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恐らく今この国で慟哭を上げて、残虐帝の死を心から悼んでいるのは若樹だけだろう。
泣いて泣いて、泣きまくって。泣き過ぎて体の水分が減って具合が悪くなってきた所でゆっくりと上体を起こす。
「墓参りに行こう!」
涙に濡れた双眸をぐいっと袖で拭い、気合を入れて叫んだ。
墓参り先は勿論、残虐帝の墓である。
「どうせもう二度と都には来ーへんのや。最後に愛する人の墓参りしても罰は当たらへんやろ!」
と言うのも、この後の主人公の王朝に後宮は不要と解体される。そうすると後宮に入っていた女たちは実家に帰るか、新王朝の宮仕えになるかのどちらかになるのだが、若樹はといえば実家に帰ることになっている。
そもそも若樹が後宮に居たのは望んでのことではなく、主人公ら同様、嫩芽狩りで泣く泣く連れてこられたのだ。攫われるように連れて行かれた娘の身を案じる親心は当然なことで、憂炎軍が劣勢になったと見るや、両親からこっそり帰ってこいと秘密裏に手紙が届けられていた。
当時は戦から逃れる為に、宮廷内から脱走する人間も少なくなかった。以前の若樹も機を見て脱走するつもりだったのだが、悲しいかな、相次ぐ脱走で警備が固くなって機会を逃し、結局最後まで居ることになってしまっていた。今となってはそれで良かったと心の底から思っている。
実家が色々頑張ってくれたお陰で、位は低いが侍女が付けられる立場に置いてもらえ、自由は無いが、恙無く暮らせていたのは家族のお陰だ。感謝以外の何物でもない。家族は今か今かと若樹の帰りを待ち望んでいるし、若樹自身、帰ったら全力で家族孝行に勤しむつもりである。
そんな若樹の故郷は都から遥か西に位置しており、一度都を離れたら、来ることは難しい。子煩悩な両親のことだ。大変な目に遭っていた若樹をもう遠くに手放すことはないだろう。
だとしたら、今が本当に最後の機会だと言える。若樹に迷いはなかった。
「おっし! そうと決まればまずは墓探しや!!」
亡くなったばかりではあるが、憂炎の遺体は既に埋葬されている。
本来ならば前王朝の終わりを天下に知らしめる確かな証拠として、憂炎の遺体は非常に大事なものだ。だが、ゲームのエンディングでは憂炎がいつも使っていた武器と防具がその証拠として使用されている。
何故そのようなことになっているのかとえば、主人公と解放軍の参謀が交わした約束だからだ。
参謀こと万 音繰は憂炎の長年の友人であり、右腕だった。そんな仲ではあるが、愛国心のある彼は憂炎が戦争で国を疲弊させているのを憂いていた。解放軍との戦いで敗北し捕らえられた際、主人公の仲間になる説得に応じる代わりに交わしたのが、祖国の平和と、憂炎の遺体の処置であった。
『こんな非道な男でも、彼は私の唯一の友でした。後は、お任せください』
武器と防具を剥がされ、息絶えた友の体を、音操が肩に担いで去って行く様子は滂沱滂沱の涙である。
その後、音操は勝利の宴の途中で人知れず居なくなる。なので、その前になんとか彼に接触しなければ。
若樹は行動を開始した。
※※※※※※※※※※
――満月が空に輝く夜。
今、若樹は黒馬一頭のみが入った厩の陰に、隠れるように座っていた。
若樹が前世の記憶を取り戻したのと、主人公率いる解放軍が大通りを闊歩し、都中の人間から歓迎を受けて宮中に入ったのは二日前。
諸々の戦後処理を終えた後、開催勝利の祝賀会は、本日昼より今なお行われている。
その間に、若樹は何度と無く音操に近付こうとした。が、解放軍の中心メンバーである彼に近付くのは難しく、幾度となく人の波に流され失敗。
最終的に、音操が絶対来る地点に待ち伏せすることになった。それがこの厩である。ここにいる馬は、憂炎の愛馬であり、音操が城を出る時に持っていく唯一のもの。
(地位も名誉も捨て、お金も持たずに憂炎様の愛馬だけを連れて行く音操様……。もうほんま、なんでこんなに泣かしてくるねんシナリオライターはあ〜……)
思い出して目を潤ませる若樹は、涙を堪えるように宴会からくすねて来た林檎を皮ごと丸かじる。実を食べ尽くし、残った種の部分は黒馬の方に投げつける。
足音が聞こえたのはその時だった。
息を殺して、陰からこっそり足音が聞こえた方を覗き見る。
思った通り、そこに居たのは旅装束をした音操の姿。満月を背に受け、ゆっくりとした足取りで近付いてきていた。
(来た来た来た〜! 満月バックにしてなんちゅー絵になるお人や……!)
