最終章 : 銀の鍵と金の鍵 episode03 プレゼント交換と冒険の始まり
イザベラ・ファーレンスは、薄紫色の絹やサテンで作られた華やかなドレスに身を包み、エンパイアラインで引き締められたシルエットが見る者を自然と魅了していた。精緻な刺繍と同色のリボンが繊細なアクセントとなり、頭には淡いピンクの小花飾りをあしらったベルベット製の帽子が上品に輝いている。耳元のゴールドのイヤリングがかすかに揺れ、そのきらめきが彼女の動きに合わせて空間を満たしていた。
「お久しぶりでございます、ウィリアム卿。このたびはお運びいただき、心より感謝申し上げます。また、不便をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。」
イザベラの声は柔らかく、それでいて凛とした響きを帯びていた。彼女が優雅に頭を下げると、ドレスの裾がわずかに揺れ、その動きが彼女の洗練された身のこなしを象徴していた。
ウィリアムが扉をくぐると、静謐な空気が船室を満たしていた。窓のない部屋には外光が届かず、真鍮製のランタンが吊るされ、蜜蝋の蝋燭が穏やかに揺れている。
壁面にはグロワール式の装飾が施され、彫刻の施された木製パネルと装飾的なモールディングが目を引いた。部屋の中央には美しい木目の艶やかなテーブルが置かれ、その両側には気品漂う椅子が配置されていた。
「久しぶりです、ファーレンス夫人。ようやく再会できました。」
ウィリアムは穏やかに微笑み、肩をすくめて軽く苦笑した。
「伺いたかったのに、デュートネの奴も余計な真似をしてくれたものです。」
デュートネによるキャメロットの孤立を狙った海上隔絶令は、既にグロワールの弱体化によりその力を失いつつあった。アッシュボーン商会はその隙をつき、軍資金や物資を密かに星欧大陸へ運び込み、キャメロット軍を支援していた。
「本当ですわね。」
イザベラは控えめに笑みを浮かべると、わずかに唇を引き締めて表情を整えた。
「このような手狭な場所へお運びいただくこととなり、心よりお詫び申し上げます。どうかご容赦のほどお願い申し上げます。」
彼女は優雅な動作で深々と頭を下げ、その一挙手一投足に丁重な敬意が込められていた。
ウィリアムは周囲を見渡しながら、懐かしそうに微笑んだ。
「来て正解でしたよ。なんとも面白い趣向で、すっかり楽しませてもらいました。こういう船、素敵だなぁ。昔、木箱を組み合わせて隠れ家を作り、夢中で遊んでいたのを思い出しましたよ。」
彼の目はどこか子供のように輝いていた。
「まさに、僕が思い描いた夢の船です。」
ウィリアムの飾らない言葉に、イザベラの目が一瞬柔らかく和らいだ。
「まあ、そうでしたのね。私も同じですわ。母がお裁縫をしている間、机の下に入り込んで、よく遊んでおりました。」
彼女の声には、過去を懐かしむ温かさが滲んでいた。
ウィリアムは大きく笑い、肩を軽く揺すった。
「ははは。僕ら、やることは同じですね。」
その言葉に、イザベラも柔らかな微笑を浮かべ、優雅に頷いた。
「ええ、そうですわね。」
彼女の表情には、相手を包み込むような優しさが滲んでいた。
「そうだ。この素晴らしい再会を祝して、ささやかな贈り物をご用意しました。ぜひお受け取りください。」
ウィリアムの言葉に、ダリアンは部屋を見回していたピーターに目をやり、彼の抱えていた包みを無言で取り上げた。そして、慎重な手つきで包装紙を剥がし始めた。
「あら、それは素敵。実は私も準備しておりましたの。カティ?」
通路に控えていたカタリーナが、メイドとして仕えるコボルト族コーギー種の二匹を伴い、部屋に入ってきた。それぞれの手には大きさの異なる包みが抱えられている。
