第63話 バレンタイン(とか言う名前の元ネタの凄惨さを知った上でもハッピーハッピーハッピーな乞食)デー
「小鳥遊、やるよ」
登校早々、和泉さんが俺にぽいっと放ってきた。
透明な袋に入ったそれが何か、俺はすぐに理解した。
中身を見るまでもなかった。
見るけど。
そうして見た中身は勿論アレだ。
内定通知書だ。
千切りされて鳥の巣みたいになったわしゃわしゃの茶色い紙がクッションとなって衝撃を吸収し、かつ可愛らしさも何割か増すタイプの内定通知書。
チョコレートまで入っていて、まるで消しゴムが付いた塾のパンフのようなお得感があるタイプの内定通知書。
「いただけるんですか……!」
「あ? あ、ああ。早めに食えよ」
ごっつつぁんです。
俺は胸の中で万歳三唱。感涙に咽び泣くかと思った。
「タカナシ……これ、受け取ってくれる……?」
席に着いた俺の元へやってきたのはミアさん。
本人はまったくの日本生まれ日本育ちだけど、異国の血が流れているのを良いことに留学生を気取っている、ちょっとおかしなクラスメイトだ。
手には和泉さんのものと同じタイプの内定通知書を持っている。恐らく、同じ日に用意したんだろう。
しかしこの第一声や、恥じらいが全面に出た表情。
是非我が社へ! という強い気持ちが感じられた。
「頂戴します」
俺たちの間にどこか神妙にして緩やかな空気が流れた。
さながら卒業証書授与式。ここはまるで3月9日。教室の窓から桜の雨。
俺の返事がお気に召したのか、ミアさんはニコニコとした笑みを浮かべながら、次の男子の元へ向かった。
切り替えが凄いな。
用が済んだら次。
新入社員もこれくらいの心持ちで社会人としての第一歩を踏み出せると良いな。
「これ、受け取ってくれる……?」
そして奉仕の精神が凄まじい。完全なるボランティアだ。
というか全男子にやって回ってるのか。
応募者全員サービスかよ。
いや俺応募してないけど。
じゃあ結局ただのボランティアじゃないか。
本当にありがとう。
それはそれとして、嬉しい。
まさか本当にくれるとは。
欲しい欲しいとは思っていたけどさ。
しかしそう言えば。
俺は内定を貰っていたはずだけど、当の採用担当の姿が見えないな。
新崎書店の新崎さん。
もうすぐチャイムが鳴ると言うのに──あっ鳴った。
もうチャイムが鳴ったと言うのに、未だにその姿は無い。
珍しく遅刻か。
なんて思う。
世界はそれをフラグと呼ぶ。
新崎書店の新崎さんは、本日体調不良によりお休みとなった。
溜まっていた有休は使ったのだろうか。
HRも終わり、移動教室の準備にかかろうとしたところ、代わりにと言わんばかりに声がかけられた。
浅見さんから。
「た、小鳥遊くん……こ、これ……」
そして、シュバっと俊敏に何かを渡される。
机の中の教科書を取ろうとした手に乗せられたこれ。
内定通知書だ。
「んぁえっ!?」
あまりに唐突だったもんで変な声が出た。
「そ、それじゃ!」
浅見さんはこれまたシュバっと俊敏に教室を出て行った。
化学室は西階段を下っていく方が近いのに、東階段の方へ走っていく。
テンパっているのが手に取るようにわかる。
が、それは俺も同じだ。
テンパっている。
ドアを見て、手のひらを見て、ドアを見て、手のひらを見て、
「あぇ……」
変な声が出た。
急すぎる。いきなりすぎる。突然すぎる。突飛すぎる。短兵急で不意に早手回しすぎる。
いや、嬉しい。嬉しいよそりゃ。
嬉しいけどさ、なんだろうこれは。
取り急ぎ感想を述べるなら、
『急』
の一字に尽きるなこれは。
早くも今年の漢字が決まったまである。
なんだこれ。
総じてなんだ今日は。
俺は内定1社だったはずだ。
はずなのに、蓋を開けてみれば3社からの内定通知。
そして早い段階で決まっていた、いわば本命の1社は音信不通。
さっき「大丈夫?」って送ったけど、既読すら付かない始末だ。
「何してんだ? 行こまい」
顔を上げると、そこには笹塚。
てか顔を上げたってことは、俺は俯いていたのか。
どっかで聞き齧っただろう方言が死ぬほど腹立つが、俺は席を立って、廊下の似合う笹塚と化学室へ向かうのだった。
化学基礎と数Iの教科書を取り違え、こんな時に限って当てられ、化学室中から愛想笑いのようなクスクスが聞こえるのは、もう20分ほど後の話だ。




