未読スルー
午前七時。目覚ましのバイブ音が枕元でけたたましく鳴る。
市川涼介は、ぼんやりとした意識のまま、習慣のようにスマホへ手を伸ばした。
LINEの通知――ゼロ。
昨日寝る前に送ったいくつかのメッセージは、どれもまだ「未読」のままだ。
「……まだ見てないのか」
恋人の木島沙也加に送った『昨日はごめん』も、家族グループへの『来週帰るね』も、友人達への『絶対あいつが悪いよね』も。
冷たい緑色のアイコンが、目覚めたばかりの心臓にじんわりと重くのしかかる。
布団の温もりを抜け出し、歯ブラシを口にくわえたまま鏡の前に立っても、服に袖を通しても、スマホが気になって仕方ない。
気付けば何度もロックを解除し、トーク画面を眺めてしまう。
けれど、何も変わらないままの画面が、世界の中で自分だけが取り残されていくような孤独感を、じわじわと広げていく。
朝食のパンをひとかじりしながら、昨夜のやり取りが胸の奥に沈んできた。
『ちょっと返信しないだけで追いLINEしてくるの、ほんとやめて!』
居酒屋に響いた沙也加の怒った声。その瞬間は反発していたものの、今になって胸の奥にじんわりと後悔が広がる。
『だって、絶対メッセージ来てることには気がついてるでしょ。スルーする方が悪くない?』
そんなふうに返してしまった自分の声が、今も頭の中で反芻される。結局、仲直りできないまま解散になり、イライラした勢いで友人たちにも愚痴のLINEをばら撒いてしまった。
――朝になれば、誰かしらから返信が来るだろう。
そんな淡い期待は、いとも簡単に裏切られた。通知はゼロのまま。
どうして誰も返してくれないんだ、と不安と苛立ちが心の奥に渦巻く。
スマホの画面はずっと変わらないまま、時計の針だけが淡々と八時三十分を指し示す。
「……そろそろ行かないと」
トートバッグを肩にかけて玄関を出る。心のどこかがもやもやと重たく曇ったまま、涼介は大学へ向かう電車へと足を運んだ。
キャンパスに着いても、胸のざわつきはおさまらなかった。
講義まで少し時間があったので、構内の自販機で缶コーヒーを買う。缶を開けると、ぬるくも苦い香りが立ち上る。だが、気休めにはならなかった。スマホの画面は相変わらず沈黙を保ち、通知はひとつもない。
そんなとき、廊下の向こうから聞き慣れた声がした。
「おーい!」
友人の小野田が手を振りながら歩いてくる。
ホッとして、涼介は片手を上げながら近づいていった。
「おはよう。LINEの返信返せよ」
軽い調子で声をかける。
だが次の瞬間、小野田は涼介の横をすり抜け、背後の誰かに向かって駆けていった。その先には、涼介には見覚えのない男子学生達がいた。
「……え?」
涼介の声が、空気に吸い込まれていく。
「おはよう、小野田。課題やったか?」
「あ、あれ提出今日だっけ!? 完全に忘れてた」
「見せてやるから、昼なんか奢ってくれ」
「マジで助かる! なんでも奢るわ」
小野田はこちらを一切見ることなく、笑いながらその友人たちの輪に加わっていく。
――は? 無視?
