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ファーレンスと信頼の銀翼  作者: 牛猫丸
第二章 お勉強の時間
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国民の義務と家族の絆

エレオノーレは過去の詩が偶然目の前に現れたことで動揺し、古典アールブ語文学への愛を失った自分を再認識する。ヴィルヘルムは、彼女の過去をアウローラとトーゲルに語り、母への理解を促した。やがてエレオノーレは娘たちの学びの姿に触れ、自らの傷と向き合う決意を固める。娘たちとの交流を通じて彼女は、自分が失ったはずの文学への情熱を取り戻し、過去の呪いを乗り越えるため、新たな詩作に挑むことを宣言する。家族の絆は彼女の心を再び温め、未来への歩みを力強く後押しした。

「大鷲族が来なくなった理由はこれか」

 ヴィルヘルムは、夕食後の居間で書類整理をしていた。テーブルには冷めかけたコーヒーのカップが置かれ、香りが部屋に漂っていた。以前、ラピア農試に巡回していた大鷲族が来なくなった理由をファーレンス商会に問い合わせていたが、その返事の郵便がようやく届いたのだ。カップを手に取って一口飲み、トーゲルの小屋に向かった。




 小屋ではアウローラとトーゲル、そしてエレオノーレが問題を出し合いながら楽しんでいた。


「じゃあトーゲル、次の問題。『喜びよ、神々の美しい輝き、エリュジオンの娘よ』」


「『炎に酔いしれて入ろう、天の神よ、あなたの聖域に。あなたの呪文が再び縛る、流行が厳しく分かつものを。すべての魔種族は兄弟となる。汝の優しい翼が宿る所で。』だが、私の翼ではない。」


「正解!」

 アウローラは嬉しそうに声を上げた。


 エレオノーレは小さく拍手してトーゲルを褒めた。

「さすがね、トーゲル。ところで『エリュジオン』はどういう意味かわかる?」


「意味は『古代神話の楽園または理想郷』だ。キャメロットではエリジウム、グロワールではエリジュ、エルフィンドではエリュアルナと呼ばれている。」

 トーゲルの記憶力は目を見張るものがあり、その本質的な意味までも理解しつつあった。


「アウローラ、次は私の番だ。『ああ、魔種族の心よ、何と驚嘆すべきものであるか。』これはどうだ?」


「『そは、いかなる艱難辛苦をも凌ぎ、試煉の中においてなお輝きを放つものなれど、もし愛を失う時、無辺なる虚無の淵に沈みゆく悲哀に苛まれるものなり。』どう?」


「正解だ。アウローラ、すごいな。」

 トーゲルは感心しつつも、負けじと暗記に励むアウローラに対抗心を燃やしていた。彼女はトーゲルが施設や村を巡回している間も、コツコツと暗記を続けていたのだ。


「アウラ、意味はわかるかしら?」

 エレオノーレは少しいじわるに問いかけた。これは次の段階に進むきっかけを作りたいという彼女の願いでもあった。


「うーん、わかんない・・・」

 アウローラは困った表情を見せた。


「私もだ、アウローラ。エレオノーレ、なぜ古語の言い回しのまま覚える必要があるのだ?現代語で覚えた方が早いのではないか。」

 トーゲルからの率直な疑問に、エレオノーレは驚きを隠せなかった。つい数ヶ月前まで、彼はアールブ語の古語しか知らなかったのだ。


 エレオノーレは優しく答えた。

「古語を知ると、昔の人々の考え方や生活がわかるのよ。それに、言葉の成り立ちや歴史も学べるの。今の表現にも応用できるし、古い本だって理解できる。あと、文化や伝統を守る手助けにもなるの。何より、とても面白いわよ。」


 アウローラにはまだ難しい部分があったが、トーゲルは「文化や伝統を守る」という言葉に深い感銘を受けた。彼は伝統を行動規範として重んじており、「過剰な狩りをせず山を守る」という姿勢もその信念の表れだった。


