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ファーレンスと信頼の銀翼  作者: 牛猫丸
第二章 お勉強の時間
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詩の囁きと運命の鼓動

ヴィルヘルムの怒鳴り声が響く中、トーゲルとアウローラは畑を荒らす動物問題に向き合う。ヴィルヘルムが動物たちの被害を訴えると、トーゲルは狩りによる解決策を提案する。彼の狩りの成功で農試の畑が守られ、職員たちは喜びの声を上げるが、トーゲルは「食べない狩り」に罪悪感を覚える。ヴィルヘルムはそれを理解し、彼に村の畑も守るようお願いする。トーゲルは葛藤しながらも、仲間という概念に目覚め、信頼を胸に活動を続ける決意を固める。

 ラピア農試の近郊、ノイカプツェ村は大騒ぎになった。

 噂の大鷲族が前触れもなく現れ、見事な動きでシカを狩り、そのまま去っていったのだ。残されたシカの群れは一斉に逃げ散り、村人たちは驚きと歓声をあげた。村の畑を荒らしていた動物たちが姿を消したことで、村は安堵と喝采に包まれた。こうしてトーゲルの巡回範囲はわずかに広がった。


「トーゲル、なんでオスばかり狙うの?」

 トーゲルと共に勉強していたアウローラが、ふと質問を投げかけた。


「うむ。これは伝統のひとつなのだ。だが待ってくれ。伝統には理由があるはずだ。考える。」

 トーゲルは姿勢を正し、黙り込んだ。


「・・・」

 アウローラは、考え込むトーゲルをじっと見つめた。彼はこうして長い沈黙に入ることがよくある。出会った頃は、その後に突拍子もない面白い答えを語ってくれることが多かったが、最近は妙にまともな答えが増えており、少し期待外れにも感じていた。


「推測した。」

 やがて、トーゲルは口を開いた。「これは山ではなく、森の回復を願ってのことだろう。」


「回復?」

 アウローラは首をかしげた。


「うむ。メスを狩れば子供も減り、次世代が増えなくなる。しかし、オスを狩ることで残ったオスとメスが子供を産み、シカの数が回復しやすい。狩りをやめれば森にシカが戻る。」


「そっかー。よく考えられてるね。もしかして、『食べる分だけ狩る』って伝統も同じ理由?」

 アウローラの顔が明るくなった。


「その可能性は高い。ただ殺すだけではシカの数が減り、回復が遅くなるどころか、その地域で絶滅することもある。それは狩る者自身を苦しめる行為だ。そして、おそらくシカには森の中で何らかの役割があるのだろう。」


「それってどんな役割?」


「それはまだわからない。待て、考える。」

 トーゲルは再び黙り込んだ。


「いいよいいよ!それはいつかわかると思うし、私も調べたい!」

 アウローラは嬉しそうに笑った。


「そうか、では勉強しながら共に考えよう。」

 トーゲルも小さく頷き、いつもの勉強に戻った。


 現在のアウローラは、義務教育の教科書をすでにすべて終えてしまっている。読み書きや算術は早い段階で修了し、歴史や地理も学び終えた。自然科学については、ラピア農試に豊富な環境で体験しており、初等レベルの学習は不要だった。音楽だけは未経験だったが、親しい職員たちの小さな集まりでツィターなどの楽器に触れる機会を得た。これにより、多くの体験を通して基礎的な感覚を身につけているだろう。


 こうして二匹は、すっかり手持ち無沙汰になっていた。


 当初はエレオノーレが課題を出したり、質問に答えたりしてくれていたが、仕事の邪魔をすることに気が引けるようになり、自分たちで学ぶ方法を模索するようになった。両親の蔵書から興味を引く本を片っ端から手に取り、二匹で読み解いていった。わからない部分に突き当たると別のジャンルの本に移り、また戻ってくる――その繰り返しだった。トーゲルの豊富な知識とアウローラの柔軟な発想が相まって、彼らは雑多な分野を次々と吸収していった。


 この日も小屋で夜になるまで二匹で勉強し、夕食も早々に片付けまた続けていた。



「じゃあトーゲル、問題。牛舎があります。メスが生まれるまで子牛を産ませ、メスが生まれたらやめる。オスとメスの生まれる確率は50%ずつ。このルールをたくさんの牛にさせたら、牛舎の牛のオスメスの数はどう変化する?」