音操は白銀の長い髪と翠眼で、何故か舶来の物と謳った眼鏡を掛けている。憂炎とは対象的に細身の美青年として描かれている所為で腐女子たちに王道CPと大人気で、某大手イラストサイトでは不動の人気を誇っていた。かく言う若樹もBL肯定派で、下手な女とくっつくくらいなら音操とくっついてほしいと思っていた。閑話休題。
そんな美青年を目の当たりにしたことと、これからすることに対してで一気に心臓の鼓動が早くなる。
一度体を引っ込めて、深呼吸をし、(よしっ!)と心の中で気合を入れると、若樹は厩の陰からゆっくりとその身を顕にした。
「お待ちしておりました、万 音操様」
「!? ……貴女は……?」
ビクッ! と驚いた様子で足を止めた音操。その手は瞬時に腰にぶら下がった剣の柄を掴んだ。
「あたしの名前は孔若樹。歯牙ない後宮の女官でございます。武器は持っておりませんし、害を与えるつもりもありません。音操様にお願いがあって、ここで待たせて頂きました。何卒、あたしの話を聞いてくださいませんか?」
「……その抑揚は西の禽地方のものですね。……何故私がここに来ることを?」
(おっとー!? その質問は予想外! でも誰にも気付かれないようにしてたんにおるんやからそりゃ不思議やんな!)
聞き心地が良く、丁寧で優しげな声色だが、敵意がないことを伝えても解かれない警戒。下手をすれば斬られるかもしれない、と心臓が警告音を高める。
「……あ、貴方様なら、ここに来るかと思っておりまして……」
「私の行動を読んでいたと? 一介の女官が?」
益々強まった警戒の色。選択をミスったかもしれない、と体中が一気に汗ばみ、喉が乾く。しかしそれ以外の言葉は若樹には思い付かなかったので仕方がない。これ以上悪い流れになる前に、若樹は強硬手段に出た。
「音操様! 孔若樹一生のお願いです! あたしに憂炎様のお墓の場所を教えてください!!!!!」
ガバアッ! と、段階全てふっ飛ばして、勢い良く地面に額を擦り付ける。所謂、土下座である。
「あたしに出来ることなら何でもします! お金だって払います! 決して死者を冒涜するような真似は致しません! 他の人にも場所は死んでもバラしません! ですから何卒、何卒あたしめに憂炎様の眠る場所を教えてください!!!!!」
「ちょ、貴女、声が大きいです……! 静かにしてください……!!」
若樹の奇行に虚を突かれて、一瞬思考停止していた音操だが、人が寄って来兼ねない声の大きさに、慌てて若樹に駆け寄る。膝を折り、長い指先を己の口に寄せて静かにするよう促すと、若樹もあ、と顔を上げて両手で口元を抑えて静かにすることを同意。二人共暫くその格好で固まっていたが、辺りは静かなまま。
遠くで祝賀会での笑い声が響いてくるだけで人の気配がないことを確認すると、音操ははあ……と安堵の息を漏らした。
「……まさか、初手から土下座をされるとは思っても見ませんでした。しかもあんな大声を出されるとは……」
「す、すみません……」
「取り敢えずお立ちください。お召し物が汚れてしまいますよ」
「い、いえ、そういう訳には! 音操様には辛いお願いをしている身ですので、それに比べたら土下座なんてモガッ」
「だから静かにしてくださいってば! ……はあ……。失礼しますよ」
「もがっ?!」
音操の手が若樹の口元を覆う。再び静かにして人が来ないことを確認した後、音操は若樹の口を片手で抑えながら、もう片方の手で体を持ち上げて立たせる。そんな細身の体で……と感心したのも束の間。良く考えれば彼も憂炎と共に戦場を駆け巡った武人だ。着物の下は筋肉で覆われているのだろうと一人納得する。
「……女性に土下座をさせたまま話をする趣味はありませんのでね。かと言って椅子もありませんし……」
「ふが……ぷはっ。立ったままでも大丈夫です。どちらにしろ汚れてもいい服できてますんで、お気になさらず」
「……そうですか……。で、なんでしたか……憂炎様の墓の場所を知りたいと……?」
自由になった両手で音操の手を外しそう言うと、音操は変なものを見るような目で若樹を見ながら少し迷ったようだが、立ったままで話をすることにしたようだ。
「はい、仰る通りです」
「何故? 目的は何ですか? 憂炎様のご遺体は既に灰と化してます。墓石すらありませんから、何もできませんよ?」
「お墓参りができるじゃないですか。というか、墓荒らしとか死体漁りは絶っっっっっ対しないと誓います」
「死体漁りって……まあ、いいでしょう。貴女は憂炎様と縁があったのですか?」
「いえ、全く。顔を合わせたことも、話をしたこともありません」
因みに憂炎が戦に明け暮れていたので、憂炎の為の後宮が使われたことは一度もない。その所為で警備がザルになり、男達と懇ろになった女官や宮女もいるのを聞いたことがある。本来なら極刑ものであるが、結果的にそういった連中は新王朝発足と共に一緒になることができるだろう。人生わからないものである。
若樹の返答に、音操は頭上にはてなマークを飛ばしているように困惑している。
