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割り込む男

作者: ウォーカー

 時は金なり。

そんな言葉を座右の銘とする男がいた。

その男にとって、物事は早さが全て。

とにかく何でも早く終わる方が良い、早く終わらせたい。

そのためにはズルをして順番待ちに割り込んだりもする。

ある時、割り込みを咎められたその男は、

ニンマリと笑顔を浮かべてこううそぶいていた。

「何だって早く済ます方が良い。

 やるべきことは早くやった方が良いし、待ち時間は少ない方が良い。

 だって、当然だろう?

 仕事は早く済ませた方が評価が上がる。

 待っている時間は死んでいる時間にも等しい。

 残り物には福があるなんて言葉があるが、あれは嘘だ。

 いつだって良い物は先に無くなっていく。

 幸せになりたいのなら、少しでも早く動いた方が良い。

 そのためだったら俺は、割り込みくらいするさ。

 ぼーっとしていて割り込まれる方が悪いんだよ。」

そんなその男は若くに結婚しているが、

その男の夫人、妻は、かつては友人が交際していたのを、

その男が友人の恋路に割り込んで結婚したのだった。

そんな性格が災いして、他人からは、

せっかちだの悪知恵が働く奴だのと揶揄される。

しかし、その男は意に介さない。

そして今日もまたその男は、

食堂の長い行列にしれっと割り込んで、

自分だけ先に昼食を済ませるのだった。


 そんな行動を続けていた、ある日のこと。

その男に罰が当たることになった。

とにかく早く用事を済ませようと、

横断歩道がない車道を横断しようとして、

走ってきた車に撥ねられてしまった。

車に撥ね飛ばされて、地面に叩きつけられて寝転がる。

体を動かすことができない。

したたかに全身を打ち付けられたその男は、

すぐに救急車で病院へと運ばれることになった。

「しっかりしてください!」

誰かが耳元で喚いている気がするが、上手く聞き取ることができない。

けたたましい救急車のサイレンの音を聞きながら、

その男は深い眠りに落ちていった。


 真っ暗だった視界がぼやけて、体の感覚が戻っていく。

その男が静かに目を覚ますと、そこはベッドの中。

頭だけを起こして周囲を見渡す。

すると傍らには、看護婦らしき白衣の女が控えていた。

目が合うと、看護婦は微笑んで口を開いた。

「気が付かれたんですね。

 ここは病院です。

 あなたは車に撥ねられて、この病院に運ばれました。

 お体の具合はいかがですか?」

看護婦に言われて、その男は体の状態を確認する。

手を握ったり離したり、足を軽く上げてみる。

打ち身による鈍痛などはあるが、何とか体は動かせる程度で済んでいた。

そう告げると、看護婦はぱぁっと表情を綻ばせた。

「まあ、そうですか。

 でしたら、待合室まで行きましょうか。

 診察の順番待ちは、待合室でしていますので。」

待合室と言われて、その男は首を傾げた。

「ここ、病室ですよね?

 入院しているのに、診察を受けるのに待合室で待つんですか?

 普通はお医者さんが病室に来てくれるんじゃないんですか。」

「ごめんなさいね。

 うちは特殊な病院で、お医者さんが少ないんです。

 ですので、動ける患者さんには、診察室まで来てもらってるんです。

 お体は歩ける程度には良いんですよね?」

「は、はぁ、まあ。」

「そうですか。

 では、待合室に行きましょう。

 お手伝いしますから。」

入院患者を待合室で待たせるなんて、

随分と特殊な病院に搬送されてしまったようだ。

早く医者に診てもらって、できれば他の病院に転院させてもらおう。

その男は痛む体を起こして、病室から出ていった。


 病院の待合室は、あまりにも大きな空間だった。

大きすぎて端も霞むような大広間に、

緑色の椅子が等間隔に並べられている。

椅子にはぎっしりと人が座っていて、座る場所を探すのも一苦労。

その男は看護婦に付き添われながら、

空いている席を見つけてようやく腰を下ろした。

「では、名前を呼ばれるまで、しばらく待っていてくださいね。」

そう言い残して、看護婦はどこかへ消えてしまった。

痛む体を椅子に沈め、しばし物思いに耽る。

交通事故だなんて、ついてない。

全治にどれくらいかかるだろう。

とにかく早く退院しなければ。

そんなことを考えてから、再び待合室に目を向ける。

待合室はやはり見たことがないほどに広い部屋のようだ。

見渡す限りに人が椅子に座って並んでいる。

時折、名前を呼ばれた人が立ち上がって、いずこかに姿を消していった。

呼ばれる順番の通りに座らされているわけではないようで、

名前を呼ばれる人が座っている場所は飛び飛び。

あちらの人が呼ばれたかと思えば、次はまったく別の場所の人が呼ばれていった。

待合室では何もすることがなく、誰もが黙ってじっと呼ばれるのを待っている。

その男も仕方がなく、自分の名前が呼ばれるまで待つことにした。

五分、十分、十五分、二十分。

それからどれくらい待っただろう。

その男の名前が呼ばれることは無かった。

名前が呼ばれている人がいるから、順番が進んでないということではないようだ。

その男はさらに待ち続ける。

二十五分、三十分。

そこまで待ったところで、その男は声を上げた。

「あー!もう待ってられるか!

