特別な一日の始まり
「あれ見ろ!大鷲さんがやってくれてるぞ!」
ヴィルヘルムが地平線を指を指し、大声で叫んだ。
オルクセン王国内陸、メルトメア州都ラピアカプツェ近郊に位置するノイカプツェ村に隣接する「ラピアカプツェ農業技術試験場」、通称「ラピア農試」。そのある朝、日の出を告げる鐘の音が響く中、特別な日が訪れた。畑の麦を食い荒らし続けた忌むべき鹿、憎むべきメルヴァルシカのボスを倒す英雄が、天から舞い降りた日となった。
現在、星欧中をかき乱しているグロワール軍のアルベール・デュートネ。彼が引き起こした長き戦乱は、後年の歴史家から「デュートネ戦争」と呼ばれることになる。その戦争の影響で、ノイカプツェ村一帯、ラピア農試でも農業補助要員の多くが徴兵され、人手不足に陥っていた。結果として、追い払いや山狩りもままならず、鹿の群れが好き放題ラピア農試の麦を食い荒らしていた。
コボルト族ボーダーコリー種の雄、農夫の姿をしたヴィルヘルム・ヴァルトマンは、夜明け前、農作業の準備をしようと外に出た。すると、畑を挟んで家の反対側で、大鷲族の誰かが群れのボス鹿と戦っているのが見えた。明るくなりかけの時間帯だったが、夜明けの日差しを背にしていたため、よく見えた。
なんと、どの大鷲族も「あの鹿は大きすぎて潰せない」「角が大きすぎて首を狙えない」と匙を投げて帰ってしまった、あのボス鹿のケツに鉤爪を突き刺して持ち上げ、20メートルほど持ち上げてから放り投げたのだ。メルヴァルシカの中でも特に大きなボス鹿が持ち上げられ、頭から地面に落ち、断末魔も上げずに動かなくなった。戦った大鷲族も力尽きたのか、そのまま木の葉のように落ちていった。
ヴィルヘルムはその一部始終を駆け寄りながら目撃した。
「すげぇなおい!ついにやってくれたぞ!」
息を切らしながら、ヴィルヘルムは喝采を送った。あのすばしっこいメルヴァルシカの、でかくて知恵が回るにっくき群れのボスを倒してくれたのだ。あいつらのせいでどれだけ畑がやられたか、積年の恨みをあの大鷲族が晴らしてくれた。ヴィルヘルムは仲間たちと共にラピア農試の英雄に抱きつき、感謝の言葉を浴びせたかった。
息を切らせてようやく辿り着くと、あたりは血が飛び散っていた。戦いの激しさが伺い知れる、遠目から見ても激しい戦い。背中に鈎爪を突き立て、200kgはある暴れるメルヴァルシカを持ち上げたのだ。戦いの壮絶さが伺える。
「ひゃー、くそでけぇ!俺の麦で太りやがって。ツケは体で返してもらうからな」
ヴィルヘルムはラピア農試の農業運営長であり、責任者である。服装は、深緑のトリルビーハット、ウールのダブルブレストジャケット、白いリネンシャツ、焦げ茶のスラックス、黒光りした皮製長靴、白の手袋。それが本来、高い地位と専門知識を持つリーダーの装いである。ヴィルヘルムは小作農出身の現場主義者で、格式ばった服装を嫌っていた。普段は茶色のキャスケット、労働者ジャケット、白のコットンシャツ、灰色の作業ベスト、黒い作業ブーツの典型的な農夫であった。
よく来客者から村の日雇い農業補助要員と間違えられることがあり、「すぐにマイスターを呼んでまいります」と着替えてまた戻り、客を驚かせるのがささやかな趣味であった。相手がそのまま気づかなければ大勝利である。
身分社会の現在、相応しくない装いは奇異の目で見られ、蔑視すらされるが、ヴィルヘルムはそんな社会を足蹴にするのが愉悦であった。もちろん、大切な客を歓迎する際は事前に整える分別は持ち合わせていた。見知った客には帽子だけフォーマルに変えて和ませる時もある。
ヴィルヘルムは大鷲族に声をかけた。彼は力尽き羽を広げ、地面に伏せて動かない。