中央の机を挟み、ファーレンス商会とアッシュボーン商会が左右に向かい合い、静かにその場の緊張感を漂わせていた。
ダリアンが丁寧に包装をはがしている間、イザベラは場の雰囲気を読み取り、軽く話題を変えた。
「そうそう、忘れないうちにひとつだけお話いいかしら?」
「なんでしょう?」
「たいしたお話ではないんですけど、そろそろキャメロットが勝利しますでしょう?そうしたらエリクシエル剤はもっとお譲りできそうですわ。」
「そうですか。ありがとうございます。」
ウィリアムは柔らかく微笑みながら答えた。
ダリアンはその言葉に驚き、手を止めた。しかしすぐに冷静さを取り戻し、開梱を続ける。
(今、とんでもねぇこと言ったぞ。国が垂涎の戦略物資を「忘れる」?「大したことない」?これがファーレンス夫人の先制攻撃か。もう戦闘開始ってわけだな・・・いや、挨拶の時からか。)
包装を外し終えると、ダリアンはハンカチで丁寧に絵と額縁を撫でた。
(終わりが見えない泥沼戦争が「もうすぐ終わる」?勝利を断言できるなんてやつ、聞いたことねぇ。なぜエリクシエル剤が増える?しかも会長はとっくに予想してた・・・あんた、やっぱりすげぇよ。)
ダリアンから絵を受け取ったハロルドは、絵の向きを一瞥で確認し、丁寧に直してからウィリアムに手渡した。
「この絵は我が家にあった中の一枚で、昔父が買い付けたと聞いています。僕はよくわからないので、良かったら飾ってください。」
ウィリアムはさらりとした口調で夫人に絵を差し出した。
(画商と頭取で一晩中かけて選ばせたのに人が悪い。)
ダリアンは心の中で毒づく。
「こんな素敵な絵、遠慮する方が失礼かしら、ありがとう。まぁ穏やかで力強い絵ですこと。」
イザベラは微笑みながら絵を見つめた。
(誰も見てねぇ屋敷の寝室にあったんだ。玄人好みのチェズウィックの初期作、ああもったいねぇ。さぁ夫人、場所くらい当ててくれよ。先代のメンツがかかってるぜ。)
「ほんと素敵。」
イザベラ絵に視線を向けたまま続けた。
「無学ですけど絵は大好きなの。粗いタッチに迷いがないのね、若さを感じる。勢いと繊細さがお見事ね。そう、光霧法に挑戦してるの。キャメロット北部だけど小麦畑の絵・・・エドワード・チェズウィックの作品みたい。そうだったら嬉しいわー。いえそうでなくても宝物にします。ありがとう、お父様はご慧眼ね。」
(全部当てやがった!時期まで!)
ダリアンは心の中で息を飲む。
(画商でもヒントなしじゃ無理だったぞ。サインがないのになぜわかる!アイツ出禁だな。何が「好事家でなければわかりません」だ)
ハロルドは涼しげな表情を崩さなかった。
「ほう、そうですか。気に入っていただけて何よりです。パラストブルクに商館を新設すると伺いましたので、ぜひそちらにでも飾ってください。」
ウィリアムの言葉は穏やかだが、どこか含みがある。
(うちはオルクセン内陸にも糸を張ってる。仲買人の言いなりじゃないぜ。びっくりしたかよ夫人)
「秘密にしてたわけではないんですの。お越しの際はぜひお立ち寄りを。お父様がご存命の時にお話ししたかったですわ。大切にします。でも本当によろしいんですの?」
イザベラは問いかけながらも、どこか挑むような笑みを浮かべた。
(おいおい夫人、負け惜しみか?可愛くないぜ。ピーターはアホ面か。絵はわかんねぇもんな。俺もだ)
「価値がわかる方に渡って父もきっと喜んでいます。そのまま収めてください。」
ダリアンは少し眉をひそめた。
(キャメロットの画家まで精通してるとはなんて教養だ。在オルクセン支店もそのくらい掴んどけよ。)
「ではこちらかもお祝い。こちら奥様に。趣味が合わなかったらごめんなさい。」
