表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

1、転移と若返り

彼は滅多に笑わないので、「笑わないあの部長」とよく呼ばれていた。

部長というのは学校のクラブではなく、小さな会社の職名だ。

独身55歳。痩せてもいないしそれほど太ってもいない、目立たないおじさん。

部下を叱ったりすることはないが、笑顔は見せない。

いつも無表情なので一見冷徹なようだが、話してみると意外と文化的な趣味を持っているし、気遣いもできる。

仕事に関しては「根拠のない感覚よりも分析したデータに基づいて取り組みましょう」と言う一方で、「運が悪い日はたいてい曇りの木曜日ですね」とデータに基づかないことも言ったりもする。

彼はそんなどこにでもいる男性だった。


そんな彼が見知らぬ地に転勤ならぬ、「転移」した。

振り返ればその日は確かに運の悪い日で、曇りの木曜日の夕方の4時44分だった。


ちょうど仕事帰りに缶ビールを買うためにコンビニに寄って、ついでにトイレに入ったところ、突然、隣の個室が光り出したのだ。

驚いて彼はトイレから出ようとしたが、漏れ出した光は一瞬で彼を包んだ。


「なんだこれっ」


光に包まれて周りが何も見えなくなった。

その眩い世界は一瞬で暗転し、叫び終わる前に彼は見知らぬ大地に立たされていた。


そこは一面の荒野だった。


荒野の中にある小高い丘の上に彼はポツンと立っていた。

トイレもコンビニもない。

夕日が赤茶けた大地を照らし、遠くの小さな森の上を小鳥が飛んでいるのが見える。


「は?」


彼は誰もいない空間に疑問を投げた。

風がわずかに砂を巻き上げながら通り過ぎる。


(ここはどこだ。アメリカか、オーストラリアか。パスポートは持っていなかったが大丈夫だろうか。)


彼は意外にも落ち着いてそんなことを考えていた。

それは彼が今まで不意打ちをくらいまくる人生を送ってきたおかげでもあるし、非常事態に面した時に感情をシャットアウトして逆に異常なまでに冷静になるクセがついていたからだった。


(トイレに入った時に何か薬物を打たれて気を失っているうちにここに運ばれたのか?

しかし、周囲に足跡はない。自分が突然この場所に現れたようだ。

腕時計は木曜の夕方4時45分に向かっている。この腕時計が正しいとするならほぼ時間差を生じずにこの場所に送られたのか?)


周囲を見渡すが、広大な大地とはるか彼方に見える白い山脈に夕日が沈んでいくだけだった。


(ゲームや漫画で見るような魔法で転移させられた、とか。 召喚術で呼び出された? まさか。もしかするとリアルなVRの中にほうりこまれたのかもしれない。いたずらか、ドッキリか、実験か)


しかし、近くには誰もいない。


彼は荒野を見下ろしながら

「ホッ!」

と高い声で短く叫んでみた。


耳を澄ます。

遠くで何かの獣が叫ぶ声が聞こえる。

大型の鳥だろうか、日常では聞かない鳴き声が何度か響いた。

自分の声に反応したわけではなさそうで、時々聞こえては消える。



「動物はいるのか。だが、夜になるとまずいな」


彼はつぶやいた。


(肉食の獣が出てくるかもしれない。

気温は今は低くないが、夜になると急激に冷え込む可能性もある。)


彼は所持品を確認した。

仕事鞄はトイレに置いてきてしまった。

普段ポケット入れているモバイルデバイスも財布も、トイレに入った時に鞄の中に入れてしまった。

ポケットは空。

所持品はアナログの腕時計、スーツ、革靴、革のベルト、就職祝いにもらった使い古された絹のネクタイだけ。


(仕方ない。

まずは森に向かうか。

森は動物が多くて危険かもしれないが、水の確保と雨風を防ぐ目的では有用だ。

ここよりは地面が柔らかいだろうから、穴を掘って寝床にするか、木の上に避難することもできる。)


そう彼は考えて、森に向かって歩き始めた。


近くに見えていた森は、実際にはかなり離れていて到着するのに30分ほどかかった。

あたりはすっかり薄暗がりで、ちょうど太陽が最後の輝きを途絶えたところだった。


森に入る手前で気づいた。

その灰色の幹と薄い黄色の葉の木が規則正しく並んで生えていた。

見たこともない木だが、おそらく植林されたものだろう。


(近くに人が住んでいるのかもしれない)


そう思いつつ、彼が森に足を踏み入れようとした時、

ヒュッと風を切る音がして、彼は左のふくらはぎに激痛を感じた。


「うぐあっ」


彼は転ぶようにしゃがみこんで左足を触った。

細長くて硬いものがふくらはぎを貫通していた。


(矢!?)


