支え合う密談
ラピア農試の職員たちは、麦畑で力尽きた大鷲族のトーゲルを施設へ運び込んだ。介抱する中で、彼の母語が古典アールブ語であることが判明し、隔絶された大鷲族社会の特殊性が浮き彫りになる。言葉も文化も異なる彼を迎え入れる職員たちの奮闘が始まり、異種族間の交流と理解の物語が動き出す。
「ヴィル、ちょっと・・・」
エレオノーレの合図を受けて、ヴィルヘルムは「さーてちょっと仕事すっかな」と忙しいふりをしてその場を離れ、管理棟の裏手に回った。エレオノーレも後から静かにその後を追う。
大鷲族はその鋭い目で知られているが、耳もまた驚くほど敏感である。支援に来た大鷲族から「内緒話は遥か遠くでやってくれ。聞こえてしまうと私も気まずい。」と言われていた。そんな言葉が、彼らの耳の鋭さを物語っていた。
二人は管理棟の裏でしゃがみ込んで縮こまり、声を潜めて会話を交わした。
「どうした?」
「トーゲルさん、里のこと全く知らないらしいのよ。」
「知らないって、何を?」
ヴィルヘルムは少し驚いた表情でエレオーネを見た。
「全てよ。肉の解体も初めて見るし、魔種族を間近に見るのも初めて。何もかも空からしか見たことないの。窓のこと、なんて言ったと思う?」
「『こんなイナカに立派なガラス窓ですね』じゃないよな?」
ヴィルヘルムは少しおどけたが、エレオーネは真顔で答える。
「『春なのになぜ溶けないのか』って。」
ヴィルヘルムは思わず頭を抱えた。
「まぁ俺もオルクセンの街に来た時はびっくりしたけどさ、エルフィンドの地主の屋敷でも見たことあるぜ?」
「そうなの。街にも・・・里にも近づいたことなかったんだって。」
ヴィルヘルムはひと息つき、腕を組んで考え込む。
「どうすっかなぁ・・・これじゃ移民管理局どころか町役場ですら話にならんぞ。お前が付き添ってやるってのは?」
「それは無理。ちょうどフェルナリウムが花芽形成前なの。見逃したくない。それに他の薬草だって、誰が面倒見てくれるの?」
行政機関がある最寄りの街は州都ラピアカプツェ、夜明けから歩いて往復、徒歩一日はかかる。しかもトーゲルを伴わない場合の話である。歩けない魔種族と同行するか、手紙で行政官を要求するか、いつ来るか、来てくれるのかもあてにな
らない。道のりの困難さは明らかだった。
ヴィルヘルムは肩をすくめ、やや大きな息をついた。
「だよなぁ・・・どうすっか。」
エレオーネは少し考え込み、決意を固めた様子で言った。
「でもほっとけないわよね。彼、全身痛くてしばらく飛べないって」
「だろうな。あれだけやって飛べたら、そっちの方が驚きだぜ。しかしなぁ・・・」
ヴィルヘルムは考え込んだ。
「・・・受けた恩は目の前に返せ、か。我が王のお言葉がこんなことになるとは」
「商会もきっと協力してくれる。会長は難民出身でしょ」
「また甘えるのか?会長はよくてもセレナ嬢がなぁ」
コボルト族のセレナ・シュタルクはラピア農試の監督を担当している。彼女の仕事に対する厳格さは、粗野なヴィルヘルムとはどうしても相性が合わない。これまでヴィルヘルムは理路整然と成果や要求をセレナに説明し納得させてきたが、今回は彼女がすぐに隙を見つけるだろうと、ヴィルヘルムは予測していた。
「とりあえず毎晩低地オルク語を教えるから、あとはなんとかして。」
ヴィルヘルムは驚き目を見開く。
「え、何年かかんだよ?」
「それが、言語能力がとても高いの。文脈的手がかりですぐ新語の意味を推測して、あっという間に語彙が増えてく。たぶん記憶力もいい。語彙の自動化を・・・すぐ足がかりができるわ」
「だろうな。連中メモも取らずに全部覚えやがる。ま、書けないから覚えるしかないのか。我が王より下賜された鉛筆を使わないとは不敬だぜ」
「じゃあ、それでいい?」
「それしかないか・・・アウラどうする?そろそろ起きるぞ。というか、トーゲル、悪党じゃないよな?まさか悪さして同族から追放されたとか。」
ヴィルヘルムは一人娘のまだ幼いアウローラを気にかけていた。彼女はまだヴィルヘルムの家で眠っている。
エレオーネはしばらく黙って考えた後、答えた。
「それはないと思う。誇りをとても気にしてて、鹿のことも恥じているわ。」
「英雄様が何を恥じるんだよ。偶然あんな肉取れたら豊穣の大地に大感謝だ」
「獲物を苦しめてしまったって。飢えで我を忘れて、手に負えない大物を狙って恥ずかしいって。」
ヴィルヘルムは肩をすくめながら答えた。
「ふーん、高潔だねぇ。幼虫食いながら谷を越える根性はなさそうだ。まぁ、悪いヤツじゃなければとりあえずいいや。」
話がまとまってヴィルヘルムは意思を決めた。
「しばらく俺が様子を見る。アウラはしばらく近づけるなよ。」
「もちろん。」
「じゃあさりげなく広場で集合だ。少し間をおいて来い。」
「ちょっと、私が先よ。」
「へいへい。」
エレオーネは立ち上がったが、思い出したかのようにまた身を潜めた。
「あと、私も虫嫌いよ。」
「でも食ったろ?」
エレオノーレは立ち上がり、口を歪めてヴィルヘルムに言った。
「だから余計嫌いになったわ。」
彼女は怒りの足取りで去っていったが、曲がり角の手前で一度立ち止まり、呼吸を整えた後、さりげない歩みに切り替えて曲がっていった。
今回は会話を中心に、登場人物たちの関係性や性格を描きつつ、物語の世界観や伏線を織り交ぜることを意識しました。シンプルに読める内容を目指しましたが、トーゲルの文化的背景や言語能力の説明を自然に盛り込むのは難しく、試行錯誤の連続でした。特に、エレオノーレとヴィルヘルムの掛け合いでは、テンポを重視しながら伏線を張るバランスに気を配っています。
物語はこれから、トーゲルとヴィルヘルムたちの関係をさらに深掘りし、異文化の交錯による衝突や変化を描いていく予定です。次の展開も楽しんでいただければ幸いです!
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