私とワタシ
やってしまった……
暗闇の中、怪しく光る豆電球の下。
そこにぽつんと立つ彼奴の姿を認めた瞬間にはもう、ブレーキの掛け方を忘れてしまっていた。
いや、抑だな。
彼奴の隣には、何時もあの女が居た。
あの日も然うだ。
焦ってつい、文化祭中に告白するなんて啖呵を切って、二人きりの瞬間、薄暗い照明に不思議と舞い上がって仕舞って、つい言って仕舞って、そして、やって仕舞ったんだ。
本当は……本当は、こんな心算ではなかったんだ!
もっと二人で色々な所へ行って! 色々な事をして! 少しずつ関係性を深めていく心算だったんだ!
「うん。わかってるよ」
焦っていた……焦っていたんだ。
「うん。知ってる」
偉そうに言って於いて予定の一つもまともに組めなかった。
彼奴の周りには常に人が居て、その輪に入っていけず、その上彼奴の周りには止め処なく女が増えていく。
「優しい人だからね」
其れにしても何だあの片言女は! 矢鱈下品な乳をぶら下げて! 鬱陶しくて敵わん!
「確かにミアさんは大きいけど、そんな言い方しないであげよう?」
あの巫山戯た髪色のギャルもだ! 小鳥遊を品定めする様な視線ばかり送りよって!
「品定めって……」
お前なんかに……お前なんかに……!
── めっちゃ美味いよ。これ超好き。ありがとう。
「ああ、クッキーあげた時だね。嬉しかったなぁ、あんな風に言ってもらえて」
お前なんかに、彼奴の優しさが、暖かさが、測れるものか!!
「そうだね」
……だからこそ、お前には済まない事をしたと思っている。
「ん? 何が?」
今は此れでも、嘗てはお前の事を慮っての行動の心算だった。
ワタシは、お前が好きな人と結ばれれば、お前の抱える問題の殆どが解決すると思っていた。
今でこそ、浅慮も甚だしいと思うが……
「そんなことないよ。ありがと」
……なあ。
「ん?」
自分に優しくして呉れる存在に好意を抱くと云うのは、普通の事だよな。
「そうだね」
普通の人と云うのは、得てして普通の事をするし、1+1はと聞かれたら、2と答える。
須く普遍的な言動を取る。
相違無いな。
「無いよ」
然うか。
「うん」
……ワタシはお前だよな。
「うん。ワタシは私」
ツフフフ……然うか。
私は覚えている。
彼女の自信に満ちたその表情を。
あの姿勢を。
この言動を。
私だけど、私とかけ離れたワタシ。
関係性を深めるにつれて、ぼんやりとしていた輪郭が少しずつ像を結んでいって、いつからか、独立した存在の様になっていって──……
喜べ私。
私の悲願、叶ったぞ。
* * *
彼女の言葉を聞いたのはそれが最後だった。
色々な記憶が朧げで、もしかしたら夢だったんじゃないかな〜なんて思いもした。
でも、昨日も、一昨日も、先一昨日も。
先週も。先々週も。
ずっと返事が無いんだ。
ショックだったけど、どうしようもないから。
私はゆっくりと沁み渡らせるように、現実を受け入れる事にした。
私は普通になりたかった。
……実を言うと私は、今はもう、小鳥遊君の事がそこまで好きじゃない。
勿論嫌いなんて事は絶対に無いし、好きか嫌いかなら大好きだ。
ただ、私の直ぐ近くに、私よりも遥かに彼の事を愛おしいと感じ、焦がれ、惹かれている人が居たから。
好きな気持ちは誰かと比べるものじゃないなんて言うけど、間近であれを見てしまったら、間近であの温度を感じてしまったら、自分の気持ちに自信が無くなってしまったのもまた事実で。
そして、一度そう思ってしまえば、火傷しそうな程の温度が急速に冷めていくのを感じた。
だって、彼女のそれは、熱くなんてなくて、
まるで、彼の様に暖かくて……
ああ、人を好きになるって、こういうことなんだ。
──って、わからされちゃった。
だからもう、いいの。
普通になりたくて、本を読んで創り出した存在。
私のことを守ってくれて、助けてくれて、導いてくれる存在。
思い描いていたのは、そんな風に頼れる強い人だった。
実際は少し……いやかなり違ったけど、でもいいの。
今はもう、貴女しか居ないって、そう思ってるから。
それでね、私、貴女に名前を付けようと思うんだ。
今更かって思うかもしれないけど、良い名前が思いついたの。
ついでと言っては何だけどさ、あのヘアピンもね、貴女にあげるよ。
小鳥遊君とお出かけした時は結局勇気がなくて付けれなかったけど、貴女ならきっと、似合うから。
それにほら、この名前。
真ん中に濁点がついてて、ちょっとあのピンみたいじゃない?
その気品溢れる高貴な立ち振る舞いから。
私の自立に努めてくれた高潔さから。
そこに居るだけで安心してしまうような頼もしさから。
でも根っこでは私と似ていて、臆病さを裏返したかのような、刺々しい厳格な口調から。
……なんて、後付けだけどさ。
実際は少し違うかもしれないけどさ。
でも、ピッタリだと思うんだ。どうかな?
……うん。いつでも帰っておいで。待ってるから。
「ね、アザミ」