胸の奥が、ひやりと冷たくなった。
「おい、小野田!」
声を張って呼びかけ、肩を軽く叩く。それでも彼は何の反応も見せず、まるで触れられてもいないかのように、そのまま歩き去ってしまった。
不安と違和感を抱えながら、一限目の教室へと足を踏み入れた。
「おはよう」
涼介はいつも通り、仲の良い友人グループに声をかける。だが、誰もこちらを振り返らない。笑い合いながら談笑する彼らの輪に、涼介の言葉はまるで空気の振動としてすら届いていないようだった。
「……無視すんなよ」
語気を強めて繰り返すも、反応はゼロ。誰一人として目線を向けてこない。
背筋を一筋の冷たいものが這う。教室の空気が、自分一人だけを拒んでいるような錯覚が涼介を包んだ。
「あの……」
今度は教室の隅で一人スマホを見ていた女子生徒に声をかけてみる。だが彼女も、まるでそこに人がいることに気づいていないかのように、無表情のまま画面を見つめ続けていた。
これはおかしい。ただの偶然なんかじゃない。
何かが、本格的に狂っている。涼介の中で、はっきりとその感覚が輪郭を帯び始めた。
胸騒ぎを抑えきれず、スマホを取り出し家族に電話をかける。だが、呼び出し音が空しく鳴り続けるだけで、誰も出ない。
落ち着かないまま食堂へと向かい、注文カウンターの年配の女性に声をかける。
「すみません」
しかし返事はない。彼女はすぐ後ろの客に笑顔で対応を続けていた。まるで涼介の存在そのものが、視界にも聴覚にも入っていないかのように。
「……どうなってんだよ」
喉の奥から漏れた声が、自分の耳にしか届いていない現実を突きつける。
涼介の存在、声が、誰の目にも耳にも届かない。
この世界に、自分が存在していないかのような感覚。
昼。駅前のベンチに腰掛け、涼介は重くうなだれてスマホを握りしめていた。
あれから、何人もの人に声をかけた。手を振って、呼び止めて、肩を叩いた。それでも、誰一人として反応しなかった。まるで、最初からこの世界に存在していない人間を見るように、誰も涼介を視界に入れなかった。
「誰か僕が見えませんか!」
普通なら通行人の注目を集めるレベルの声を張り上げても、返ってくるのはただの街のざわめきだけ。
――そのときだった。
「すみません! 誰か!」
どこかから、涼介と同じように必死な声が響いた。
思わず目を向けると、人ごみの中に必死に声をかけている制服姿の女子高生が見えた。長く伸ばされた黒髪と、不安げに揺れる目元が印象的だった。彼女は、道ゆく人々に必死に声をかけていたが、誰一人として足を止めることはない。
――まさか、あの子も?
胸の奥に浮かんだ予感に突き動かされるようにして、涼介はベンチから立ち上がり、彼女のもとへ向かって歩み寄った。
「君、無視されてるの?」
声をかけた瞬間、彼女の顔に驚きと涙が同時に浮かんだ。
「……私のこと、見えるんですか?」
涼介は静かに頷く。
「見えてるよ。僕も、まったく同じ状況だけど」
「……あなたもですか」
ふっと浮かんだ希望の色が、彼女の表情からすぐに消える。その瞳には、涼介自身が見た鏡のように、孤独と不安が色濃くにじんでいた。
彼女は、言葉を選ぶようにしばらく黙り込み、そっと俯いた。
「えっと、とりあえず、少し話そうか」
涼介の申し出に、彼女はわずかに肩の力を抜いて、小さく息を吐いて頷いた。
ベンチに戻り、少女に自販機で買ったお茶を手渡す。
「……宮川怜奈です。状況は変わりませんけど、お話出来る人が見つかって良かったです」
「市川涼介。僕もだよ」
互いの名前を名乗ったその瞬間、ふたりの間に、見えないけれどたしかな“繋がり”のようなものが生まれた気がした。
「とりあえず、状況を整理しようか。俺たちは今、透明人間みたいに誰にも姿が見えないし、声も届かないってことで良いよね?」
涼介は、なるべく落ち着いた声を心がけながら、目の前の少女を見つめた。怯えきった表情が、まるで水面に沈みかけた小さな魚のようで、見ているだけで胸がざわつく。
