点火(2)
会合の日がやってきた。会場には日本を代表する一流企業のエリートたちが集まっていた。鉄道、車両、建設、鉄鋼、電線、機械、運輸、船舶など、軌道変更や穀物輸送に関わる企業が揃っていた。それだけでなく、政府系金融機関の職員まで出席していた。それは、政府を巻き込むことを前提としていることを意味していた。
進行役を務める同期に促されて倭生那は壇上に立った。緊張してちょっと声が震えたが、オデーサでミサイル攻撃を目の当たりにしたこと、その危険な場所で妻が活動していること、現地では穀物が出荷できないため困り果てていること、鉄道で代替しようにもEUと軌道が違うので簡単にはいかないこと、更に、輸出ができないためにアフリカや中東の国々で食糧事情が急速に悪化していることを説明した。その後、いくつかの質問があり、更に詳しい状況説明をしたあと、同期に引き継いだ。壇上に立った彼は、こめかみに力が入っているような引き締まった表情で、凛とした声を発した。
「一世一代の挑戦になります。ビジネスチャンスというだけではなく、極めて意義のある貢献になるのです。しかし、戦争の終結時期は見通せず、いつから取り掛かれるのか、必要な資金はどれほどなのかなど、事業化に向けて必要とされる情報はほとんどないと言っても過言ではありません。それでもやる価値は高いと確信します。悪意によって踏みにじられたウクライナを救うことは新たな秩序を作り上げることに他ならないからです。そう思いませんか」
そして参加者を見回してから、キメの言葉を発した。
「これは単なる復興に向けた取り組みではなく、悲痛な叫び声をあげ続けているウクライナの人々に夢と希望を与える『光明プロジェクト』なのです」
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2週間後に第2回会合が行われ、各社が持ち寄った情報を項目毎に整理し、分析を行った。
それが凄かった。日本を代表する企業とその精鋭だけあって無駄がまったくないのだ。それは第1回会合でプロジェクトの意義を共有できたことによるものだと思われたが、彼らの能力の高さを証明するものでもあった。
分析の結果、戦争終結時期を①1年後、②2年後、③3年後としてシミュレーションを始めることになった。また、日本だけの企業連合ではなく、欧米を巻き込んだ国際企業連合とする方向性が打ち出された。更に、多国間政府融資の実現に向けて働きかけを行うことも合意された。
しかし、軌道変更については厳しい意見が相次いだ。現実的ではないというのだ。従来の線路を置き換えるには莫大な費用と期間がかかる上、運行を長期間停止する必要があるため、却って復興への足枷になるという意見が大勢を占めた。それらを聞いて心は重く沈んだが、どうしようもなかった。反論できる材料は持っていないのだ。単なる想いだけではなんともならない。うなだれるしかなかった。
ところが、救いを与えるように鉄道会社から新たな提案が出された。その人は「ウクライナの首都キーウとポーランドのクラクフ間で運行されている軌道可変電車の拡充が費用的にも期間的にも現実的である」と言ったのだ。
軌道可変電車というのは、異なる軌道を直通運転させるためのシステムで、走行する軌間に合わせて車輪の左右間隔を変換するものであり、既にヨーロッパでは一部運行されているという。但し、動力を有しない貨客車での実用化に限られており、電車においてはまだ実用化されていないという。そこで、現在開発が中断してはいるが、九州新幹線の西九州ルートで採用する方針だった技術を活用すればいいのではないかというのだ。
「日本の場合、在来線の1,067ミリという狭軌から新幹線の1,435ミリという標準軌へ368ミリも変換しないといけないため開発が難航したのですが、ウクライナと欧州の間ではその差が85ミリしかないため難易度はかなり低くなるものと思われます。それに、日本が動力車を提供して、貨客車をポーランドが提供するようにすれば、ウクライナ難民を全面的に支援してきたポーランドの貢献にも報いることができるようになると思うのです。いかがでしょうか」
彼が言い終わるなり、会場から大きな拍手が沸き起こった。それは、このプロジェクトを前に進めるための強力な起爆剤が点火したことを表すシグナルのように思えた。
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「お前のネットワークは半端ないな」
会合が終了して会社に戻った時、倭生那は同期の肩を揉んだ。
「まあ、結構、種を蒔いてきたからな」
満更でもないというふうに笑みを浮かべたが、すぐに引き締まって、「これから細部を詰めていって年内を目標に計画の基本骨格をまとめようと思う。それができたら社内への根回しを始める。そうなったら忙しくなるぞ」と目を細めた。
頷きを返すと、不意にナターシャの顔が浮かんできた。あの時一方的に話を終わらせた彼女だったが、心底ではなんとかしてもらいたいと期待しているに違いない。朗報を待っているに違いないのだ。
必ずなんとかするから。
覚悟を呟きに込めて、オデーサの方角に目を向けた。