薄暗がりでよく見えないが、羽がついているのが手触りでわかった。

矢の先も触ろうかと思ったが、毒矢の可能性を考えてやめた。

刺さっている方向からして、後方から狙われたようだ。

彼は次の矢がくる可能性を察して、地面をはうように身を伏せたが、周囲に体を隠す場所などなく、足の激痛も増すばかりだった。

30秒ほど待ったが次の矢はこない。


「おーい、誰かいるんだろ?」


彼はそう叫んだが風に木の葉が揺れる音しか聞こえない。

結局仰向けになって左を曲げた。

矢は固くて折れない上に、矢の先はかえしがついていて抜けそうにない。

彼は血まみれになった手を投げ出して、大の字になって空を見上げた。


「くそっ、いってててて。洒落にならん。誰だ、こんなことするやつ」


苦痛に顔を歪めながら見上げた夜空は、彼が見たことがないくらい美しかった。

小さな星々が一面に広がっていた。


(綺麗だな・・・。あんなにたくさん。これを見ながら死ぬのだろうか。それもいいかもしれない)


彼はそう思いながら星空を眺めた。

そして気づいた。


(ん? 天の川がない。月もない。いや、時間帯の問題か?)


彼は全天を見渡した。

見慣れた星座がない。

北斗七星も北極星も南十字星もない。


(そうか、知らない星なんだな)


彼がそう悟った時、星空を何かが遮った。

最初は大きな鳥の群れが横切ったのかと思ったが、それらは旋回しながらゆっくりと降りてきて、人の姿をしていることがわかった。

いや、背中に翼が生えていたので正確には人の姿ではなかったし、羽の生えた猿のモンスターという可能性もあったがそれが自分に近しい存在だと直感した。

それらは彼を取り囲むように地面に降り立たった。


「天使?」


彼はそれらに声をかけたが、複数の弓を引き絞る音だけが返ってきた。

それらは彼を取り囲んで弓を構えていた。


「トドメ、さすのか?」


彼は話しかけたが何も返ってこない。

なんとなく、緊張した冷徹な空気が伝わってくる。

本当に彼を殺す気のようだ。


『ケンメ、トリアイリーティティ』


彼を取り囲んでいた者たちが、一斉にそう言った。

それは女性の声だった。


そして、矢が放たれ、周囲は光に包まれた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・



(ん? なんか良い匂い。腹減ったな)


彼は匂いに誘われて目を覚ました。

はっと体を起こす。

そこは広い体育館のような場所だった。

高い天井は製材された木材と乾燥した植物の革や葉で構成されている。

陽の光が壁の窓から差し込んでいる。

窓と言ってもガラスがあるわけではなく、木でできた太いブラインドのようなものが四方の壁にはめられていて、どちらかというと換気口のように見えた。

彼はその広い空間の壁際の一段高くなった場所で、壁から神棚のように出ているベッドの上に布団を敷いて寝かされていた。

まるで、生贄か神を崇めるように。

ただし、服装はスーツのままで、きつく締めたままのベルトを少し苦しく感じていた。


(そうだ、俺、異世界?異星に飛ばされたんだ)


彼はゆっくり起動し始めた脳とともに最後に経験した出来事を思い出し始めた。


(そうだ、昨日、矢で)


「テルメ、メルティランテチチュ!」

「シルメ、ランリンイ」


足元から声をかけられ、慌てて足を引っ込めてベッドの上に座った。


ベッドの下から顔を出したのは日焼けした少女と少年だった。

双子だろうか、顔がよく似ている。

人種はよくわからないが、東アジア人の特徴もあればコーカソイドの特徴もある。

カスピ海周辺の民族の顔が割と近いように見えたが、服装はネイティブアメリカンに似ている。


(髪型で性別はわからないか)