 こっちは怪我人だぞ?いつまで待たせるんだ。」

我慢の限界という感じで、頭を掻きむしって、痛みに顔を歪める。

すると、それを見かねて、

隣の席から白髪の老爺が微笑んで話しかけてきた。

「ほっほっほ。そう癇癪を起こしなさるな。

 あんた、この病院は初めてだね?

 この病院は待ち時間が長くてね。

 お若い方には辛かろう。」

それから老爺は、少し先の椅子を指さした。

「ほれ、あの婆さんが座ってる椅子が見えるかい?

 椅子が赤いだろう?

 あれがもうすぐ順番が来る合図になってるんだよ。

 あんたが座ってる椅子は緑色をしてるだろう。

 それはまだ順番が来ないということだ。

 順番が来た人が座っていた椅子は、どういうわけかまた緑色に戻るんだ。

 この病院は、患者ごとではなく、椅子ごとに待ち時間が決まってる。

 つまり椅子に座っていなければ、永遠に順番はやってこない。

 わかったら、大人しくしてるんだね。」

その老爺にしてみれば、駄々っ子をあやすための何気ない言葉だった。

しかし、相手は駄々をこねるがしかし子供ではない、悪知恵が働く男。

その男はブツブツと老爺の言葉を反芻して、老爺に聞き返した。

「緑色の椅子は、まだ順番が来ない。

 赤色の椅子は、もうすぐ順番が来る。

 この病院の待ち時間は、椅子ごとに決まってる。

 ということは、赤色の椅子を譲ってもらったら、

 順番を飛ばせるってことですね?」

そんな、何とも小狡い指摘に、

笑顔だった老爺の目がみるみる見開かれていった。

「それはそうだが、席を譲ってくれる人がいるかな。

 それともあんたまさか。」

「さすがの俺も、人の席を奪おうなんて思ってないですよ。

 ただ、席を譲ってくれる人がいなければ、

 譲ってくれるように頼めば良い。

 頼んで無理なら、譲りたくなるように仕向ける。

 俺、そういうの得意なんですよ。」

「どちらにしろそれは割り込みだぞ。

 滅多なことを考えなさるな。」

老爺の咎めるような声に、しかしその男は涼しい顔。

その男は、待ちきれないとばかりに立ち上がって、駆けていってしまった。

残されたのは空っぽの椅子。

その緑色の椅子を眺めながら、老爺はしみじみと言葉を漏らした。

「やれやれ、若いのは気が短くていかんな。

 早ければ良いことばかり、というわけでもないだろうに。」


 自分に宛行あてがわれた椅子から立ち上がって、

その男は広い待合室をキョロキョロと彷徨っていた。

「どっかに赤色の椅子に座ってる人はいないかな・・・いた。」

見るとそこには、人の良さそうな老婆が椅子に座っていた。

老婆が座っている椅子は赤色。

つまり、もうすぐ順番がやってくるという印だった。

その男はニンマリと笑顔を浮かべて、その老婆に話しかけた。

「お婆さん、お婆さん。

 そんな日陰の席に座っていては寒いでしょう?

