一羽の大鷲と一匹の少女
セレナからの便箋を受け取り、ヴィルヘルムは彼女の意図を探りかねていた。内容には、トーゲルに貴重な肉を与えるようにとの指示が記されており、その合理主義的な性格から目的があるはずだと考えた。エレオノーレと便箋を読み、彼らはトーゲルの生活に思いを馳せる。孤独を好む大鷲族の特性や、アウローラとの交流を通じたトーゲルの成長が話題に。さらにセレナの商業的成功や指導法についても言及しつつ、ヴィルヘルムとエレオノーレは「信用」と「信頼」の違いを語り合う。
ラピア農試の静けさが広場を包み込む中、管理棟の裏手からは微かな灯りが未だ続いている。そこはトーゲルのために作られた木造の簡素な部屋。部屋の中では獣脂の蝋燭が小さな炎を揺らし、その薄明かりが机に向かうアウローラの手元を照らし続けていた。
アウローラは一日中椅子に腰掛け、勉強をともに続けていた。アウローラは急成長するトーゲルの計算能力に驚き、彼を負かすための算数ゲームに移り変わっていた。後ろではトーゲルが羽を休めるように止まり木に止まりながら、アウローラの問いに淡々と答えている。
「トーゲルすごすぎー。なんで数字書かないで計算できるの?」
アウローラは目を輝かせながら問いかけた。
「うむ。それはおそらく大鷲族固有の特性だろう。」
トーゲルは止まり木の上で軽く羽を広げ、真面目な顔で答えた。
「どんな特性なの?」 と体を乗り出してさらに質問を重ねた。
「鉛筆が持てない」
彼は真剣に答えたが、その答えにアウローラは吹き出してしまった。椅子を揺らしながら笑い声を漏らす。
「あははは。ホントだ。それでも計算できちゃうなんてすごい。」
「アウローラもコボルト族特有の特性を持っている」
「そうなの?・・・ちょっと待って、当てるから」 腕を組み、考え込む。
「うむ」
トーゲルは動かず、静かに待っていた。
「わかった。鉛筆が持てる!」
「正解だ」
「トーゲルーふざけすぎー」
アウローラはそう言いながら立ち上がり、トーゲルの胸のふわふわな羽毛をつついた。
「そうなのか?道具を使えることは素晴らしいことではないか。」
彼はそう言いながら、常に違和感を抱いていた。大鷲族は自らの鈎爪と嘴だけで生活を営んできたため、物質的な道具へのこだわりを持たない。それどころか、道具を必要とする行為そのものを奇異に感じていたのだ。彼にとって道具とは、爪や嘴を持たない魔種族が不便を補うための代替手段に過ぎないと考えていた。
「そうね。」
アウローラは座り直してから考え込み、思い出したように問題を投げかけた。
「ねぇトーゲル、こんな問題はどう?行きは駆け足で時速6キロ、帰りは馬車で時速12キロだよ。それぞれの距離は12キロメートル。さて、往復の平均速度は何だと思う?」
「うむ、簡単だ。行きが時速6、帰りが時速12なら、足して2で割る。答えは9だ。」
「はずれー。間違い!」
アウローラは小さな指を振りながら、いたずらっぽく笑った。
「なにっ?馬鹿な。何を間違えた」
トーゲルは嘴を少し開き、困惑したようにアウローラを見つめる。
「トーゲル、ちゃんと時間を考えなきゃダメなんだよ。例えばね、行きは12キロメートルで、時速6だからかかる時間は…」
アウローラは机の上で指を動かしながら説明を始めた。
「12を6で割ると2時間。間違いない」
「そう!で、帰りは同じ12キロメートルだけど時速12キロだから、かかる時間は?」
アウローラはにっこりと笑いながら、わざとゆっくりと尋ねた。
「12を12で割ると1時間。当然だ」
「その通り!じゃあ、行きと帰りを合わせた時間は?」
「2時間と1時間を足して3時間だ。」
トーゲルは再び即答する。
「そう!そして往復の距離は12キロたす12キロで24キロだよね?」
アウローラは自信を持ってまとめるように話した。
「うむ。わかる。」
「じゃあ、24キロメートルを3時間で割ったら・・・」
「時速8キロメートル。なるほど、これが正しい平均速度か。」
「ひっかけ問題でしたー」
アウローラは笑いながら立ち上がり、トーゲルに軽く手を振った。
「面白い。アウローラが考えたのか」
トーゲルは少し体を傾けて興味を示した。
「ううん、ママに教わったの」
アウローラは照れくさそうに言いながら座り直した。
「なるほど。アウローラは解けたのか。すごいな」
トーゲルは感心したように言葉を続ける。
「間違えた・・・」
アウローラは頬を膨らませたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「そうか。ひっかけ問題か、面白い。また出してくれアウローラ。今度からよく考える」