カタリーナは包装紙の最後の一枚だけ残された品物を、テーブルに置いた。
イザベラが柔らかな微笑みを浮かべながら、そっと包装された品を差し出す。
「これは見事だ。妻が喜びます。」
ウィリアムは包みを開きながら感心した声を漏らした。
(ピーター!ビビるな!こっち向くな!恥ずかしいから顔に出すなよなぁ。)
ダリアンは心の中で苦笑する。
(樽物なら誰にも負けないが、夫人服苦手なんだよなー。すげぇレースだ、いい仕事してやがる。ざっくり俺の家一軒分ってところか。)
「軽くて柔らかいモスリン、カンブリックレースの縁取りも洗練されていますね。」
ウィリアムがじっと品を眺めながら続ける。
「このステッチ、見た目だけでなく耐久性も高い。特に袖口のダブルヘム仕立ては豊かな技工だ。この琥珀ブローチ、夫人の鉱山で話題のグリーンアンバーでは?濃淡が均一なのは、相当な手間の選鉱と加工だったでしょう。」
(さすが会長、女物もバッチリだぜ。)
ダリアンが一瞬感心しながらも心の中で呟く。
(カミさん一筋って話だが、上流階級は色々あんだな。)
「部下にはウィリアム家に差し上げて恥ずかしくない物をと。わからないけど喜んでもらえて嬉しいわ。部屋着にでも使ってくださいね。」
イザベラの言葉は控えめながら、どこか自信に満ちていた。
(何言ってやがる。知らないわけないだろ。)
ダリアンは少し眉を上げる。
(あんたの着てる服、二軒分だろ。そのくらい俺でもわかる。しかし一軒分が部屋着とは)
「いや素敵だ。」
ウィリアムが丁寧にブローチを手に取り、光を当てて眺める。
「琥珀のファセット加工は、夫人の工房の新技術では?」
(見たか!会長は金融だけじゃねぇ。審美眼にたまげろ!)
ダリアンは目を細めた。
(工房の琥珀、卸してもらえねぇかな。原石でもいい。オスカーなら間違いねぇが、もう辞めちまったのか)
「よくご存知!オルクセンではうちだけですわ。」
イザベラが満足げに答えた。
(夫人、おとぼけが崩れてるぜ。)
ダリアンの唇が微かに動く。
(やったな会長。あんたは俺達のボスだよ)
「あとこちらは赤ちゃんに。先程の部屋着とお揃いにしましたわ。ご子息が誕生されたと伺って、居ても立っても居られなくなりましたの。」
イザベラはメイドからもう一つの包みを受け取り、柔らかな微笑みを浮かべながらそれを差し出した。
(赤・・・ちゃん?息子?)
ダリアンは戸惑いを隠せない。
(やべぇ頭取が!「柔手の鉄槌」の顔が・・・身内の秘密だったのか。なにかあって公表を控えてた・・・。俺にも知らせない秘密をどこで・・・)
「嬉しくって、お名前の刺繍も入れちゃいました。ほらここ、エドワード・ライオネル・アッシュボーンで合ってます?」
イザベラはさらりと笑顔で続けた。
(名前まで!頭取、頼むから抑えてくれ!ピーター!ニコニコすんじゃねぇ!口開けたらぶん殴るぞ!)
ダリアンは内心で息を呑む。
(とんでもない情報力だ。だがバラしちまっていいのか?言いたくない理由、産後に問題あったってことだろうが。考えたくはないが・・・秘密を暴いたまま赤ん坊が死んだらアッシュボーンの家名に関わる。ファーレンス、そんな博打を打つのか?残酷過ぎるぜ)
「そうだ君たち、発表パーティーの招待状は手配済みだが、まだ届いていなかったかな?息子も力がついてきたので紹介するよ。ピーター君はダリアンと一緒に来たまえ。」
ウィリアムが皆に振り向いて空気を変えた。
(会長助かった。いいフォローだ。)
ダリアンは感心しつつ眉をひそめた。
(フゥ、悪球を受けとめてくれた。赤ん坊も元気になったらしい。絶妙なタイミングでバラしやがるから会長も怒るに怒れねぇ。健康状態までどうやって知った・・・招待状・・・郵便屋か?)
