特別で終わる特別な一日
ヴィルヘルムはトーゲルの保護を進める中、セレナ・シュタルクの抜き打ち視察を受けた。彼女は難民保護に理解を示し、試験場の予算で支援を行うことを許可。宴の準備も進行し、職員たちはトーゲルを迎え入れる雰囲気に包まれていた。一方、エレオノーレからトーゲルの驚異的な言語習得能力と常識の違いについて聞かされたヴィルヘルムは、今後の課題を見据えながら夕暮れの宴の準備を続けていた。
夕暮れ、広場で始まった宴には、五十二人の職員全員が集まった。久しぶりの娯楽を楽しみ、新しい住人を歓迎し、元難民の職員は過去の自分を救ったかのような喜びに満ち溢れていた。
石畳の広場には夕暮れの空が広がり、松明の火が揺れながら周囲を柔らかな光で照らしていた。冷たい石畳の上にも、温かさが広がっている。広場の中央には、数本の長い木製のテーブルが並べられ、その上にはシンプルな白いテーブルクロスが掛けられている。テーブルにはラピア農試で採れた新鮮な野菜や果物が並び、次々と盛り付けられた鹿肉料理が登場していた。
宴の主役である鹿肉は大皿に盛られ、その肉は畑を荒らし続けた厄介なボス鹿を仕留めて調理されたものだ。鹿肉はパリッと焼き上げられ、塩とハーブで風味が引き立てられ、炭火でじっくりと時間をかけて調理された。その香ばしい匂いが広場全体に漂い、食欲をそそる。テーブルの脇には、鹿の内臓を使った煮込み料理があり、その色鮮やかな見た目が食欲をさらに引き立てていた。
さらに、オルクセン料理がいくつか並べられている。酸味の効いたキャベツの酢漬けや赤キャベツの煮込みが食卓を彩り、ライ麦パンも切り分けられ、食事にぴったりだ。小さな容器には農試で作られたゼンメルチーズが並び、パウルワインとともに楽しむには申し分ない。
スモークソーセージや燻製肉の薄切りもあり、細かく刻まれたハーブと共に盛り付けられている。これらの風味豊かな料理が宴を引き立てる中、甘酸っぱいリンゴや熟したベリーが飾られ、食事に彩りを添えていた。ビールが樽から注がれ、参加者たちは互いに乾杯を交わし、歓声や笑い声が広場に響き渡っている。
それぞれの部署、肩書、魔種族で固まっているが、酒も回ればいつも自然と溶け合っていく。階級社会を蹴飛ばすヴィルヘルムの影響があるようだった。
そして大きく広がった角のボス鹿の頭は広場の時計塔の前に松明と共に飾られ、その大きく広がる角が、宴の中でひときわ目を引いていた。
トーゲルは当初、宴の中央に用意された止まり木に立ってもらう予定だった。しかし、トーゲルはその提案を断り、やや離れた管理棟の壁際に座ることを希望した。主賓が端に座るのはおかしいと職員は言ったが、ヴィルヘルムは「まだ社会に慣れていないし、言葉もこれからだ。気持ちは伝わるだろうから、見守ってほしい」と諌め、トーゲルが馴染むまで距離を取ることに落ち着いた。
ヴィルヘルムはトーゲルの監視と職員からの守りとして、椅子と小さいテーブルをトーゲルの脇に据え、無言でごちそうを貪って宴を眺めていた。
「ヴィルヘルム。あれら、何、している?話して、食べる。 遅い。」
トーゲルは低地オルク語をかなり習得したようだ。この調子なら、エレオノーレも明日から仕事に集中できるだろう。
「あれは宴ってんだ。あんた・・・トーゲルを歓迎しているんだよ。」
「あれら、とても多い。怖い」
「あんたほとんど一人ぼっちだったんだろ。俺はそっちの方が怖いぜ。まぁ言葉は半日で覚えたんだ。この生活も慣れてくれ」
「山、行きたい」
「あんたが飛べるようになったらな。それまではここが家だ。誰もあんたを傷つけないから心配しなくていい。」
「なぜ、あれら、酷いことをする?」
「何が酷い?なんのことだ」
「獲物、遊んでる」
「んー?」
ヴィルヘルムがトーゲルの視線を追うと、その先に時計塔に飾られている鹿の頭が見えた。
「あれか。俺もいい趣味じゃないと思ってるんだが。あー、生き物を侮辱してる・・・意味わかる?」
「侮辱、相手に嫌な思いをさせること」
「エレネはよくやったな。あー俺は妻のエレオノーレのことを親しみを込めてそういう。夫婦ってわかるか?」
「わかる。大鷲族も結婚して、つがいになる。私はつがいは、ない」
「そうか。俺もしばらくつがいはいなかったよ。そう、生き物には敬意を払うことが大切だ。獲物にもな。あれは誇り高くないよな」
「そうだ。恥ずかしい」
「ああやって誇りたいやつもいるのさ。みんな考えが少しずつ違うんだ。でもこうやって集まって大きな仕事をしている。だから許せる違いは許して、ダメなら話し合う。それでもダメなら遠ざかるを繰り返してんのさ」
「わからないが、わかった。」
「記憶力いいもんな。ともかく俺達はあんたの味方だ。それも覚えておいてくれ」
「なぜ、エルフは、私を殺す?獲物か?」
「お前がここに来た理由だな。あんたは邪魔者だったんだよ。エルフの多くは、エルフ以外の魔種族が邪魔だという考えにまとまったのさ。」
「私は、何も邪魔してない」
「そう、邪魔してない。だが魔種族も人間族も、大勢集まると複雑になって、邪魔になったり土地を奪おうともするのさ。みんな平和に暮らしたいのに、なんでかな」
「ヴィルヘルムもわからない?」
「そう、わからないけど覚えておいてくれ。」
「わからないが、わかった。」
「それでいい。」
ヴィルヘルムは楽しげな宴の様子を見守った。力仕事をがんばったオークたちは遠慮せず報酬を受け取っているようだ。数十キロはある鹿肉がすごい速さで減っていた。