 そこにノックがあり、開いたドアからヴィルヘルムが顔を出した。


「やっぱりここか。ちょっと話があるんだが・・・ま、ここでいいか。トーゲルも聞いておいたほうがいいだろう。」

 そう言うと、ヴィルヘルムは小屋に入り、壁の隅に立った。小屋に4匹が集まると、さすがに狭さを感じた。


「何があったの?」

 エレオノーレが聞いた。


 ヴィルヘルムは彼女に頷くと、トーゲルに話しかけた。

「トーゲル、お前が来る前、だいぶ前の話だ。その頃は不定期に商会の大鷲族が来て、獣を追い払ってくれていた。それがいつの間にか来なくなったんだ。」


 トーゲルは黙ったまま、じっと聞いていた。


 ヴィルヘルムの説明はこうだった。

 農場を巡回していた大鷲族は、ファーレンス商会に雇われていた。彼らは特別な郵便の運搬や各農場の巡回などを担う、独立の気風を持つ大鷲族の中で、希少な商会所属の者たちだった。しかし、グロワールとオルクセンとの戦争、とりわけ「グロースゲルシェンの戦い」において、大鷲族の上空偵察任務が極めて有効とされ、戦争に参加していなかった大鷲族も次々と徴兵されたのだ。その結果、商会に所属する希少な大鷲族がさらに減少し、遠方の巡回まで手が回らなくなっていた。


「それで獣に好き放題やられてたってわけだ。お前が落ちてきてくれて助かったぜ。」


「そうか。だから街も大鷲族の巣が空いていたのだな。私も戦争に行くのか?」


「そんな!いやだよ!」

 アウローラは悲痛な声を上げた。震える彼女を、エレオノーレはそっと抱き寄せ、優しくその背を撫でた。


「あーしまった!そういうことになる・・・お前はもう戸籍の申請をしちまった。徴兵はそれを元に選定される。考えたくもないが、あり得る話だ。」

 ヴィルヘルムは複雑な気持ちで口を閉ざした。家族同然のトーゲルを危険な戦地に送りたくない。しかし、誰も進んで戦場に行きたいわけではないが、市民として義務を果たすのは当然だと彼もわかっていた。この国で得た家族も生活も、他国との戦争を経て勝ち取ったものであるという現実があった。


「パパ、取り消せないの?」

 アウローラの願いにヴィルヘルムは一瞬考え込んだが、首を振るしかなかった。


「市民になれば国に認められると思ったが、殺し合いもするのか。」

 トーゲルは淡々とした口調で言ったが、内心は穏やかではなかった。彼の信じる伝統、すなわち「食べない狩りはしない、無駄に命を取らない」という伝統に反する現実が、彼の心を揺さぶっていた。


「『権利と義務』ってやつだ。認めて欲しいなら、認められるよう犠牲を払えと、そういうことだ。」

 ヴィルヘルムは苦い笑みを浮かべた。その言葉には、戦争が避けられない現実に対する諦めがにじんでいた。


 当時、多くの市民たちは国を守るための戦争を義務として受け入れていたが、それは同時に重い負担でもあった。農村では働き手を失う恐怖が常に付きまとい、都市では戦争の費用や徴兵が引き起こす混乱が市民生活を疲弊させていた。


「私が戦地に行けば、他の誰かが助かるのか?」

 トーゲルの問いは素朴ながらも核心を突いていた。彼にとって、魔種族社会の「義務」という概念は、まだ理解しがたいものだった。


「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。だが、誰もが少しずつその重荷を担っている。ここの仲間もだいぶ行っちまった」

 ヴィルヘルムの言葉には、戦争が市民生活に深く浸透している現実と、それを受け入れるしかない無力感が込められていた。

 現在の価値観では、戦争は避けられない国家の運命であり、それに従うことが「良き市民」の証とされていた。しかしその裏では、戦地に送られる恐怖や、家族を失う悲しみが人々の心に重くのしかかっていたのだ。


 アウローラはエレオノーレにしがみついていた。少女には、この重すぎる現実を受け止めるにはまだ幼すぎた。


「私以外の大鷲族たちも行ったのだな。」


「行っただろうな。喜んで向かったヤツもいれば、渋々行ったヤツもいる。中には逃げたヤツだっているかもしれない。」


「逃げるのは誇りを失うことだが、私もエルフから逃げた。やむを得なかったのかもしれない。」

 トーゲルは過去の自分を思い返した。崖の木でまどろんでいたところを襲われたのだ。めったに見ないダークエルフが突然現れ、彼を狙った。予期せぬ襲撃に、狼狽するほかなかった。


「どうだろうな。だが、オルクセン国民としては失格だ。みんな行きたくなくても行ってんだぜ?大切な家族が徴兵され、残された者はそれを許さねぇだろうな。」

 ヴィルヘルム自身が直接見たわけではなかった。しかし、徴兵を拒否した者が家族ごと孤立させられ、逃げ延びても山狩りの末に捕らえられ制裁を受けたという話は幾度も耳にしていた。