「あら、せっかくのサプライズをごめんなさい。私ったらはしゃいでしまって。」
イザベラは軽く頭を下げたが、その瞳には微かな光が宿っている。
(郵便のわけねぇな。)
ダリアンは即座に思考を巡らせる。
(海越えのオルクセンが速いのはありえねぇ。仕立てや刺繍も時間がかかる。相当前に掴んでねぇと・・・)
「情報は鮮度が命です。かまいません。それに、サプライズは柄ではない。」
ウィリアムの言葉は穏やかだが、こわばりを感じた。
(夫人が謝って会長が許す、器量を見せた会長やや有利か?だが・・・半歩間違えばファーレンスどころか国交がヤバかったぞ。あんたの王様に仲裁でもさせなきゃアッシュボーンは納得しねぇ。デュートネなんか知ったことか。わかってんのか?)
ダリアンは眉間にしわを寄せた。
(ファーレンス、あんた会長が許すと読んでバラしたろ。悪いがペナルティだ。貸しはでかいぜ)
「本当にごめんなさい。あ、そういえば鮮度と言えばこちらもどうぞ。」
イザベラは二人目のメイドから包みを受け取り、柔らかな微笑を浮かべながらそれを差し出した。
「うちの農場の薬草でございます。赤ちゃんの滋養にいいと、ホーフマイスターが出発の朝に手ずから摘みましたの。」
「フェルナリウム・・・摘みたてはこんな香りが。」
ウィリアムは包みを開けただけで匂い立つ香りに感心した様子を見せる。艷やかなフェルナリウムの実は葉と茎が揃ったまま、しっかりと整えられ、美しい束となっていた。
フェルナリウムは「銀の鈴」とも呼ばれている薬草だ。太い茎に滑らかな楕円形の葉をつけ、先端に黄金色の星形の花が咲き、茎中ほどには深緑から黄金色に熟す鈴状の球形の実が連なる。1cm程度の実には高い薬効があると言われており、ある地方では庶民でも子供の誕生の祝いに乾燥させた実を贈り合う習慣がある。ただし通常は使用されず、新たな誕生の際に再び贈られている。
「ありがとう。切らしていたので心配性の妻も安心します。」
(くそ!なんて返しだ。ファーレンス、あんた汚ぇよ)
ダリアンは眉をひそめた。
(赤ん坊が人質かよ、会長は許すしかねぇ。ったく欲しい急所ついてくるぜ。このルートから情報漏れたか。だが名前まで・・・買収か?・・・サナトリウムの医者はアッシュボーンの身内も同然、言うわけないか。アホのピーターでさえ俺に相談してきた)
「まぁ・・・。ウィリアム卿が一番心配していらっしゃるのは私も存じてますわ。」
イザベラは声を落とし、優しい口調で続けた。
「差し出がましいですが、雌の立場から申し上げますと、奥様にはお気持ちを正直にお話しになったほうがよろしいかと。言葉にするだけで十分救われます。」
(内情まで知ってんのか?それとも当てずっぽうか?あんたは魔女だよ。いや魔種族か)
ハロルドは無表情のまま姿勢を正し、乱れもなく直立している。反対に立つピーターは前かがみで懸命に匂いを嗅いでいた。
(ピーター、スンスンうるせぇよ。まぁ見たことあっても嗅いだことはないから当然か。銀の匂いだ、よく覚えとけ)
「心がけます。」
ウィリアムは控えめに頷いた
(会長、失礼だが立派になったな。ファーレンスとやり合う時は声かけてくれ。俺が一番にぶっ飛ばしてくるわ)
会長は続けた。
「失礼、ひとつ伺ってもよろしいですか?試験農場のラピアカプツェからネーベンシュトラント港までは馬でも五日はかかる・・・。そして魔種族は馬が得意でないと聞いてます。無論夫人の言葉は信じていますが、朝摘んでから、たった数時間で?」
(俺としたことが気づかなかった!)