「ところで、子供って知っているか?」
「単独で生活できない生物。雛に似ている」
「まぁ・・・そうだな。あれ見えるか?あの一番小さいヤツ」
ヴィルヘルムは少し視線を逸らし、職員たちと楽しそうにおしゃべりをしているアウローラを指さした。彼女は席を移動しながら、職員たちとじゃれ合い、笑い声が広場に響いていた。
その姿に、ヴィルヘルムは不思議と心が和むのを感じていた。
「暗くて見えない」
「あ、明かりが近くないと見えないのか。ま、この中で一番小さい魔種族が俺の子供なんだ。仲良くしてやってくれ」
「仲良く」
「ピンと来てないか。まだ親が必要で弱い状態だから、攻撃したりするなってことさ」
「お前たち、大人を攻撃する?」
「しないし、しちゃダメだよ。子供には特にな。」
「雛を守る、『雛の守護』の伝承。当たり前だ」
「当たり前だよ。たまに思わないやつがいて、守りきれないから心配してるんだ」
「アウローラは子供だ。守って当然だ」
「安心した。今度紹介する。仲良く・・・俺のように接してくれ。名前はエレネから聞いてたか」
「アウローラから聞いた」
「いつ?会わせてないはずだが」
「魔術会話で話した」
「誰と?誰もできないぞ」
「できる。待て」
トーゲルはそう言うと、わずかに沈黙した。
すると、遠くで大人たちに混ざっていたアウローラが振り向き、席を立って松明に近寄り、こちらに向けて手をふった。
「あれがアウローラ」
「えーー!!」
ヴィルヘルムは今日一番の声を張り上げた。
その声に驚き、宴は止まった。
「みんな大丈夫だ、続けてくれ。エレネ、来てくれ」
ヴィルヘルムは中座して来たエレオノーレに、アウローラが魔術通信の才能があることを告げた。
エレオノーレは半信半疑だったが、トーゲルの魔術通信でアウローラが両手で大きく手を振るのを見て、彼女もようやく納得し、ショックを受けた。
魔術通信とは、大鷲族、巨狼族、エルフ族、さらには一部のコボルト族の生得的な遠距離通信能力である。通信可能距離は約3km、能力を持つ者は少数であるため、オルクセン全域をカバーすることはできない。しかし都市圏ではその高速な通信が商取引や物流の効率化に大きく貢献している。このネットワークは人間族には存在しないため、商業活動において非常に重要な役割を果たしている。
魔術通信は多くの可能性を秘めた力であるが、大鷲族や巨狼族は絶対数が少なく、その性格や身体的特徴によって都市内での定住や継続的な就労が難しい。エルフ族はオルクセン王国には存在しないため、実質的にコボルト族の能力保有者が都市内で活躍している。この能力は生まれつきのものであり、その有無は子供の性別以上に親の関心を引く重要な事柄となっている。
コボルト族で魔術通信の能力を持つ者は、基礎的学歴であっても高待遇を受けることができる。逆説的に、高学歴の中で使える者は少ない。その中でラピア農試唯一の、唯二の能力保持者がトーゲルとアウローラであった。
「とっくにお話相手ができてたってことか。良かったな」
ヴィルヘルムは力なく呟いた。亡命直後、一箇所に集められたエルフィンド難民の中で、魔術通信を使える者だけが高待遇を受けているのを目の当たりにしたとき、嫉妬さえ覚えた自分を思い出し、その感情を戒めていた。
「宝物の中に宝があった、か。アウラの物だ。好きに使えばいいや。なぁエレネ」
「そ、そうね。あの子は何も変わらないんだし」
エレオノーレはそう自分に言い聞かせ、平静を装っている。
「今日は色々あったな・・・トーゲル、お前が振り回したのは鹿だけじゃなかったな」
トーゲルはキョトンとした。
「鹿は、落とした。あとはここにいた」
ヴィルヘルムは微かに笑った
「わからないだろうが、今日の日を覚えておいてくれ」
「わかった。わからないが」
我が子が魔術通信できると知った特別な日。特別な一日が、ようやく終わった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は宴の賑やかな雰囲気と、トーゲルの異文化体験を中心に描きました。また、アウローラだけが使える魔術通信という設定を加えることで、今後の展開に向けた伏線を仕込みました。うまく活きるといいですが……!
特に、ヴィルヘルムの驚きや親としての複雑な心情は、執筆中に自分でも感情移入してしまいました。普段の生活からは思いつかない設定やエピソードも、登場人物たちの葛藤や絆を描く中で自然と膨らんでいった感じです。
また、宴のシーンでは食事や雰囲気の描写を丁寧に入れ込み、現場の温かさと一体感を伝えることを意識しました。原作では食事シーンも魅力なのでチャレンジしましたが、とても及んでいないのが自分でもわかります。
トーゲルがシカのトロフィーを嫌いますが、狩猟経験が少しだけある私の感想です。人それぞれで価値観が違うのも興味深く、今回はそうした違いを会話の中で表現してみました。
次回は物語のクライマックスとなるラストエピソード01を先にお届けする予定です。構成上少し大胆な試みになりますが、クリストファー・ノーラン監督作品のように時間軸を交錯させながら物語の深みを出せたらと思っています。
感想や「いいね」をいただけると、これからの執筆の大きな励みになります! キャラクターの感情や関係性について、みなさんのご意見や印象もぜひお聞かせください。
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