「はい……今朝から、家族からも友達からも先生からも無視されました」
「俺もまったく同じ。友達には無視されるし、家族に電話しても繋がらない。知らない人に話しかけても無視される」
「夢ってわけでもない……ですよね?」
怜奈が、かすかに笑いながら言った。けれどその笑みは張りついたようで、目元の陰りが本心ではないことを告げていた。
「それにしてはリアルすぎるし、長すぎるかな」
涼介も笑ってみせたが、その声には力がない。
「……なんで、こんなことになったんだろう。ずっとこのままなのかな」
怜奈がぽつりとつぶやく。今にも涙がこぼれそうな顔を伏せたまま、拳をぎゅっと握りしめていた。
そんなことはない、と言ってやりたかった。でも確信もない言葉で慰めることが、彼女にとって救いになるとは思えなかった。
「なにか、僕と宮川さんで共通点はないかな」
何か手がかりを探そうと、涼介は声をかけた。手探りでも前に進まなければ、どこにもたどり着けない気がした。
「共通点、ですか」
怜奈が、小首をかしげて考え込む。
「もしかしたら、それがこの状況を変える鍵になるかもしれない」
「性別、年齢は明らかに違いますし……」
「そうだね。僕は大学生だしその線は無いかな。例えば、最近誰かと喧嘩したとか。恨まれてるようなことはある?」
「いえ、特には……」
小さく首を振る怜奈。
その後もいくつか、お互いの生活や出来事について思いつくままに言い合ってみたが、これといった共通点は見つからなかった。
涼介はふと、会話中怜奈が何度もスマホを確認しているのが目に入った。頭に思い浮かんだことを、なんとなく聞いてみる。
「未読スルーが人一倍気になったりとかは?」
「気になります!」
怜奈の反応は、驚くほど素早かった。
その一言に、涼介の中で、なにかがカチリと噛み合った気がした。
「昨日送ったLINE、今日返ってきてなかった?」
「はい。誰からも返信来てませんでした」
怜奈はそう言うと、視線を伏せた。スマホを握る指がかすかに力を込める。
「もしかしたら、“未読スルーされてること”が原因なのかも」
「え?」
怜奈が不安そうに顔を上げる。
「今日、誰かにLINEした?」
「はい、しました。友達に」
怜奈が画面を差し出す。そこには、数時間前に送ったメッセージと、横に送信失敗を示すマーク。
「それ、送れてないみたいだよ」
「あれ、本当だ。なんでだろう。ネットは繋がってるはずなのに」
怜奈が慌てて再送のボタンを押す。しかし、メッセージは送信失敗表示のまま、何度押しても送信されなかった。
「なにか根拠があるわけじゃないけど、未読スルーされてるメッセージを無くさないといけない、とかかな」
「でも、どうすれば……。私達、今誰からも見れないんですよね」
怜奈が顔を伏せる。その肩が、ほんの少し震えていた。
「分からない。でも、ここで考えてても仕方ないし、メッセージを送った人のところに行ってみようか」
涼介は立ち上がり、怜奈を見下ろした。
「は、はい!」
怜奈も立ち上がる。その瞳の奥に、かすかに光が宿っていた。
たとえ確証はなくても、自分の足で誰かに会いに行くこと。それが、二人にとっての“第一歩”になる気がした。
最初に訪ねたのは、怜奈の友人だと言う下田夏樹の一軒家だった。怜奈曰く、今日は学校に来ていなかったらしい。
玄関先でインターホンを押してみたが、当然のように返事はない。分かってはいたが、涼介も怜奈も小さく肩を落とす。
「裏に回ってみようか」
涼介の言葉に頷いて、二人は家の脇の細い通路を抜けて裏手に回った。少しだけ開いていた掃き出し窓の向こうを、そっと覗き込む。
中では、一人の女の子――夏樹が、忙しそうに動き回っていた。
鍋の湯気が立ち上るキッチンで鍋をかき混ぜ、ぐずる弟にティッシュを渡し、背後の和室で布団に横たわる母親のタオルを替えていた。