彼は髪の長さで少年と少女だと思ったが認識を改めた。

知らない場所、知らない文化なのだ。

若い頃、海外の山奥へ営業をしに行った経験が


そして、目の前のこどもたちは背中に黒い羽を背負っている。

その折り畳まれた翼は小刻みに動いて絶妙にリアルで、非現実的な場所にいるんだという現実感を与えて彼を冷静にさせる。


二人はベッドに身を乗り出して、爛々と目を輝かせて彼を見つめる。

彼は困った顔で首を傾げて頭をかいた。


「えっと、君たちは誰?」


そうきいたが、当然言葉は通じないようで、二人は無反応だった。

こどもたちと見つめ合ったまま沈黙が流れる。


(あ、そういえば、矢で射られたのに足が痛くないな)


ズボンをまくって左足を出して確認すると、ふくらはぎには嘘のように傷も傷跡もなかった。

縫い目もなければ包帯も巻かれておらず、治療された跡もない。


彼は傷のあった場所を指差してから、双子を指差した。


(これ、君たちが直してくれたの?)


すると、二人はニコッと微笑んで頷いた。


(お、ジェスチャーが通じるのか。指差しも頷きも共通か)


彼は他にもジェスチャーが通じるかと思って彼らに近づいた時、彼がいるところ反対側にある建物の入り口のあたりから声をかけられた。


「おはよう! 目が覚めたようだね!」


女性の声だった。

そして、その言葉は彼がよく知る言語で発せられたのだった。


彼は驚いて声の主を見たが、逆光でよく見えない。

女性は黒い翼を広げて1度羽ばたくと一直線に彼の横に飛んで来た。


彼は風に顔をしかめながらその女性を見上げた。

まとめずになびく黒く長い髪、目の前にいるこどもたちと同じ人種で同じような民族衣装を来ていた。

年齢は10代後半から20代前半くらいに見えた。


「君、言葉が通じる?」


「まあね!」


女性は目を輝かせて彼を見下ろして答えた。


「よかった。ここはどこ? どうして俺はここにいるんだ?」


「そう聞くと思っていた。が、君の望む答えを私は知らない、タカチー」


タカチー。

そう呼ばれて彼は眉を上げた。


「は!?  君、どうしてそのあだ名を知ってる?」


「あだ名? 名前ではないのか?」


「小学生の頃にそう呼ばれてたんだ。どういうこと? 君とは初対面だよね?」


「そうだ」


「名前は?」


「私の名はヒュウ。この子はキュウ、そっちはジュウ」


ヒュウと名乗る女性は、髪の長い子と短い子を順に指差して言った。


「タカチー、私が説明できることは少ない。これからミククに会いに行く。彼女が全て説明してくれるだろう」


「ミククって?」


「お前を転移させた魔法使いだ」


ヒュウがニンマリと笑顔を見せて言った。


(転移? 魔法?・・・・・・・そんなものがあるのか)


一般的な地球の教育を受けてきたタカチーは、魔法などというものは当然フィクションで、超自然的な力や事象も信じてはいない。

しかし。


(面白いじゃないか。バーチャルであろうと幻覚であろうと、魔法が使えるなら面白いじゃないか)


笑わない部長タカチーは、久しぶりにニヤッと笑みを浮かべた。

その笑みはあまりにもぎこちなくて不気味で、ヒュウも双子のキュウとジュウも「ひっ」と後退りした。


「わかった。連れて行ってくれ」


「お、おう。お前、妙に落ち着いてるな」


「ま、もういい歳だからな」


「あ、そうだ。ミクク様からこれを預かってたんだが、必要なさそうだな」


ヒュウは腰の巾着袋から小さな小瓶を取り出した。

中には薄紫色の怪しげな液体が8割ほど入っていた。


「それは?」


「中身は知らないのだが、お前の傷が完全に治癒できてなかったり、持病があって動けないようならこれをかけてやれって言われてたんだ」


(いわゆる、回復薬、ポーションか)


「あ、俺、持病ってほどじゃないんだが、肝臓とコレステロールの数値がちょっと悪いんだ。それも治るか?」


「カンゾウ? コレステロール? スウチ? なんだそれは? 病気か」


「うーん、ま、生活習慣病っていう・・・」


「病気なのか! ならばすぐに治さねば、他の者にうつるではないか!」


ヒュウはそう言って小瓶のフタを開けた。


「あ、これは誰かにうつるようなものじゃなくて・・・って、わっ、冷たっ!  もうかけてるじゃないか。これ大丈夫? 後で高額請求したりしないよね?」


「安心しろ、ミクク様の治療は無償だ。労役も金のやりとりも必要ない」


「そ、それならいいか。そのポーションで生活習慣病が治るなら」


(ふーん、衣装や建物からして文明はあまり発達していないと思ったが、少なくとも貨幣経済は存在しているんだな)