ダリアンは内心で頭を抱えた。
(さすが会長だ。ここまで香る鮮度、嘘じゃねぇ。ラピアカプツェは内陸だ。すると港の側で栽培?いや、あんなでかい実のフェルナリウムがそこらで生えるなら銀と等価なわけがない。土と手間は絶対だ。・・・冷却魔術刻印板か?いや香りは問題じゃない。問題は輸送速度・・・。本当なら銀じゃねぇ。「金の鈴」になる)
「ウィリアム卿でもご存じないことがございますのね。負けっぱなしで初めて勝てた気分。花を持たせて頂けて嬉しいわ」
イザベラが軽く肩をすくめながら微笑を見せる。
(よく言うぜ。あんたは火薬庫で蜜蝋いじって遊んでんだ。会長に火種を受けさせやがって)
ダリアンは内心で毒づいた。
(会長には悪いが今は手が悪い。なんとか巻き返してくれ。ヒントはないか・・・パンくずばかりで家が見えてこねぇ。パンがでかすぎだ)
「買いかぶりです。」
ウィリアムはわずかに苦笑した。
「僕など、まだまだ知らないことばかりです。特に女性の心となると。」
「それは雌の小箱の中ですわ。」
イザベラが軽やかに返した。
(世界の珍品、発明を手にしてるのはキャメロットだ。うちが知らないはずはない。なぜオルクセンが・・・噂の蒸気機関車?歩くより遅いって話だが・・・在オルクセンから何も聞いてねぇ。けど頼りにないからなー)
「ですが、家族を愛してらっしゃる優しいウィリアム卿ならきっと開けられます。」
「ははは、金の鍵では開かなそうですね。それで、先程の・・・」
ウィリアムは笑いながら話を切り替えた。
「そうそう、わざわざ海の上までお招きしたのはそれが話の鍵だからですわ。」
イザベラは上品な微笑を浮かべた。
(そう、話の「鍵」だ。赤ん坊の暴露も輸送力の話の布石か?ならば無礼寸前もわからなくはない。それだけのため?)
「あら、アッシュボーン家の前で鍵の例えは失礼かしら?」
「むしろ望むところです。」
ウィリアムは力強く答えた。
「当家の家訓は『鍵の守護は黄金』。信用を守ることは黄金に等しい。部下たちにもよく伝えております。」
(頭取は助け舟なし。柔手でぶん殴ってるのはあんただぜ。昔は会長をカードで泣かしてたっけな。子供に本気出すなっての。泣きながら続けさせて・・・あの異名は俺が来る前からか)
「信用しております。」
イザベラは軽く頷いた。
ダリアンは思考を巡らせていた。
(アッシュボーンを超える情報収集能力を誇示・・・商会の格式ってもんがあるだろう、ケンカ売ってるのか?ケンカと言えばゴールデン・キーだ。なぜ強引に密談する。なぜ姿を見せなかった。洋上だけじゃ心配なのか?国賓を乗せる船だ、万が一もないぜ。こんなおしゃべりのために会長引っ張ったわけじゃないよな。)
「お掛けになって。」
イザベラは部屋のテーブルに向かい合わせに置かれた二脚の椅子のうち、一脚をウィリアムに勧めた。
その後、イザベラには秘書のカタリーナが、ウィリアムにはハロルドがそれぞれ椅子を引いた。
「お茶は何をお召し上がりになりますか?」
「夫人と同じもので。」
イザベラはクスリと微笑みながら頷き、二人のメイドが一礼して部屋を出て行った。
「そうですわね、簡単に申しますと、『ファーレンス商会の銀の鍵』と『アッシュボーン商会の金の鍵』を持ち寄って、一緒に宝箱を開けましょう、というお誘いです。」
イザベラは軽やかに微笑みんだ。
「まるでキャプテン・ビルキットの冒険ですね。子供の頃に憧れていました。」
ウィリアムはわずかに笑みを浮かべ、控えめに返した。
「そうね、海賊のお話みたい。」
イザベラは楽しげに目を輝かせる。
(会長、本好きだったな。倉庫の隙間で読んで・・・よく匿ったもんだ。頭取に捕まってたが、タイミングといい、ありゃ知ってたな。)