額にはうっすら汗が滲み、眉間には疲れの色が浮かんでいる。まるで数日眠れていないような顔だった。
LINEの返信どころではない――それが、ひと目でわかった。
「……夏樹、今こんなに大変だったんだ」
怜奈の声は、かすかに震えていた。その声には、驚きと後悔、そして小さな罪悪感が滲んでいた。
「返信急かして、ごめんね……夏樹」
怜奈が申し訳なさそうに、ぽつりと呟く。
すると、ふと夏樹が思い出したかのようにスマホを手に取る。
指先で何かをタップし、画面を確認したあと、机の上にスマホをそっと置いた。
――その瞬間。
怜奈のスマホが、かすかに震えた。
驚いて取り出し、画面を確認する。
「夏樹から……夏樹から返信、来ました!」
怜奈の顔がぱっと明るくなる。スマホの画面を涼介に見せながら、目には涙が浮かんでいた。
そこには、たしかに夏樹からのメッセージ通知が表示されている。
「やっぱり、“未読スルー”を減らすことが鍵なのかもな」
涼介と怜奈の顔が明るくなる。
「宮川さん、この調子でやっていこう」
「はい! ……あっ、その前に夏樹に返信を」
そう言いながら、怜奈はスマホの画面に指を伸ばしかけて、ふと手を止めた。
窓の向こうで、弟をあやしながら母親の様子を気遣っている夏樹の姿が、視界に映る。
怜奈はそっとスマホを閉じ、バッグの中へ戻した。
「今、忙しそうだから……もう少し後で、ちゃんと落ち着いたら返事します」
その声は静かだったが、確かな思いやりに満ちていた。涼介は黙って頷き、怜奈とともにその場を後にした。
まるで霧が晴れたような感覚だった。
その後、涼介と怜奈は、未読のままだった人たちの元を一人ずつ訪ねて回った。彼らの生活や事情を垣間見ることで、返信がなかった理由が少しずつ見えてきた。
病気の家族を支えていた人、突然のトラブルに追われていた人、自分のことで精一杯だった人。
涼介も怜奈も、相手の姿を見て、改めて画面の向こうにいる“誰か”の現実を実感した。
そして不思議なことに、そうした気づきとともに、ひとつ、またひとつとスマホに返信通知が届き始めた。
どうやら、相手の立場や状況を理解しようとすることが、なにかの“鍵”になっているらしい。
やがて怜奈はすべての相手から返信をもらい終え、画面に未読のメッセージは残っていなかった。
最後は涼介の番だった。残る相手は――恋人の沙也加、ただ一人である。
ふたりは駅前のカフェに向かって歩いていた。沙也加のバイト先である。
午後の日差しもすっかり落ち、行き交う人々の顔にも、どこか穏やかな時間の流れが感じられる。
そのとき、涼介がふいに足を止めた。
「……あれ、沙也加?」
向かいの歩道を歩いていたのは、紛れもなく沙也加だった。
しかし、その隣には見覚えのない中年の男性が寄り添うようにして歩いている。
「だ、誰あれ……?」
涼介の声が、かすれる。
心臓の奥がざわつき、嫌な想像が頭を支配する。怜奈も黙ったまま、その光景を見つめていた。
だが、すぐに耳に入った言葉が、涼介の中の不安を払拭した。
「お父さん、適当になにか食べて帰ろう」
沙也加がそう声をかけるのがはっきりと聞こえた。
「……お父さん、だったんだ」
安堵と同時に、自分の想像がいかに勝手だったかを思い知り、涼介は少し顔を赤らめる。
二人がファミレスへと入っていったのを見届け、涼介と怜奈も後を追うようにして入る。
沙也加は、父親に向かってぽつぽつと語り出す。
「……涼介さ、すっごく追いLINEしてくるの。既読になるまで何通も何通も送ってきて。昨日なんて、それで喧嘩したんだよ」
苛立ちを押し殺したような声で、沙也加はぽつりと口にした。表情には怒りだけでなく、戸惑いや疲労の色も見え隠れしている。目線を伏せたまま言葉を続ける姿から、感情の整理がつかない様子がありありと伝わってきた。
その言葉に、涼介の胸がきゅっと締め付けられるように疼いた。思わず目を伏せ、心のどこかで「やっぱり」と思いながらも、それを突きつけられる痛みに息を呑む。
