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竜骨の主

槐樹院にて

「喜べ、君が今世のラッキーパーソンだ」

 あまりにも高らかな、少年のような声だった。

 船子穂村(ふなこほむら)は閉じかけていた目を無理やり開けた。額に切り傷があるのだろう。赤混じりの視界に映るのは逆光で黒く塗りつぶされた女。

 女の髪は色素が薄いのか、光に透けてきらきらと輝いている。

「ああ、そう言われてもピンと来ないか。まずは瓦礫に下敷きになっているその体からどうにかしよう。僕は人ではないが鬼でもないからね、気を遣うこともできる」

 女は新芽のように細い指をシェルターの残骸にかけ、いとも簡単に持ち上げた。そしてまるでゴミを投げるように彼方に放った。

「軽くなっただろう。もう話せるんじゃないか」

 切り取られた影の中で、女が笑ったのがわかった。ぱっつんの前髪の下に覗くのは、紫色の瞳。

「殺して、くれ……」

 正直、体中が痛くてしょうがなかった。早く楽になりたかった。こんなところで助けられても、もう。

 女は怪訝に眉を寄せると手を口にやった。

「人の喜びとは生きることと教えられたが、そういうこともあるのかい? もしや早速、ケースバイケースというやつか」

「うるさい。ギンギン声で喋らないでくれ……」

 こんな状況なのに、自分の口が回るのが不思議だった。

 腹に力を入れると、不思議と上体を起こすことができた。数秒前より明らかに回復している。破壊された「舟」の下敷きになって瀕死だったはずなのに。

 白衣はべっとり血がついているし、砂埃でぐちゃぐちゃだった。なのに切れた布の合間から覗く肌には傷跡がない。

「ふふ、いいねいいね。生き汚いのが一番良い」

「あんた……何をした?」

「少し傷を治しただけさ。君の好きなゲームでホイミとかキュアとか言うやつかな」

 女は満足そうに鼻を擦った。

 赤紫に沈む夕日を背に、白いストレートヘアが揺れている。瓦礫の飛び散る山の上ではためくセーラー服は、あまりにも場違いだった。

「僕の正体が気になるんだろう? 残念ながら神ではないんだ。少し違うが宇宙人と言った方が適切かもね……ああ君はSFの素養があるのか。ならばこれでも伝わるかな」

 山の形も変わって久しいチョモランマの頂上で、ローファーがステップを踏む。

「並行世界からやってきた、とある男のクローンだ。名前はEve-12。ひとえに、この世界を滅びの運命から遠ざけるために」

「なぜ、私の前に」

 なぜ、生き残ってしまったただの生物学者の前に。

 世界を救う力なんてない、ただの男の前に。

「船子穂村、ざっと僕が見渡した中で金枝の王の適性が一番高かったからね。それはそれとしてだ、君はどうしたい?」

「私は」

 あの怪物が現れてから一年も経っていない。それなのに全て壊された。圧倒的な物理で。親類縁者どころか自分以外に生きている人間もいるかどうかわからない、が。

「この世界が継続することを望む」

「そう来なくっちゃね」

 イブと名乗った少女は口笛を吹いた。下手だ。

「手を」

 言われた通りに手を差し出す。作り物のような白い肌に重なる泥まみれの無骨な手はあまりに不恰好だった。

 少女が青白い光で包まれていく。

「今ここに金枝の王の契約を結ぶ。生体データを世界樹と接続。システム・レックスネモレンシスを起動。登録者名、船子穂村」

 まるで体に水を流されているかのようだった。光は自分をも包み込み、気力が湧き上がってくる。

 旋風が、吹く。

「ラルファス・フランベルジュ・ノーデンスの名のもとに告げる。汝、健やかなる時も病める時も、世界樹を育て、外なる者に対抗することを誓うか」

「誓おう」

 何を言っているのかわからないが、口をついて出た。

 イブは頷くと、不敵に微笑んだ。

「今ここに契約は成立した。この世界をノーデンスの血族の観測範囲とし、共に人類を存続させることを誓う」

 イブは大きく息を吸った。

「この世界に幸運を」



 山の空気は澄んでいる。

 槐樹院の深い青の瓦屋根に、白髪の少女が寝転んでいる。晴れた日はそこで日向ぼっこをするのが習慣になっているので、いくら逃げようとしたって見つかる。お互いの暗黙の了解だ。

 庭の梅の木は、まだ寒さに凍えるように蕾を縮こませたままだ。

「いつき、降りてきなさい」

 呼ぶと不機嫌そうにいそいそ降りてくる。チベット風の巫女服が屋根の埃で汚れている。

「いつから君は父親面をするようになったんだい」

「仕事があるのにいつもサボる君を子供扱いしない方が難しいよ」

「初対面の時から思っていたけれど、穂村はじじ臭いな!」

 そう言ってぷりぷり怒るものだから余計に子供っぽい。

「それにしても……」

 いつきは頭から生えている角に目をやる。

「自ら実験体になるとは」

「日本には古くからそう言う考え方があるんだよ。道真公とかが有名だけど、悪さをする神様を崇めて善い神にする考え方が」

 尻尾を揺らす。自分の尾骶骨から伸びるのは、所謂東洋龍の尾だった。

「ラウもその手があったかと言っていたね。流石だ」

 いつきの白髪は出会った頃から何も変わらない。千年ほど経った今でも。

「ラウが褒めるなんて滅多にないんだぞ。好い種が蒔かれたということだ」

「光栄だね」

「やはり僕の目に狂いはなかったということだ。穂村、君は天才だ」

「私は別に大した器じゃない。ただ種がよく育ってくれることを祈るだけの老人だ」

 メジロのような鳥が梅の枝にとまった。鳥の声が槐樹院の小さな中庭に響く。

 まだ雪は深い。

「そうそう、話が流されるところだった。高砂(たかさご)君が挨拶に来ててね。顔を出してやってほしい」

「当代の砂か。そういうことなら早く言ってくれ」

 いつきーーEve-12は南門の方に駆けて行った。

 眼下に広がる雲海を見やる。

 雲の下には人の暮らしがあり、人生がある。

 それらが恒久に続いていくように、とただ思った。

 凡人の私には、精一杯の愛情だった。

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