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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

世界の終わりに天使はおちる

作者: 百合 桜

 取り方によってはバッドエンドです。

 苦手な方は回避してください。


「ジュード、毎回わりぃな。今度飯でも奢らせてくれ」

「ああ、楽しみに待っている」


 足どり軽く離れていく兵士は、今晩の夜勤も同僚に押し付けて早々に帰路についてしまった。


「ふぅ……」


 残された彼は退屈そうに背伸びを繰り返しながら、規則正しく沈んでいく陽を城壁の上からぼんやりと眺めている。


 そのジュードと呼ばれた男は手垢のついた形だけの古い槍を片手に天を仰ぐ。


「ふっ……」


 つい口角が上がる。

 まさか自分がのんびりと夜景や夜空を眺める日がくるとは思ってもいなかったからだ。


 空が完全に夜陰に覆われると、いつものように西から東へ風鳴が入れ替わる。

 この季節は風向きが城壁の外から街の中に流れ、明け方まで続くのだ。


「?」


 彼の表情が険しくなる。

 風に紛れた異音を捉えた。



「だれだ?」



 誰もいないはず。

 だが櫓の陰から物音が聞こえる。

 ジュードは生唾を飲み、静かに穂先をむけて近づいた。



「だれかいるのか?」



 円形の石壁をぐるりと回ると、見知らぬ女が尻をさすり、へたり込んでいた。


「!」


「あん?」


 目が合う。遠い松明と輪の光に照らされた彼女をみたジュードは固まった。


「あんたこそ誰よ」


 波打つような風でなびく赤毛と聖職者のような白いキトン。

 まだあどけなさが残る美少女がそこにいた。


 彼女の頭上に輪が光り、背には折りたたまれた鳥の羽が見え隠れしている。


「なにジロジロみてんのよ」


 女は起き上がろうとしたが足を挫いているのか、よろけた。

 咄嗟にジュードは手を差し出したが、女は触れず、そのまま尻もちをつく。


「いててて……」


 彼はまた手を差し出すが、視線を彼女から外さなかった。


「そんなに天使が珍しいの? ってか、天使を知らないとか?!」

「い、いや、その――」


「あんた私の姿が視えるってことは“いい人”なんでしょ。あのさ、悪いけど今日泊めてくれない?」

「へ?」


「へ、じゃないわよ。足、挫いちゃったし、お腹空いたし、家はどこ?」

「ま、まってくれ」


「天使の私がお願いしているのよ? 断るつもり?」

「そうじゃなくて、その……君の名は?」


 ジュードはやっと落ち着きを取り戻し、彼女の前に膝をつくと恐る恐る訊ねた。


「私? ああ、天使のルーシーよ。あんたは?」

「俺はジュ、ジュードだ」


「ふうん。イケてる天使の友達になれるなんてあんたツイてるわよ」

「イケテル……トモダチ?」


 ルーシーは腕を組むと胸を張って続けた。


「そうよ。これからご飯をご馳走になるんですもの。友達に決まっているじゃない」

「……」


「と、とにかくここは寒いし、早く家に連れて行って欲しいんですけど?」


 彼は当惑しながらも、今仕事中で離れられないことを伝えた。

 明らかに不機嫌になった彼女をとりあえず休憩室に肩を貸して連れて行く。


 茶を沸かしている間、彼は挫いた足に治癒魔法を施した。



「治癒魔法使えるの?!」

「ああ」


「ふーん、そうなんだ。人間で使えるなんて珍しいわね」

「腹がへっているならこれ……食べるか?」



 彼は自作の弁当を広げ、お茶を注ぐ。


「いただきまーす! もぐもぐもぐ。素朴だけど……おいひいじゃない! んぐ」

「俺は仕事に戻る。……あと数刻もすると他のヤツが来るが……」



「あん? 大丈夫よ。あんたにしか今はみえないから」


 


 

「おい、交代だ」


 うっすらと明るくなると、寒そうに声を掛けてきた中年の警備兵に彼はしっかりと敬礼をした。


「特に異常はありません」


 彼はルーシーを姿を思い出し、とっさに表情を誤魔化すように俯いたが交代の兵士は何も言わなかった。


「それでは、後はよろしくお願いします」


 踵を返すと後ろから声が掛かる。


「なぁ、ジュード、休憩室なんだが……」

「?!」


 彼は足をとめ、ゆっくりと振り返る。


「ちゃんと片づけておけよ。小隊長にまたいびられるぞ」

「え、あ、はい」


 大きく息を吐く。

 動揺で声が少し揺れたが気付かれなかったようだ。





「おい、おきろ、ルーシー!」


 彼女はいびきをかきながら大胆にも仮眠ベッドで寝ていた。


「ぐがっ、あっ、んにやむにゃ。なに……ジュード」

「おい、帰るぞ」


 全く起きなかったので仕方なく彼は彼女を背負った。

 本当に他者には見えないのだろう。

 朝焼けの郊外を歩く。

 

