82 指名依頼 パンを焼く 後編
ヨアヒムさんが踊りはじめた。
いやー、踊っているわけじゃない。パンを焼いているんだ。
それは分かっているんだけど、これ踊りに見えるのよね。
粉を二種類、それに水を合わせて、捏ねて生地を作る。
できた生地を少し置く。
とろりとした液体をふりかけて、それをまた捏ねる。
そしてさらに休ませる。
休ませた生地を打ち粉したまな板に乗せて、叩いたり、伸ばしたり、具を入れたり、型に入れたりして形を整える。
焼き釜(わたしの担当よ)の中を確認し、焼いているパンの置き場所を調整して、一部を取り出す。
発酵釜から入っていた生地を出して、焼き釜に入れる。
形を作ったばかりの生地を、発酵釜へ入れる。
焼き釜から取り出したパンの粗熱を取り、隣の調理場へ持っていく。
そして調理場から戻ったら、また粉と水を合わせて生地を捏ね始める。
一連の作業を、隣の薪釜の火加減も見ながら、平行して回していく。
はじめは普通にパン作りだったんだけど、周回を重ねるごとに色々な作業が追加されたり、違う作業に置き替えられたりしていく。
時には焼き窯から取りだしたパンに水をかけて、また焼き釜へ戻したりしてね。
その様子はまるで同じ旋律を繰り返して演奏するオーケストラの演奏で、一周ごとに楽器を変えたり増やしたりしているみたいで、パンを焼く動作が次第に複雑なハーモニーを奏でていくみたいだった。
ヨアヒムさんが奏でるリズムに身を委ねていると、同じリズムを刻んでいるものがあるのに気付いた。
薪釜だ。
薪釜の火がヨアヒムさんのリズムに合わせて踊っていた。
それとも、ヨアヒムさんが薪釜のリズムでパンを作っているのかな?
よく分からないけど、楽しいから良し。
「もう十分美味しく食べられるくらいまで冷めましたよ」
ウラさんが言う。
ああ、最初の一口が微妙な食感だった二分の一丸パンのことね。
「そうだね。紙袋に入れて口を開けてあるから、もうすこし置いておいても大丈夫だけど、味や食感はだいぶ安定した頃かな」
ヨアヒムさんがそれを良しとする。
地図作成スキルの時計をチラ見すると、いつのまにやら一時間以上が過ぎていた。
あら、もうそんなに時間が経ったのか。
二人に言われて、先ほど千切った丸パンの端っこをもう一度千切る。
あ、ホントだ。いつも宿で食べるパンの弾力だ。
そのまま口に運ぶと、
「あれ、美味しい。いつもより」
「本当ですね」
ウラさんも同意見らしい。
味はいつもと同じなんだけど、香ばしさや複雑さがいつもより増えている気がするんだ。
「いつものパンよりも美味しいですよ。いえ、いつものパンも十分美味しいんですけど」
「そうか、やっぱり分かるんだね……」
「どういう事でしょう」
ウラさんが尋ねた。
「この薪釜は親父から引き継いだものでね、僕はこれで修行して一人前のパン職人になったんだよ。アンジェラと一緒になって、彼女の支援でパン工房の規模を大きくして、彼女の宿屋と食堂とパン直売所を拡張したのだけど、薪釜一つでは生産が間に合わなくてね。それで導入したのが、その新型の魔石釜なんだ」
ヨアヒムさんは手を止めることなく話しているので、右へ左へとちょっと忙しない。
「事前の火入れは十分したんだけど、実際にパンを焼いてみると魔石釜の出来はどうしても薪釜から一枚落ちてね。釜っていうのは次第に馴染むものだから、時間が解決する話かも知れないけど、両方一緒に動かすと改めて差が際立つね」
あー、魔石釜が新しいから、釜がまだ馴染んでいないか、でなければヨアヒムさんがまだ新しい釜に馴れていないのか……。
熱源の差も影響しているのかな?
「薪の火と火属性魔石に違いはないんでしょうか」
ウラさんも似たような疑問をもったらしい。
「燻製づくりと違ってパンを焼くのに使う薪は、煙や匂いの出ないものを使うんだ。パンは周りの匂いや味を吸うからね。だからそれ程の違いは出ないと思うんだけど、ひょっとしたらそれもあるのかもしれないね」
一応伝えておこうか。
「ひとつ気になった事があるんですが」
「何だい? 何でも言ってくれよ」
「薪釜とヨアヒムさんって同じリズムで踊っているんですけど、こちらの魔石釜にはその……揺らぎ? がないんです……よ?」
熱源はわたしだけどね!
「踊っている? 揺らぎ?」
だめか、やっぱりうまく伝わらないや!
まあそうだよね。わたしにだってよく分からない。
きっと猫族の鋭敏な感覚でないと、分からない話なんだろう。
揺らぎ自体は、たぶん薪が燃えることによるものなんだと思うんだけどね。
「うまく言えないんですけど、薪釜が燃えるのと、ヨアヒムさんが作業するリズムが同じなんですよ。わたしにはそう感じられました。朝『やっとか』と言ったのは、釜から感じられる熱量が同じになったという事なんですが、魔石釜にはずっと薪釜のリズムは無いように感じられるかな? と」
魔石釜は、温度計の針ばかり見てたしね。
「ふむ、リズムね。それは魔石釜でもやれる事だろうか?」
あー、火壁の大きさを、脈動するように変えるってことになるのかな?
