気概(6)
しばらく落ち込んでその場に立ち続けたが、メモが手に無いのに気づいて、我に返った。床で萎れていた。拾い上げると、端の方が濡れていた。そっと拭ってから引き出しに戻して椅子に座ると、目の前のラックにはCDが並んでいた。妻が好んで聴いていたジャズのCDだ。右からざっと見たが、ほとんど知らないミュージシャンばかりだった。ロックが好きな自分にとってジャズは身近ではなかった。
しかし、一番左側に行き着くと、知ったミュージシャンに行き当たった。マイルス・デイヴィス。ジャズに縁のない人でも知っている偉大なトランぺッターだった。それを引き抜いて表紙を見ると、演奏するマイルスの顔がアップになっており、タイトルが青字で小さく記されていた。
『Kind of Blue』
意味深なタイトルだった。その下を見ると、更に小さな文字でメンバーの名前が記されていた。しかし、ジョン・コルトレーンとビル・エヴァンス以外はまったく知らないミュージシャンだった。
CDプレイヤーにセットしてリモコンのスタートボタンを押すと、1曲目が始まった。正にブルーな気分を表すようなイントロだった。ところが、その後に反逆的なフレーズが続いて、『So What』というタイトルに相応しいふてぶてしい演奏になった。その流れを引き継ぐように2曲目が続き、3曲目が始まった。
『Blue In Green』
どういう意味だろうと思っていると、ピアノのイントロに導かれてすすり泣くようなトランペットの音色が耳に届いた。その瞬間、部屋の色がまったく変わってしまったように感じた。正に『Kind of Blue』の世界だった。
ナターシャはこれを聞きながら何を思ったのだろうか?
憂鬱な気分に支配されて絶望を感じたのだろうか?
換えることのできない自らの血を呪ったのだろうか?
ウクライナのことを想って泣いたのだろうか?
救いを求めて神に祈ったのだろうか?
そんなことを考えていると曲が変わった。テンポの速いリフが押し寄せてくるような演奏だった。
『All Blues』
明るい曲調ではなかったが、力強さを感じた。だからか、落ち込んだ心に喝を入れられたようになり、トランペットのブローが始まるとどんどん迫ってきて、更に追い打ちをかけるようにサックスが押し寄せてくると、居ても立ってもいられなくなった。何かをしなければならないという気になった。それは妻の発信に続けという示唆のように感じた。『オデッサのロシア人』を援護しろという導きのような気がした。
すべきことは理解できた。だが、それに相応しいハンドルネームが思いつかなかった。妻の発信を援護するだけならどんな名前でもいいが、夫の発信だとわかってもらえなければ意味がない。
しかし、考えても、これというものは浮かんでこなかった。それはそうだ、日本文化を愛し、ジャズを愛する妻と違って芸術的センスは乏しいのだ。気の利いた言葉が浮かんでくるはずがなかった。それでも、これしか妻と繋がる方法がないので諦めるわけにはいかなかった。ノートに書いては線で消し、書いては線で消しが続いた。
『オデッサの日本人』『東京の日本人』『ロシア人女性の夫』
しかし、どれもピンとこなかった。目に留まるほどのインパクトがあるとは思えなかった。これでは妻にも気づいてもらえないだろう。このまま続けてもこれという言葉が浮かんできそうもなかった。気分を変えるためにシャワーを浴びて、外に出た。
*
深夜でも開いている店を探しながら商店街を歩いていると、1軒の店が頭に浮かんだ。ロシア料理店だった。ナターシャと初めて会った店だ。
だが、今も営業しているだろうか?
ウクライナ侵攻が始まってからロシアと名の付く店には嫌がらせが続いていると何かで読んだことがある。だとすれば、店を畳んでいる可能性は高いかもしれない。それでも他に当てがないので、行ってみることにした。
路地を曲がるとその店が見えた。明かりは消えていなかった。営業しているようだ。
しかし、ドアを開けて中に入るとガランとしていて、ロシア人の店主がぽつんと座っているだけだった。それでもこちらの顔を見るなり表情が変わって、「いらっしゃい」と笑みが浮かんだ。今日初めての客だと言った。最近はずっと閑古鳥が鳴いているのだという。日本人はまったく来なくなったし、警戒しているためか、ロシア人も近寄らなくなったという。
「大変でしたね」
慰めながら席に座った。思い出の席だった。妻と隣同士になったカウンター席。ここから始まったのだ。そして、プロポーズもこの席でした。彼女の指にリングをはめると、満席から拍手が沸き起こった。幸せ絶頂の瞬間だった。でも、その席に妻はいない。遥か彼方のオデーサで行方がわからないままなのだ。
何も頼んでいないのに『ザクースカ』が出てきた。前菜の盛り合わせだ。久し振りの予約が入って喜んでいたら急にキャンセルされて困っていたのだという。だからタダでいいという。そうもいかないと思ったが、払おうとしても受け取らないのはわかっていたので、素直に甘えることにした。
ビールは軽い度数のものにした。ロシア産のペールビールだ。ちょっと軽めの味わいが飲みやすく、ザクースカとの相性もばっちりだった。
店主と飲み交わしながらロシア語で話していると、ふとナターシャと初めて言葉を交わした時のことを思い出した。あの日、勇気を出して話しかけると、彼女は目を丸くして、「こんなに上手にロシア語を話す日本人に初めて会いました」と言ったのだ。それが切っ掛けとなってこの店で食事をするようになり、関係が深まっていった。正にロシア語が取り持つ縁だった。
「ロシア語に乾杯」
思わず声が出て店主のグラスにカチンと合わせた。店主は、ん? というように目を見開いたが、なんでもないというふうに首を振った時、いきなり言葉が降りてきた。それは、探し求めていたハンドルネームだった。
*
2日後、『ロシア語を話す日本人』という名でテレグラムに投稿を始めた。ロシアとの輸出入の仕事をしていることやロシア人の妻がいること、更に、最近オデッサで体験したことや世界が食料危機に瀕しようとしていることを発信した。そして、話題になってくれ、それがナターシャに繋がってくれ、と祈りを込めた。
しかし、投稿への反応は少しずつ増えていったものの、ナターシャから連絡がくることはなかった。1週間経っても、2週間経っても、なしのつぶてだった。期待をしていただけに落胆は大きかった。