「うむ。待て、考える」


「どうぞ」

 アウローラはニコニコしている。


「うむ。やはりメスが増えていくだろう」


「はずれー。答えは『変わらない』でした!」


「なにっ!なぜだ!」


「例えば、最初の一匹がメスならオスはゼロ匹だけど、次にオスとメスが一匹ずつ、さらに次でオスが二匹にメスが一匹が増えていくとする。繰り返し続けると、結局、メスとオスの数は自然に同じ数になるの。」


「なるほど。これも『ひっかけ問題』だな。もしや、ダイスの奇数と偶数の確率と同じか。奇数が出たらやめて、次にまた奇数が出るまで続けてを繰り返す。区切る動作は確率に何も影響しない。連続して振り続けることと同じだ。つまり50%に収束する。そうか、いい問題だ。またエレオノーレ、いやヴィルヘルムから聞いたか」


「またはずれー。私が考えたの」


「なにっ!アウローラ、やるではないか」


「すごいでしょ。がんばったんだから」


「うむ。それは見ればわかる。いつも紙をたくさん使ってるな。裏に何か書いてあるのはなぜだ?」


「これは『粗悪紙』って呼ばれる紙なの。表だけに印刷があって、裏は何も書かれていないから安いの。だからたくさん買ってくれたのよ。ほら、これもそう。」

 そう言ってアウローラは手持ちの一枚を裏返した。アウローラには知らない文字が書いてある。キャメロットから輸入されたものだ。


「これは古典アールブ語だ。以前エレオノーレの本で現代アールブ語を読んだのでわかる」


「本当?なんて書いてあるの?」


「ふむ。低地アールブ語に翻訳するのが難しい。言い回しにわずかな違いが出て、完全に一致しない」


「いいからおねがいー」


「やってみよう。」


 ーーー無言の輝き


 静かな中にも音がある。

 風が木々を通り抜け、

 星が空を照らす。

 それらは黙ったまま伝えている。


 魂の木の根は地中へ広がり、

 枝は空へ伸びる。

 その形が命の流れを示している。


 泉は静かに流れ、

 その音が新しい始まりを知らせる。

 すべては終わらず、

 ただ繰り返されるだけだ。

 ・・・



 その頃、居間で書類を整理していたヴィルヘルムは、テーブルの向こうで今日の記録をまとめているエレオノーレに声をかけた。


「あいつら、また何か始めたみたいだな。今度は文学に夢中か?」


 エレオノーレは整理の手を動かしたまま、笑みを浮かべながら答えた。

「いいじゃない。熱中するのは良いことよ。邪魔しないであげて。」


「まぁな。けど、アウローラのやつ、俺の本棚から本取って『貸してね』って書いた紙切れを入れてんだ。おかげで本棚がスカスカだ。あいつ、子どもには難しい本を引っ張り出してる。読めねぇくせにな」


「それでも一生懸命挑戦しているんでしょ?可愛いじゃない。」


「確かにな。どこまでやるつもりなんだか・・・そういや、こないだも――どうした?」


 ヴィルヘルムは言葉を途中で切った。エレオノーレがペンの手を止め、何かに集中するように耳を澄ませていたからだ。部屋は静まり返り、微かに聞こえるのはトーゲルの朗読する声。その声を聞きながら、エレオノーレの表情は徐々に険しさを増し、目に見えて動揺が浮かび上がっていった。


 その詩は、低地アールブ語の情緒を排した簡素な文体ではあったが、大意はかつて彼女がエルフィンド時代に詠んだ作品の一つ、「沈黙の煌めき」に酷似していた。エレオノーレは困惑した。「なぜあの詩がここに?」という疑問が頭をよぎり、心の中に混乱が渦巻いた。だが次の瞬間、彼女は何かを決意したかのように立ち上がり、迷うことなく小屋へと駆け出した。



 扉を勢いよく開け放つ音に、トーゲルとアウローラは跳び上がった。驚きに目を見開いている二匹を無視し、エレオノーレはアウローラが手にしていた紙を力任せにひったくった。その紙に目を落とすと、かつての絶望が彼女を襲った。古典アールブ語で書かれたその詩は間違いなく、彼女が過去に詠み、偽名で発表した作品だった。悪夢が再び蘇り、エレオノーレは震える手でその紙を力強く丸め、小屋の隅に投げ捨てた。


 さらに、アウローラが使っていた粗悪紙の束を掻き乱しながら、一枚一枚を確認していった。手は震え、視線は紙に固定されつつも焦点が定まらず、唇を苦悶を噛み殺すように強く噛み締めていた。その動きには必死さと羞恥が入り混じり、まるで誰にも見られたくない秘密を暴かれる恐怖に苛まれているかのようだった。過去の影が容赦なく彼女の現在を侵し、築き上げた平穏が崩れ去る感覚が、彼女を突き動かしていた。