 戦時下では、徴兵は家族や共同体を守るための義務として当然視されていた。兵役を放棄する行為は共同体の結束を乱すものと見なされ、従わない者への反感や非難は強く、逃亡者への処罰は厳格に行われていた。


 トーゲルは再び黙り込んだ。突然自分に降りかかる「集団としての義務」に、戸惑いを隠せなかった。


「だが、いい話もある。これはあくまで予想だがな、ファーレンス商会の主力はオルクセン軍への兵站業務・・・つまり、軍に食い物や物資を売ってるんだ。それが相当な量で、軍との繋がりも深まった。だから俺が商会に頼めば、お前をリストから外してもらえるかもしれねぇ。」

 この時期、商会や民間企業が軍の兵站業務を担うことが増え、国家と民間の結びつきが強化されていた。こうした業務に従事する者には徴兵が猶予される場合もあり、商会の影響力が徴兵回避の鍵となることがあった。実際、ヴィルヘルムを筆頭に高度人材は徴兵を免除されていた。その代わり農業実務者が徴兵されている。


「同族が戦っている時に私だけ逃げるのか。」


「あくまで可能性の話だ。徴兵される可能性、うまく逃れられる可能性、戦って生き残る可能性・・・どれもわからない。だが、お前が生きてさえいれば、アウローラは喜ぶ。無論、俺たちもだ。」


 それぞれの兵隊は、家族や仲間を守ることが戦争における道徳的な柱とされており、戦争に従うことも逃れることも、それぞれに難しい選択を伴っていた。


「わからないが、わかった。」

 トーゲルは、「これ以上論じても結論には至らないだろう」と思案した。「国」という概念が、彼には計り知れないほど強大な存在に映った。その巨大な国同士が戦い合う――その衝突の激しさは、彼の想像を遥かに超えていた。


「ああ。今はまだ何も起こっちゃいない。考える時間はまだある。」


「トーゲル・・・行かないで。トーゲルまで戦争に行っちゃったら、私・・・」

 アウローラはか細い声で訴え、その瞳には涙が浮かんでいた。


「アウローラ、今はまだ何も決まっていない。その時が来たら一緒に考えよう。」

 トーゲルは優しく語りかけた。


「すまない、アウラ。お前は賢い子だ。だから、バレる嘘で誤魔化すことはしたくないんだ。つらい現実だが、知っておくことが大事だと思った。どうか許してくれ。」

 ヴィルヘルムの声は低く、苦渋に満ちていた。その言葉には、家族を守りたいという思いと、どうにもならない現実への無力感があった。



 ファーレンス商会から届いた返信の郵便をきっかけに、家族のすぐ背後に淀んだ雷雲が迫っていることに気付かされた。目の前の空は一見晴れているように見えたが、いつ何時、不意に稲妻が襲いかかるかわからない――そんな不安が、彼らの心を暗くさせた。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


今回は「戦争と徴兵問題」をテーマにしたエピソードでした。ウクライナ戦争が続く今、国防と徴兵問題は現代社会でも解決できない永遠の課題だと感じます。降伏すれば命が助かるという意見もありますが、ウクライナのロシア支配地域ではロシア軍に徴兵され、一番に突撃させられる現状があります。ブチャの虐殺も有名ですが、その悲惨さは物語の中で描かれる争いや選択の重さとも重なります。


トーゲルに降りかかる徴兵の可能性は、戦争が個人の自由や価値観を脅かす様子を象徴しています。「国を守るための義務」と「個人の信念や生存本能」がぶつかる場面では、彼自身の信条と社会規範の対立が描かれています。


また、商会と軍との関係や徴兵回避の可能性など、現実的な戦争運営の背景にも触れています。こうした複雑な関係性は、現代社会にも通じる要素を含んでおり、物語の中でリアリティを持たせるポイントになっています。


戦争という重いテーマを扱いましたが、同時にトーゲルやアウローラが学問や文化を通じて未来を模索する姿勢も描いています。このエピソードを通じて、戦争という厳しい現実に直面しながらも、希望を失わずに未来を見据えることの大切さを感じ取っていただけたら嬉しいです。


感想や「いいね」をいただけると、これからの執筆の励みになります!


共感や考えをお聞かせいただけると嬉しいです。


これからも応援よろしくお願いします!

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