ことの始まり
「殿下、私もう耐えられませんわ!婚約を破棄させていただきます。」
由緒あるオークス帝国の建国記念パーティーで、声高らかに愚弟の婚約者が叫んだ。
豊かな栗毛色の髪を振り乱して、この女は一体何を言っているのだろうか。
王族から末端の貴族まで集まるこの場で、今あの女は盛大に不満を爆発させようとしていた。
「アリシア、待ってくれ!一体何のことだか僕にはさっぱり分からない。」
アーロンが今にも泣きそうな顔をしている。
仮にも将来この国を治める立場の者が、大衆の面前でそのような情けない顔を見せるとは。
母様は今はらわたが煮え繰り返る思いだろうな、などと思いながら壇上を仰ぎ見た。
予想通り、母の左の眉がほんの少し上がっている。
しかし、傍観を決め込んでいるところを見るに、何か考えがあるのかもしれない。
父はわかりやすく母の隣でおろおろしていた。女王が場を止めない以上、王配である父に今できることはない。
「殿下は常に、マリー様をお慕いなさっていたではありませんか。
つい先日も、王宮の庭で二人で抱き合っておられましたよね。私拝見しましたの。
手紙のやりとりもなさっておいででしたね?」
アリシアの言葉で、先ほどまで静かだった会場がざわつく。
マリーは確か弟に恋慕していた伯爵令嬢だ。
幾度となく告白してその度に玉砕していたはず。
彼女に心が動いていた様子は見受けられなかったが。
「そんな!!一体誰がそんなことを?僕は誓ってそんなことはしていない!」
叫ぶ弟を尻目に、彼女は続けた。
「やりとりされていた証拠がこちらに。当のマリー様も殿下とのご関係をお認めになりました。
目撃者もいるのですよ?」
徐に取り出した手紙は、白地に金の紋章が入ったもので封筒に”マリーへ”と書かれていた。
紛れもない、王家から出された手紙だ。
「今ここで手紙の内容を読み上げてもよろしいのですよ?」
彼女の一言で、場の全員の興味がさらに増した様だった。
「お待ちください!」
鈴の様な可憐な声のする方を見れば、渦中のマリーが進み出ていた。
「アリシア様、ここはどうかこのままお納めくださいませんか。
殿下、申し訳ございません。私が至らぬばかりにこの様なことになってしまい、ご迷惑をおかけしてしまいました。」
深々とお辞儀をするマリーに対して、
「デルヴェイ伯爵令嬢、僕たちの間には何もないだろう。誤解を招くようなことは言わないでいただきたい」
と弟は懇願するのみだ。
きっと列席者には、”殿下は婚約者がいるにも関わらず、可憐でうぶな他の御令嬢にも手を出し、挙げ句の果てにその事実が露見した暁には、容赦無く御令嬢を捨てる外道”に見えているに違いない。
だが、私や家族は弟がどれほど彼女を好いていたか知っている。
何せ、彼が私や家族の反対を押し切ってまで自分の意見を通したのはこれが初めてだったのだから。
彼の熱意を私たちが認めたからこそ、一介の男爵令嬢が婚約者になれたのである。
まあ、結果は散々なのだが。
母の怒りは、今暴露されている愚行ではなく、婚約を反対し続けなかった過去の自分、捏造された証拠に貶められている現状を自力で打開できない愚息へのものだろう。
会場全体が、アリシアの次なる発言を今か今かと待ち望んでいる中、
「我が国の大切な建国記念パーティです。この話はこの辺でやめにして、後日調査をし、その結果を踏まえた上で婚約の破棄を決定致しませんか。そして、もし調査の結果、バーンズ男爵令嬢のご発言通りであるなら、殿下の人格ひいては資質に関わる問題ですので、殿下の王位継承についても話し合いをするべきかと思いますが、どう思われますか。陛下」
と叔父が発言した。
何もこちらに有利な証拠や目撃者がいない今、殊更に無実のみを訴え、アーロンを庇うのは無意味だ。
この話に乗ってこの場はやり過ごした方が良い。
沈黙していた母が口を開く。
「ミハイル公爵の言う通りだ。列席者の皆の気分を不快にしてしまい、誠に申し訳ない。王子は自室へ。御令嬢にはそれぞれ部屋を用意する。そちらで休まれるが良い。」
そして眼光鋭く付け加えた。
「この問題は徹頭徹尾調べ上げ、事実を明らかにすると約束しよう。」
その刹那、アリシアの肩がびくついたのを私は見逃さなかった。