 向こうに俺が座っていた席があるんですが、

 あっちの方が日当たりが良くて温かいですよ。」

すると、その老爺は、まるで人を疑うことを知らないような、

赤子のような穏やかな微笑みで応えた。

「まあ、お若いのに親切にして頂いて。

 年を取ると、体が冷えやすくて。

 席を譲って頂いても良いんですか?」

「ええ、どうぞ。

 あちらの方に少し歩いた先にありますから。」

「ご丁寧に、ありがとうございます。」

何も知らない老婆は席を立つと、丁寧に頭を下げて、

それから丸まった背中を支えながら歩いていった。

その後ろ姿を眺めながら、その男はこっそり舌を出す。

「悪く思うなよ、婆さん。若者は忙しいんだ。

 年寄りは時間が余ってるだろうから、いくらか譲ってもらうよ。

 その方が時間の有効利用というものだ。」

そうして、その男が赤い椅子に腰掛けること間もなく。

その男の名前が呼ばれて、診察室へと案内されたのだった。


 「問題ありません。」

診察室にいた医者は、その男の顔を見るなり、

開口一番そう言い放った。

その男はまだ黒い椅子に腰掛けただけで、何の検査もしていなかった。

「俺、車に撥ねられたんですが・・・。体のあちこちが痛くて。」

「ええ、問題ありませんよ。

 ここに来る人は、大なり小なり怪我や病気を患ってます。

 その程度ならむしろ軽いくらいですよ。

 本来なら、診察を受ける必要も無かったでしょう。」

「問題が無いのなら、俺もう帰りたいんですが。」

「ご心配には及びません。お迎えが来ていますよ。」

「そうですか。じゃあ、俺はこれで。」

拍子抜けするようなやり取りの後、その男は診察室を出た。

待ち時間に比して、その男が診察室にいた時間は僅か数分。

それ自体は病院ではよくあることだとしても、

何の検査もせずに退院と言われ、その男は首を傾げていた。

「こんなに簡単に退院なんて良いんだろうか。

 医者がそう言うのだから、まあ良いか。

 早く退院できたのなら得したってことだしな。

 迎えが来てるみたいだから、さっさと帰ろう。」

待合室と繋がる扉とは別の出入り口に案内され、病院の廊下を歩いていく。

やがて、長い廊下の先に出口が見えてきた。


 迎えが来ていると聞いて、その男はてっきり、

自分の妻が迎えに来てくれたのだと思っていた。

しかし、病院の外に待っていたのは、見たことがない真っ黒な車だった。

その男の姿を見るなり、後部座席の扉が自動的に開いた。

「どうぞ、中へ乗っておくれ・・」

「あの、あなたは?」

「この病院のお迎えをうけたまわってる者だよ。

 これからあんたを、送っていってあげるからね・・」

そう応えたのは、黒いフードを被った人物。

全身真っ黒の法衣のような服を着ていて、

表情はおろか体格もよくわからない。

車の運転にはおよそ似つかわしくない格好をしていた。

これは本当に迎車なのだろうか?

まごつくその男の背中を押すように、

黒いフードの人物がさらに声をかけてきた。

「さあ、どうぞ。遠慮せずに。

 徒歩よりも車の方が早いよ・・」

早い、という言葉は、その男にとって何よりも甘い言葉。

結局、その男は、黒い迎車に乗ることにした。

その男を飲み込んだ黒い車は、扉を閉め、静かに走り始めた。

人気ひとけのない道路を走り、穏やかな川を越え、

そしてその男は、そのまま帰ってくることはなかった。


 その男が黒い迎車に乗って姿を消した数日後。

その男の自宅では、通夜がしめやかに執り行われていた。

集まったのは、その男の親戚や縁のあった知人たち。

線香の香りが漂う中、顔を寄せ合ってヒソヒソと話をしていた。

「こちらの旦那さん、車に撥ねられたんですってね。

 でも、軽傷って話じゃなかった?」

「そのはずだったんだけど、

 容態が急変して亡くなったんですって。」

「まだ若いのに、お気の毒に。」

「せっかちな人だったけど、

 何もこんなに急いで逝くこともないだろうに。

 奥さんだってまだ若いのに。」

車に撥ねられたその男は、病院に搬送され、そのまま帰らぬ人となった。

この通夜は、その男のもの。

予期せぬ訃報に、人々は驚き、

遺された夫人は、涙で頬をしっとりと濡らしていた。



 その男の葬儀が執り行われてから、数カ月後。

病院でまさに今、赤ん坊が生まれようとしていた。

産み落とされた赤ん坊を、産婆が取り上げて、母親に見せる。

「産まれましたよ。玉のような男の子です。」

赤ん坊の母親はというと、かつてその男の夫人だった女。

その女は、赤ん坊の顔を見るなり、一筋の涙を流した。

「まあ、あの人にそっくり。

 この子はまるで、あの人の生まれ変わりみたい。

 亡くなったあの人の分まで元気に生きてね。」

母親が赤ん坊の頭をそっと撫でる。

すると、その赤ん坊は、

ニンマリと笑顔を浮かべて、

心の中でこう思っていた。

「もう生まれ変わっちゃったよ。

 やっぱり、何事も早いって得だなぁ。」



終わり。


 誰しも遭遇したことがあるかもしれない、割り込みをする人の話を書きました。


人が一生の間に順番待ちをして過ごす時間は、

合わせてみると思ったよりも長いものだそうです。

そもそも人を待たせることの良し悪しは置くとして、

割り込みは人の時間を奪う大罪だと言っても過言ではないと思います。


作中の男は、自分が割り込みを繰り返した結果、

死神に割り込まれて、死ぬ順番が早まってしまいました。

しかし、生まれ変わりの順番も早まって、

結果として得をしているのは、実際の割り込みと同じです。

割り込み、許すまじ!


お読み頂きありがとうございました。


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