「んー、ちょっと分かりませんね。試してみますか? やって良ければ……やってみますけど」
仮にも売り物を作っているんだ。わたしが好き勝手をする訳にはいかない。
でも興味はある。
だからちょっと狡いかも知れないけど、責任者に話を振ってみた。
「そうだね。その前に、ミユキ君」
「はい」
「魔力は大丈夫かな? もう仕事を始めてから2鐘(6時間)を過ぎているけど」
ああ、そんなに時間がたってたのか?
ほんとだ。地図の時計を見ると、いま9:47amだ。まもなく仕事を始めてから7時間になろうとしている。
ヨアヒムさんと薪釜のファイアーダンスを見ていたら、あっという間に時間が過ぎていた。
楽しかったんだね。
「魔力は大丈夫です。まったく減った気がしません」
「本当かい?」
「はい。スキルのせいで、あの位の火壁なら自然回復しちゃうんですよ。きっと」
「そうか。大丈夫なら、そのリズムとやらを試してもらえるかな」
よし、許可をゲットだ。
いくよっ!
薪釜のリズムを聴く。これは今まで通りだ。
それを魔石釜の火壁へと伝える。
うーん、いま一つ反応が鈍い気がするね。
似た雰囲気にはなるんだけど、いま一つ薪釜と重ならない。
いっそ火壁じゃなくて、薪釜の温度そのものを複写してやろうか。
あ、割といい感じ。
でもな、これわたしが居ないと出来ないから、方法としては却下かな。
「どうですか? ミユキさん」
ウラさんが聞いてきた。
「うーん、できてはいるんだけど、いま一つ成果に乏しい感じ?」
「そうですか。ふと思ったんですが」
「何? アイデア歓迎~」
「最初のやり方で、釜に薪を加えるというのはどうでしょうか」
えっ?
火壁の火力は一定のままで、釜に薪を加えるの?
そりゃうまく行けば温度管理はできるし、薪の炎の揺らぎが加わる。わたしが居なくても、魔石の熱源が戻れば即実施できるか……。
ご主人のヨアヒムさんを見ると、頷いて。
「やってみてくれ。勘の鋭い人がいるうちに、やれる事はできるだけ試しておきたい」と言ってくれた。
乗り気みたいだ。
よし、やろうか。
結果、大成功でした。
薪釜の複写とは行かなかったものの、これは別の個性だ。
薪釜とヨアヒムさんの和声に薪入り魔石釜が加わって、即興演奏になった。
もともとの個性が近しいものって、親和性が高いのかしらね。
お昼ご飯をはさんで(仕事は続けてます)パン焼きをしていると、魔石釜業者の使いの人がやってきた。
昼2鐘(午後3時)ごろ復旧にやって来るそうだ。
「これで材料の追加をやめて、用意してある材料を使い切る形で終了します。もう一息頑張ってね」
やった、終わりが見えてきた。でも今回は、魚釣りの時とはちがって退屈する事はなかったわ。
炎×2+ヨアヒムさんの即興演奏が楽しかったせいだね。
でもまったく体を動かさずにいたのに、朝ご飯もお昼ご飯もしっかり食べてしまった。
太らないかな?
ちなみにお昼は魔獣魚(と、まとめてそう呼ぶらしい)サンドだった。
魔獣魚はもちろん、取ってあったDランク昇級審査用の余りを、わたし達が出したものだ。
わたしが「サバサンド」が好きなので、丁度いいからと材料を提供してリクエストしてみたんだ。
トルコやバングラデシュ方面の料理だよ。サバサンド。
月那が前につくってくれて、それからわたしのお気に入りになった献立だ。
もちろん旅のお供には、魔獣魚サンドだけじゃなくて色々なお惣菜サンドを作ってもらった。
そしてアンジェラさんもこの味が気に入ったようで、使わなかった分はまとめて買い取ってもらった。
毎度あり~。
魔獣魚ってホントに需要が高いみたいで、お惣菜サンドの代金を差し引いても大幅な黒字になったのは、うれしい誤算だったね。
魔獣魚サンド、癖になる味だった。大事に食べよう!
†
「「お世話になりました」」
「二人とも気をつけてね」「お姉ちゃん、元気でね」
お世話になった宿、お菓子亭を発つ。
名残惜しいけど、旅立ちの時は来るんだよ。
これつい先日、高校を卒業したばかりの女子の実感ね!
荷物は全部収納の中なので、身軽に動ける。
またここへ来る事は……まあないだろうけど、女将さんたちの事は忘れないからね。
きょうの夕ご飯は、インゲルスさんたちとご一緒する予定だ。
アンジェラさんの指名依頼達成証明書を携えて、先ずは冒険者ギルドへ向かおう。
今年最後の更新です。
また年明けにお目にかかりましょう。
皆さま、よいお年をお迎えください。