「もうないのー。またママに聞いてくる」
「うむ。いや待て、ヴィルヘルムだ」
その瞬間、ノックの音が響き、ヴィルヘルムが扉を開けて姿を現した。
「アウラ、もう寝る時間だ。」
「パパぁーおねがいー、あとちょっとだけ!」
アウローラは首を傾げて甘えるように言ったが、ヴィルヘルムは首を振った。
トーゲルもそれに合わせる。
「アウローラ、また明日にしよう。父親には従うべきだ。」
「・・・わかった。また明日ね」
「うむ、また明日だ。蝋燭を消して寝てくれ。」
トーゲルがそう言うと、ヴィルヘルムは用意していた木のスプーンで蝋燭を静かに消した。部屋が暗くなり、窓の外から星明りが穏やかに差し込む。
「待ってパパ、ひとつだけ問題。」
「なんだ?」
ヴィルヘルムは小さくため息をつきながらも微笑み、再びアウローラのほうを向いた。
「行くよ。『行きは駆け足で時速6キローーー』」
「8だ。」
アウローラは口を尖らせ、腕を組んだ。
「知ってるのずるいー。ママから聞いたんでしょ。」
ヴィルヘルムは肩をすくめた。
「俺がママに教えたんだよ。」
「そうなの?」
「そうだ。お前が生まれる前、一緒に仕事をしながら問題を出し合ってたんだ。覚えていたんだな・・・。」
彼はどこか懐かしそうに目を細めた。
「それで、ママは正解した?」
「それは俺とママの秘密だ。さぁ寝るぞ。」
「はーい。」
彼女が歩き出そうとしたその時、背後からトーゲルの声が響いた。
「ヴィルヘルム、待ってくれ。今の話だが。」
「エレネが答えられたかって?」ヴィルヘルムは冗談めかして答えた。
「違う。」
トーゲルは少し間を置いてから続けた。
「アウローラは一匹で生まれたのか?つまり、双子ではなく。」
ヴィルヘルムは少し驚いた顔をし、真剣な表情で答えた。
「まぁそうだな。俺もいろんな魔種族と会ってきたが、双子なんてこれまで聞いたことないぞ。」
「なにっ!」
トーゲルが突然声を上げた。その反応はあまりにも激しく、ヴィルヘルムとアウローラは一瞬動きを止めて彼を見つめた。
「どうした?」ヴィルヘルムが怪訝そうに尋ねる。
「トーゲルどうしたの?」アウローラも心配そうに顔を覗き込む。
トーゲルは視線をわずかに泳がせた後、羽を軽く揺らしながら短く答えた。
「いや、なんでもない。忘れてくれ。」
「そうか、わかった。」
ヴィルヘルムはトーゲルの言葉に何かを感じながらも、それ以上問い詰めることはしなかった。
「トーゲルは双子だったの?」
ヴィルヘルムは軽く首を横に振り、アウローラの肩に手を置いた。
「アウラ、トーゲルも疲れてるんだ。休ませてやれ。ほら、寝るぞ。」
「わかった。お休み、トーゲル。」
「ああ。」
トーゲルは静かに返した。
扉が静かに閉まり、部屋は再び静寂に包まれた。暗闇の中で、トーゲルは止まり木に体を預けていた。その顔には普段の冷静さとは異なるわずかな動揺が浮かんでいた。
「ランツェロット、我々は今まで何をしてきたのだ。」
その声は低く、夜の闇に吸い込まれていく。
ヴィルヘルムの言葉が投げかけた「双子の存在自体が稀」という事実が、その価値観を大きく揺さぶった。双子でなくても巣立てるという現実——それは彼の誇りを疑わせるものであり、トーゲルの内面に深い亀裂を生じさせた。
「我々は、何だったのだ。教えてくれ、ランツェロット」
トーゲルは呟きながら、胸の中に広がる得体の知れない虚無感を噛みしめた。自身の信念が、初めて曖昧なものに感じられた瞬間だった。
彼はわずかに羽を震わせ、虚空を見つめた。自分の誇りと信念を支えてきた柱が揺らいでいることに気づきながらも、それをどう受け止めればいいのかわからなかった。
夜空に広がる星々は、どこまでも静かだった。だがその冷たい光は、トーゲルの胸にある闇を照らし出すにはあまりにも遠すぎた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は、トーゲルとアウローラが算数を通じて絆を深めるエピソードを描きました。ほのぼのとした掛け合いの中で、成長するトーゲルの姿を描けたらと思っています。
算数問題やひっかけ問題を通じて、単なる勉強ではなく、遊びの中で学ぶ楽しさや発見の喜びも取り入れました。アウローラとトーゲルが互いに知識を試し合うシーンは、二人の関係性の変化を象徴するものとして描いています。実は、有名すぎるひっかけ問題でしたが、私は初見で間違えました…。
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