タカチーは会話の中で推測した。


ヒュウはびしゃびしゃと怪しい液体をタカチーにかけ続けた。

「ポーション?・・・あ、回復薬か。そうじゃないと思うぞ。色も違うしな。・・・よし、全部かけたぞ」


タカチーは頭から首筋がベトベトで、スーツも所々シミができていた。


「こんなので・・・うわっ」


突如、液体が一斉に聞かして白い煙になった。

まるでタカチーが燃えているかのように煙はどんどん膨張し、重力に逆らいつつ全身を覆っていった。

タカチーは煙や液体を払おうとしたが、まとわりつくばかりで離れない。

10秒ほどでタカチーは諦めて、じっと座ることにした。


ヒュウが尋ねる。

「ゲホッゲホッ、すごい煙だな、大丈夫か?」


「大丈夫、息はできる。もしかして、こんなに煙が出る液体って珍しいのか?」


「ああ、私は見たことがない。ミククさま、私に一体何を持たせたんだろう」


「あ、おさまってきた」


煙がどんどん薄くなってきた。

すると、ヒュウと、横で見ていたキュウとジュウが「おーっ」と感嘆の声をあげた。


「ん? 何か変わった? そういえば体調が良いような。体が軽くなった? あっ」


タカチーはそう言いながら手足を見てハッと気づいた。


「あ、よく見える! すごい目が良くなってる」


もともと目は良い方だったが、最近はやや老眼が入ってきて近くのものが見えにくくなっていた。

それが今や、近くのものも遠くのものもはっきりと見えるのだ。


「すごい回復薬だな、これは。ありがとう」


タカチーはそう言ってヒュウを見上げた。

すると、ヒュウは顔を赤くして目を爛々と輝かせてタカチーを見つめていた。


「どうした? もしかして、ツノとか生えててきてる?」


タカチーは頭を触ったが特に何もない。


そう、何もなかった。


タカチーは驚いた顔になって髪を何度もかきあげる動作をした。

そして叫ぶ。


「か、髪が、ないっ!」


手はひたすら頭皮に触れて、一本たりとも髪の存在を感じることがない。


もしかして、と頭からそのまま自分の顔にも触れると、普段は油ぎっているか、乾燥しきっている肌が、今は程よくツルツルになっていた。

頭も顔もツルツルになっていたのだ。


「す、すごい。まるで若返ったみたいだ」


再びヒュウを見上げると、ヒュウは腰の巾着から小さな円盤を取り出した。


「見てみろ」


それは手鏡だった。

ヒュウにうながされてタカチーは鏡を覗き込むと、そこには20歳前後の頃のタカチーがうつっている。

彼はもともとその年齢の頃はスキンヘッドだったのだ。

もちろん見た目に彼の面影は十分にある、だが顔のたるみはなくなり、落ちていたまぶたは上がり、目の周りの小皺、目の下のクマ、額や口の周りの深い皺などは全てなくなり、全体的にキリッとしていてもはや別人と言っても良いほどの変わり様だった。

タカチーの見た目は55歳からおよそ35歳前後若返っていたのだった。

見た目だけではない、体のくびれ、腕や足の筋肉が若い頃のように引き締まっているのをタカチーは感じていた。


タカチーは鏡にうつった自分の姿を見て固まっていた。


「す、すごいぞ、タカチー。これはきっと最高秘薬アムリタに限りなく近い薬だ。まさかミククさまがこんなに優れた薬をお持ちだったとは・・・・・・・ん? どうした」


ヒュウは興奮したように話していたが、タカチーの顔がどんどん青ざめていくのに気づいて怪訝そうな顔になった。

そしてタカチーは、鏡から目をそらすと頭を抱えた。


「ヒェあああああ、若返ってるぅう! !  元に、元に戻してくれえええっ」


そう言ってタカチーは布団を頭からかぶって丸くなってしまった。


「やめてくれ、やめてくれ、もういやだ、戻してくれ、せめて、髪を戻してくれ」


タカチーはそう呟きながらガタガタ震えている。


「えっ、なんで?」


その様子を見て、ヒュウとキュウとジュウの三人の疑問符が飛び交った。

つづく !

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