「嫌いなのか?」
しばらく間を置いて、父親が静かに問いかけた。
「うん。嫌」
「それなら、別れれば良いじゃないか」
父親の率直な問いかけに、沙也加の目が揺れる。口を閉じたまましばらく沈黙し、やがて静かに口を開いた。
「うんざりする時もあるけど……でも、たまにすごく可愛いときがあるんだ。私の好きなカフェ、覚えててくれたり。こないだプレゼントくれたのも、ちゃんと私が前に欲しがってたやつだったし……」
言葉を重ねるうちに、沙也加の声色がほんの少しだけやわらかくなった。苛立ちの奥に隠れていた思い出が、少しずつ彼女の表情をほどいていく。
「なんだ。ただののろけじゃないか」
父親は穏やかに頷きながら、娘の言葉に耳を傾けていた。やがて、父親は「ちょっとトイレ」と席を外した。
その姿が見えなくなったころ、沙也加はふっと息をつき、ゆっくりと鞄からスマホを取り出す。その手の動きはどこかためらいがちで、少しの間画面を見つめるだけだった。
「……仕方ないな」
ぽつりと呟くようにそう言って、沙也加は小さく笑った。その笑みにも、どこか照れくささや覚悟がにじんでいた。そして、そっと指を滑らせて、画面に何かを打ち込み始める。
涼介のスマホが揺れる。画面に表示された通知には、沙也加からの返信があった。
『私も強く言っちゃってごめんね。大好きだよ』
目頭が熱くなり、言葉も出ないまま、涼介の頬を一筋の涙が伝う。
「良かったですね」
隣にいた怜奈が、やわらかく微笑んでいた。
涼介の胸の中に、ようやく確かな手応えと、繋がりの実感が宿っていた。
ファミレスをそっと出て、怜奈と二人で夜道を歩く。
「みんな、それぞれ返信しない事情があったんですね」
「そうだね。今まで、返事がないのは嫌われてるからだって、そう思い込んでた。でも……やっとわかった気がする」
涼介は小さく息を吐く。
「たぶん、僕たちは自分の気持ちばかりで、相手のことが“見えてなかった”んだね」
怜奈は、静かに頷いた。
「これからはもう、待ちすぎたり、焦ったりしないでいられる気がします」
そのときだった。
駅前のざわめきの中で、誰かが涼介の名前を呼んだ気がした。
「――市川!」
はっと顔を上げると、向こうに友人の小野田が立っていた。
「おーい、何してんだよ、こんなとこで! 今日授業サボりやがって」
今度ははっきりと、涼介の方を見て、笑いながら声をかけてくれている。
怜奈のほうにも、反対側の歩道から彼女の友人たちが手を振っていた。
現実の世界に、自分の居場所がちゃんとある。その事実が、信じられないほど嬉しかった。
「じゃあ、またね」
「はい。また」
怜奈が涼介に小さく頭を下げ、軽く手を振って友人たちのもとへ駆けていく。小さく見えていた怜奈の背中が、少し大人びて見えた。
「さっきのJK誰だよ。浮気か?」
「そんなんじゃないよ。ただ、道に迷ってただけ」
涼介も小野田と合流し、他愛のない会話をしながら歩き出す。
もう、二人を無視する人は存在しなかった。
週末、沙也加と待ち合わせた。
「最近、全然追いLINEしてこないね」
沙也加が冗談めかして言う。
「そう?」
涼介は照れくさそうに笑った。
「なんか、最近の涼介、雰囲気変わった。余裕があるっていうか――前より、一緒にいて安心する」
その言葉が、心から嬉しかった。
ふと向こう側の歩道を見ると、怜奈が友人たちと笑いながら歩いている姿があった。
怜奈と目が合い、二人で小さく微笑み合う。
――あの不思議な一日は、たぶん涼介たちだけの“秘密”だ。
LINEには、相手の既読がついていないメッセージがいくつもある。
でも、それに一喜一憂することはきっともうない。
スマホの画面をそっと閉じ、今ここにいる人の声に耳を傾けた。
――これからは、待つときも、返すときも相手の心を思いやりながら、生きていこう。
温かな昼の中で、涼介の日常が静かに、新しく始まった。