 他に古典アールブ語の文書がないことを確認すると、エレオノーレはその場に力なく座り込んだ。両手で顔を覆い、肩を小さく震わせている。その姿は、封印してきた絶望が再び現れた恐怖に苛まれているようだった。我を忘れてアウローラたちの場を滅茶苦茶にしてしまった事実が、彼女の心をさらに締め付けた。自分が積み上げてきた平穏が、音を立てて崩れ去る感覚を、まざまざと感じ取っていた。


「どうして、また・・・」


 丸めて投げ捨てた粗悪紙には、エレオノーレ自身の作品が印刷されていた。それはかつてエルフィンド全土で売れた詩集の一部だった。だが、「卑怯者」という烙印を押された彼女の作品は、すべて焚書の対象となり、徹底的に排除されたのだ。


 詩集は捨てられ、船の空荷を埋めるバラストを兼ねてキャメロットに輸送された。そこで裁断されて再利用され、粗悪紙となったそれは、さらにオルクセンに輸出され、最終的にアウローラの手に渡ったのである。運命のいたずらにしては、あまりにも酷な巡り合わせだった。


 ヴィルヘルムは、エレオノーレの様子を見てすぐに事態を察した。彼はそっと彼女の肩に手を置き、優しく寄り添うような仕草を見せた。彼女が小屋の隅に投げ捨てた紙を拾い上げ、何も言わずにポケットにしまい込む。


 エレオノーレが古典アールブ語文学界に足を踏み入れ、作品を発表したことで、白エルフ族の民族主義に火が付き、彼女が標的となった過去。その出来事は、彼女の心を深く傷つけ、人生を大きく変えてしまった。


 その傷は、二人が共に積み重ねた幸福の中で、ようやく薄れてきたかのように思えた。だが、今日の偶然がその癒えかけた傷を再び抉り出したのだった。彼女の痛みを目の当たりにしながら、ヴィルヘルムはかつて二人が共有したあの約束を思い出す。互いの過去を包み隠さず語り合い、その上で新しい未来を共に歩むと誓ったあの日のことを。


 ヴィルヘルムは柔らかい声で言った。「エレネ、帰ろう。」


 エレオノーレはしばらく反応せず俯いたままだったが、やがて静かに立ち上がると、ヴィルヘルムに支えられながら歩き出した。


 扉の近くで立ちすくむトーゲルとアウローラを見やり、ヴィルヘルムは短く告げた。


「今日はこれで終わりだ。明日話そう。休むんだぞ。」


 そう言い残し、エレオノーレを連れて小屋を後にした。


 残されたトーゲルとアウローラは、突然の出来事に呆然としていた。トーゲルは何か言おうと口を開きかけたが、結局何も言わないまま口を閉じた。アウローラもただ黙って座っていた。


 やがて二人の視線が交わった。お互いに驚きと困惑を抱えた表情を浮かべ、何も言えないまま、静寂に包まれていた。そして、エレオノーレは寝室から出なくなった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


今回はエレオノーレの回、前半です。好きなキャラクターほど嫌な思いをさせたくなる、歪んだ価値観のせいで筆が進みすぎました。申し訳ありません。


エレオノーレの過去と向き合う姿勢や、それを支えるヴィルヘルムの存在を通して、「人は過去とどう折り合いをつけるか」をテーマに描きました。エレオノーレが直面した苦悩は、逃げられない過去の象徴です。その痛みや葛藤が今後どう乗り越えられるのか、続きを楽しみにしていただければと思います。


また、トーゲルとアウローラの数学クイズや学びのシーンでは、少し息抜きできるように工夫しました。有名な確率問題を取り上げましたが、数式ではなく平易な文章で説明することを試みました。偶然にも自分で考えついた解釈がわかりやすかったので、トーゲルに語らせてみました。感想をいただけると嬉しいです!


詩のエピソードは、言葉の力と文化の断絶を象徴しています。粗悪紙に再利用された詩集が運命的に巡り巡ってエレオノーレの前に現れる展開は、過去と現在のつながりを強調しています。少し違いますが、私自身、過去作に触れるとジタバタしたくなります。きっと今作も、「もっとこうすれば良かった」など思うでしょうが、それは未来の自分の腕が上がった、と好意的に解釈します。


読者の皆様には、登場人物たちの葛藤や心の揺れ動きが少しでも伝われば幸いです。


感想や「いいね」をいただけると、今後の執筆の励みになります!


これからも応援よろしくお願いします!

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