるということでもある。
それはダメだ。絶対にダメだ。
スマホをテーブルに置いた倭生那はなんの躊躇いもなくすべきことを決めた。それは人生を大きく変えることになる決断だった。