「でしたら宝の地図を見てくださる?」
イザベラは何も無いテーブルの左に人差し指を置き、ゆっくりと指を動かし始めた。
「今はここ。宝島の場所はこの海から西・・・50海里先にある島。その名も・・・」
指を動かし、中央へ静かに滑らせた後、止めた。
「キャメロット連合王国。」
ウィリアムはまさかと思いつつ、あえて先手を打った。ささやかな抵抗だった。
「そう。キャメロット連合王国・・・ですわ。」
イザベラは不敵に笑みを浮かべた。
「で、宝箱は島のどこに・・・?」
「・・・宝箱のありかは金融街、シティ・オブ・ログレス。」
ハロルドのまぶたが僅かに動く。夫人は構わず続けた。
「アッシュボーン商会の眼の前。」
イザベラの微笑みが一層深くなり、指先をテーブルの中心を小さい丸でなぞった。
ーーー夫人はまだ言いたそうだ。ここは乗るか。
「わくわくしますね。読む手が止まりません。『海賊は二つの鍵を宝箱に挿し込んで回しました』するとどうなりましたか?」
ウィリアムは迷ったが、好奇心に抗えずあえて進んだ。
待ってましたとばかりに夫人も乗り出した。
「『まず大地が震えました。立つこともできない大きな震えです。そしてその震えはあっという間に世界へ広がりました。人々は世界の終わりに怯え、自分の家を捨てて逃げ出しました』」
イザベラは子供を怖がらせるように低い声で話した。
「それは面白い。それから?」
ウィリアムも調子を合わせて企みの笑みを浮かべる。
「『宝箱から金貨が飛び出しました。金貨は空高くへ飛んでいきました。高くたかーく舞い上がって・・・仲間の金貨をいっぱい連れて、海賊たちに集まってきたのです。こうして海賊たちは、持ちきれないほどの金貨を手にしましたとさ』」
手をぱっと開き、ひらひらと上下に動かし、金貨が降り注ぐ様子を芝居がかった動きで表現した。
ーーーめてたしめでたし、で終わるのはおとぎ話・・・。しかし・・・夫人、僕を試してるな。
「頁をめくってください」
「ウィリアム卿。ご足労頂いた甲斐がありました。」
イザベラは軽く礼をし、続けた。
「『戦いが始まりました。・・・家を捨てた人々は、世界を揺らした海賊たちを許しません。たくさんの船が海賊に襲いかかりました』」
声色はまた低くなり、挑発的な笑みが口元に浮かぶ。その余裕たっぷりな態度が、周囲に微かな緊張感を漂わせた。
ーーーやはりそうか。だが、これまでも戦ってきた。信頼できる仲間たちと共に。
「となると、役を変えないといけませんね。ウィンデンハム男爵とキャプテン・ドラゴミアだ。無双艦隊はどこから?」
「全方位から。とても賑やかになるでしょうね。面白いでしょう?」
イザベラは微笑みながら、ゆっくりと背筋を正すと、再び両手を優雅に膝の上で組み直した。
ーーーファーレンス夫人。僕は常に敵と戦ってきた。相場は荒れ狂う大波。多くの船が木の葉のように沈んだ。投資は敵。大穴を隠した船を差し出し荷を載せろと微笑む。取引は敵。握手で縛り、残った手でナイフを突き立てる。それをあなたは・・・僕と舳先を並べて共に戦おうとおっしゃる。敵である僕と・・・
ウィリアムは軽く頷きながら、視線を夫人へ向ける。
ーーー夫人は母親役、僕は子供役か。
「楽しみになさって。」
イザベラの言葉には自信が溢れていた。
「ふっ」
ウィリアムは夫人の爛漫さに笑ってしまった。
ーーー懐かしいな。この、相手の手が全く読めない感じ。「考えなさい。進めなさい。必ずヒントはあります」か・・・
(無理だ。もうわかんねぇ。)
ダリアンは頭を抱え、内心で嘆いた。
(会長頼む!)
風邪で執筆が進まなくなりました。休んでしまいすみませんでした。