 ずっしりと暖かい背中は人の重さと変わらない彼女の存在を感じる。


「君は……」


 この世界の天使は遠く、暖かくはない。

 導きもなければ救いもない。


 とうの昔に神や天使は世界を見放した。

 いや堕落した人々が先に見限ったのかもしれない。


 禁書の中の天使は慈悲。

 廃墟の教会に描かれた天使は慈愛。


「なぜなんだ……」


 郊外のあばら家に着くと一つしかない小さなベッドに彼女を降ろした。

 煌々と輝くエンジェルリングは適度に枕を照らし、折りたたまれた羽は寝相に合わせて器用に動く。


 二つある椅子のひとつに座り、寝続ける彼女を眺めていたが、ジュードは空腹を覚え、堅くなったパンを一昨日の残りのスープで煮て口に流し込んだ。



「んん……はわぁぁぁぁ。おはよう……」

「おはよう?」


 日はすでに高く、木窓の隙間と壁の穴から室内に微風と共に差し込んでくる。

 腕を伸ばしながら欠伸を繰り返す彼女にジュードは笑いを漏らした。


「ちょっと、さっきから私を笑っているんでしょ。失礼しちゃうわね」

「ごめん。見ていて飽きないからな」


「それ、どういう意味よ」

「そのままの意味、かな」


 彼は迷った。

 神のいないこの世に降り立った天使。

 目的がなんであれ、彼女には酷。


「腹はすいてないか?」

「水が欲しい」


 彼は立ち上がると部屋の隅の水がめから木のコップにすくい、彼女に差し出した。


「ありがと。……んはぁ。おいしい……何か言いたいんじゃないの?」


 彼女は察しているのかもしれないと彼は思い、座るに座れなかった。


「……ルーシー、君が顕現(あらわ)れたのはどうしてだ?」

「うーーん。その前に聞かせてよ」


 “何を?”とは彼は言わなかった。

 今さら誤魔化せることでもなかったからだ。

 椅子に腰かけると、ベッドに座る彼女にもあらためて椅子を促す。



「……君たち天使は残念だけど歓迎されていない」

「……」


「もっというと……憎まれてさえいる」

「そう。それで?」


 彼女はまっすぐに彼をみたままだ。

 その赤茶色の瞳は強がっているようにみえた。



「だから……その……何をしに来たのかわからないが……あまり長くここにいるべきじゃない」


「ふうん。あんたも憎んでいるの?」


「俺は……」

「よくわかったわ。教えてくれてありがとう。それならなおさらね」


「どういうことだ」

「どうでもないわよ。あんたが友達になってくれるならここにいるし、迷惑なら出ていくわ」


 彼は返答に詰まった。

 彼女のまっすぐな言葉に汚染された心が痛みだす。


「……」

「そう。今日はありがと。でも友達には早かったようね」


「いや、違うんだ。俺は奥手で……その……」

「ぷぷぷ。冗談よ。しばらくこの世界を見て回りたいし、救いを探してくるわ! またいつか会いましょう」


 努めて明るく笑う彼女に彼はまた胸が痛みだした。

 立ち上がった彼女は背伸びをすると、翼を何度か収縮して背中にしまった。


「ま、まて、誰も君を……」

 

 エンジェルリングが拡がり、身体を覆うと町娘のような姿に変わった。


「どう? 似合う?」


「……ああ、本当にいくのか」



「あんた今日も夜勤? でしょ。早く寝なさいよ。じゃあね!」


 軽口をいう彼女はふりかえりもせず粗末な扉から出て行ってしまった。


「俺は……最低だ……」







 それから数年後。


 夜勤明けの彼はボロ屋に帰ると鍵のかからない扉が開いているのが見えた。

 特に盗まれるようなものは何もないが、たまに近所のワルガキや乞食が漁っていることがあったので、警戒しつつ中に入った。


「ル、ルーシー?!」


 ベッドに横たわる骸骨のような痩せた少女。

 皮と骨だけになり、皮膚は土気色でさかむけている。

 錆びれた赤毛で彼は彼女だと辛うじて分かった。



「おい、しっかりしろ!」


 力のない震える手が彼に伸びる。

 彼はその手を握ると治癒魔法を全身に流した。


「ら、楽になった……ありがと」


 彼は泣けなかった。

 こうなることは分かっていたし、もっと酷いことが起こると想像していたからだ。

 だが同時に天真爛漫の彼女に彼は賭けていた。


「私、出て行ってすぐに、あんたの言ったことが本当だとわかったの。あんたのことも」

「ああ、もういい。休むんだ」



 彼女の窪んだ眼瞼は半眼のように閉じない。


「……私、あんたの側に……偶然じゃなかったのね?」

「……ああ」


「他の天使たちみたいに消えるんでしょ?」

「何を――」




「ねぇ、神様、どうして?」



「……」


「あんたがこんなのだから……誰も救われない」

「ごめん、ルーシー。もう無理なんだ」


 世界は神を捨てた。

 それでも()は人の側にいた。

 いつか信心が蘇り、信仰が慈愛を生むときを待って。


 天使たちを逃し、悪魔を討ち、誠実に生きる。

 そして人々を導く。


 だが挫けた。

 理はそれを許さず、折れる度に何の罪もない無知な天使を彼の側に堕とす。


「すまない。もう……」

「いやよ……。クソみたいな世界だったけど、あんたは……見捨てないで……」


 彼女の握った手が離れ、人としての死が訪れた。


 



 ボロ屋の裏手に茨の垣根があった。

 入口のない茂みの奥に、彼は膝を着いて祈る。


 目の前には禁じられた十字が刺さるいくつもの墓が並んでいた。

 掛けられた花輪は鮮やかに、それぞれの髪の色に似せている。

 加わった赤い輪が彼女の存在を表していた。


「……君たちの糧は信仰、君たちの源泉は私、君たちの……」


 

 そして十分な決断とともに彼は立ち上がり空を見上げる。



 ときはきた。

 神は世に何を問うのか。

 


 END



 

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