気概(3)
危険な昼間の運転にもかかわらず、爆撃も火砲も受けなかった。戦車や装甲車に出会うことも無かった。白衣の天使が守ってくれたのは間違いないように思えた。それに、ナビがほぼ正確に進路を導いてくれたので迷うことも無かった。日付が変わる頃にモルドバに到着した。
ボランティア施設の前に車を止めると、停車してあった車のライトがついた。いきなりだったのでドキッとしたが、車から出てきた男はミハイルの同僚の探偵だった。ウクライナには行かないと逃げ腰になったあの若い探偵だった。あの日、ミハイルから預かった小切手を持ってトルコに帰りかけたものの、ここに引き返したのだという。
「卑怯者になりたくなかった」と理由を説明したが、それが本当かどうかはわからなかった。クビになるのが怖かったというのが本音のように思われたが、理由はどうでもよかった。一刻も早くミハイルを連れて帰らなければならないし、そのためには道を知っている人間が必要だった。早速ミハイルを彼の車に移して出発することにした。
後部座席に横に寝かせて彼のおでこに手を当てると、オデーサを出た時よりも熱かった。かなりの高熱なのですぐに抗生物質を飲ませたが、水と共に吐いてしまった。しかし、貴重な薬なので捨てるなんてできるはずはなく、水で洗って綺麗にして再び口に押し込んだ。そして、「我慢して飲み込んでくれ」と言って右手で彼の口を覆った。彼が飲み込むまで覆い続けた。
なんとか飲み込んでくれたので急いで車を出発させた。ルートは危険を承知で最短距離を選んだ。再びウクライナ領に入ったのだ。それからルーマニアのトゥルチャに到着するまでがしんどかった。攻撃を受ける可能性がゼロではない中で緊張を強いられ通しだったからだ。だからウクライナ領を抜けた時はホッとしたが、ゆっくり休んではいられなかった。ミハイルの熱が下がらないのだ。それに水もパンも受け付けなくなっていた。体力がかなり落ちているだろうし、頼みの綱の免疫も働かなくなっていくに違いない。20分ほど休んで、濃いコーヒーを流し込んで、すぐに出発した。
黒海を左に見ながら海岸沿いをぶっ飛ばして、交替で運転しながらブルガリアを目指した。なんとか無事にブルガリア領に入ることができたが、ミハイルの状態は更に悪化しているように見えた。すぐさま現地で病院を探すことに決めてミハイルに伝えたが、異国の病院は嫌だと拒絶した。トルコ以外の国で治療は受けたくないと強固に拒んだ。仕方がないのでまた車を走らせたが、やっとトルコ領に入った時は安堵を超える気持ちになった。しかし、ミハイルの容体は更に悪化しているようで、時間との勝負のように思えた。助手席の探偵にイスタンブールで一番と呼ばれている病院に連絡を入れてもらってアクセルを踏み込んだ。
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病院に到着した時の彼は朦朧としているようだった。待ち受けていたスタッフによってすぐに集中治療室に運ばれて検査が始まったが、その後、担当した医師から敗血症の疑いがあると告げられた。細菌やウイルスに感染することによって全身の様々な臓器に障害を与える危険な病気なのだという。
すぐに治療が始まり、3種類の抗菌薬が投与された。どれも強力な薬で、ショックと臓器不全を防ぐことを期待しているということだった。よく効く薬だと聞いてホッとしたが、医師の話はそれだけでは終わらなかった。外科手術の必要性も検討しているのだという。感染部位に壊死した組織があれば除去しなければならないというのが理由だった。
「まさか切断ということはないでしょうね」
しかし、医師は否定してくれなかった。今の段階ではなんとも言えないと言うのだ。思わず天を仰いだ。すると脳裏に義足をはめたミハイルの姿が浮かんできた。慌てて首を振って打ち消したが、それでも心の中で増大する不安の塊を抑えることはできなかった。