「あんたやってくれたな!ありがとう。おい、大丈夫か?生きてるか?」
ヴィルヘルムは6mはある広げた翼を踏まないように回り込んで、大鷲族の顔に近づいた。大鷲族はぐったりして息も絶え絶えだった。それはそうだ。聞いた限りでは、大鷲族が荷物を持って飛行できる重さはせいぜい50kg。瞬間的に持ち上げるのは100kg。200kgなんて聞いたことがない。
彼はまだ起きない大鷲族をひとまず置いて、先に鹿の処理を考えた。
「なんてでかい鹿だ。しばらくは豪華なメシになりそうだ。おーい荷車頼む!」
巨大な角を持つ鹿の首は見慣れぬ方向を向き、完全に事切れていた。この角が、これまでの大鷲族の定石を阻んでいた。
大鷲族は高空から自重も使って急降下し、そのまま獲物の背中に太い足で踏みつける。すると不意を突かれた獲物は潰されるか、体制を崩す。そこを鋭い大きい嘴で首を折るのだ。
しかしこのボスにはそれが通用しなかった。気配を感じ取る感覚が鋭く、すぐ逃げる。罠も効かない。角が大きいため嘴が首に届かず、でかいから押しつぶせない。重いから持ち上がらない。下手をすれば鹿が角を振り払って、大鷲族の頭が持ってかれる。
そんなボス鹿をよくやっつけてくれた。ヴィルヘルムは早くこの大鷲族に礼を言って労いたかった。
農作業のために畑に出てきた職員たちは、鹿を倒した現場のただならぬ気配を感じ、次々と集まってきた。辺りの惨状から戦いの激しさを肌で感じている。
彼らはオーク族、コボルト族、ドワーフ族の順にその数が多かった。オルクセン王国の魔種族の人口構成は、元々住んでいたオーク族、エルフィンド元難民のドワーフ族、そして同じく元難民であるコボルト族の順であったが、農試の構成魔族の中ではコボルト族が最も多い。これは、経営母体の代表がコボルト族元難民であることが大きな影響を与えているためである。
オルクセン王国の国王、グスタフ・ファルケンハインが星暦813年11月3日に発布した「諸種族平等宣言」の一環、「種族間の調和と共同体」に反するのではないかという声もあった。しかし、地元びいきや同族意識というものは避けがたいものであった。もともと割り当てられた土地が種族ごとに偏在しているため、就労先もまた種族ごとに偏ることとなり、その影響は根強く残っていた。
「大鷲さん、大丈夫か?生きてるか?」
ヴィルヘルムが優しく首をはたくと、ラピア農試の英雄の目がゆっくりと開き始めた。彼は起きると、頭を地に預けたまま周りを見回そうとしていた。壮絶な激戦だ、完全に力尽きたのだろう。
「大鷲さん、ありがとう。どうだ?起きれるか?こりゃ無理そうだな」
地面に伏せっている大鷲族は嘴を開き、何か言いたそうだ。
「お、話せるか?俺は農業運営長のヴィルヘルムってんだ。あんた、名前は?」
大鷲族は力を振り絞って答える。
『・・・此処は何処ぞや・・・』
その場にいた者が一様に驚愕した。
「古典アールブ語!・・・エルフィンド難民か」
「オルクセン王国史」に感動し、初めて二次創作小説に挑戦しました。軍事関係には詳しくないため、オリジナルと矛盾が出にくい60年前のデュートネ戦争中を舞台に、ファーレンス商会の一事業部の物語を描いています。
本作では、イザベラ・ファーレンスも登場し、物語のキーパーソンとして重要な役割を担っています。彼女がとても好きなので、商会の活動を通じてその魅力をしっかり描いていければと思います。映画やドラマのような雰囲気を意識して執筆しているので、映像を思い浮かべながら楽しんでいただけると嬉しいです。
物語のラストはすでに完成しており、きれいにまとめる予定です。
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