「それでは……憂炎様とは……どういう……?」
「遠くから憂炎様をお見掛けして……端的に言えば、一目惚れをしました」
「……は? ……惚れ……?」
「はい。惚れてます。憂炎様に」
若樹の言葉に音操は益々困惑の色を濃くした。胡散臭さと疑惑を混ぜた視線が若樹に突き刺さる。
「は……信じられませんね。あの方は”残虐“帝ですよ? 数多の人間から憎まれることは合っても、愛されるということはない。その名に偽りがないことは、右腕だった私がよく知っています。そんな男を愛していたと言うのですか?」
「違いますよ、音操様。あたしは、憂炎様が死んでしまっても今も尚、愛しています」
その返答に、音操は眼をこれでもかという程見開いて絶句する。
常識的に考えて、人をいとも簡単に殺戮して、民の生活を顧みない指導者なんて憎悪と嫌悪の対象でしかない。
実際、以前の若樹もそうだった。家族と故郷から離された憎しみと悲しみを募らせていた。
しかし前世の記憶を取り戻した今は違う。故郷から出たのはちょっとした出張だと思える。後宮の女たちは皆似たような境遇だった為に、醜い争いもなく、今では無料の寝床と食事を提供されていたと変換できている。そして実家に帰ることができる。結果論にはなるが若樹になんの被害も無かったのだ。恨む必要はない、と若樹は結論付けている。
「ええ、ええ、憂炎様が残虐帝であることは百も承知。ですが、恋心って理由にも常識にも囚われないものなんですよ。音操様だって、あの方を慕っているでしょう?」
「っ……!!」
でなければ、遺体を一人で隠するなんてことはしない筈だ。部下ではなく友として、憂炎の遺体が晒され辱められるのを拒否したのだということは想像に難くない。――勿論若樹は前世の知識からの拝借だが。
そしてそれは当然のように図星だった。
まさか解放軍の仲間ではなく、一切関わりのない女官に自分の気持ちを言い当てられるとは思わなかったのだろう。音操は言葉を失っていた。若樹を見つめたまま、呆然自失のような状態になっている。若樹もこれ以外の理由は思いつかなかった為、音操の翠眼をジッと見つめたまま、彼の返答を待っていた。なんなら再度の土下座の心構えも出来ている。
どれくらいそうしていたか。
「……わかりました。貴方の言葉を信用しましょう。憂炎様の墓の場所をお教えします」
暖かい風がさぁっと吹いた。
音操は穏やかな微笑みを浮かべ、静かに告げる。音操の言葉がじわじわと頭に染み込んで行き、言葉の意味を理解した若樹は腰を直角に折って頭を下げる。
「ありがとうございます!! ほんまにほんまにありがとうございます!!」
「しかし、今日は無理です。私はこのままここを発ちますが、明日、昼時にお迎えに上がりますので、お待ち頂けますか?」
「わかりっ……!」
感極まってエセ関西弁が出てしまっているのに気づかない程喜んだ若樹だったが、突然不安が襲う。音操は参謀を務める程頭が良い。こうは言ってはいるが、若樹から逃れる為の其の場凌ぎかもしれない。疑いの眼差しを音操に向ける。
「……ほんまに? ほんまに来てくれます……?」
「ええ。お約束します。そうですね、その証拠として、これを預けておきましょう」
「……!! そっ、それは!!」
クスリと笑いながら音操が懐から取り出したのは大きな翡翠の勾玉が付いた首飾り――それを目にした瞬間、若樹はカッ! と目を見開いた。
見覚えがありまくる。何故ならその首飾りは、憂炎がいつも付けていた首飾りだからだ。彼のものだとわかる証拠として、勾玉に変わった模様が刻まれている。一見すると大きな傷にも見えるそれは、実は音操との友情の証。音操もまた少し変わった模様の入った勾玉を隠し持っている。
そんな大事なものを差し出してくるのだ。信じないわけがない。差し出されたそれを、両手で厳かに受け取る。
「こちらは憂炎様が大事にしておられた首飾りです。あの方の形見として頂戴しました。私にしても大事なものです。これを受け取るためにも、明日必ず伺います。これで信用して頂けますか?」
「畏まりました! 大事に大事に預からせて頂きます!! 明日お待ちしております!!!」
「……きちんと返してくださいね?」
余りの速答と二度と手放さんと言わんばかりに首飾りを握り締める若樹にドン引きしながらも、音操は憂炎の馬と共に静かに立ち去っていった。
その後ろ姿に向かって深々とお辞儀をしていた若樹は、彼の足音が聞こえなくなったと同時に自室に向かって駆ける。
「憂炎様と音操様の友情のネックレス……! 憂炎様がお風呂の時すら外さなかったネックレス……!! 憂炎様の汗と匂いが染み付いたネックレス……!!! うへへへへへ……!!」
――後日、その姿を目撃した者が、祝賀会の夜に『恨み言のようなものをブツブツ話しながらよだれを蒔き散らす女の化生が現れた』と騒いだが、酔っ払いの戯言だと一蹴されていたことを、若樹は知らない。
お読みいただき、ありがとうございました(*^^*)