81 指名依頼 パンを焼く 前編
「ミユキさん、起きていますか?」
暗い部屋の中に、ウラさんの声が聞こえた。
「起きてま~す」
眠いけど……。
今日は宿の女将のアンジェラさんから出された指名依頼で、パン工房でのお仕事だ。
ひょっとしたら指名依頼は、わたしたちがDランク冒険者になったお祝いなのかもしれない。
とは言え仕事は仕事、手を抜けるはずもない。
今日の朝が早いと分かっていたので昨日は早くに寝たんだけど、日の出どころか空が白んでさえいない午前三時まであと少しという時間、やっぱり眠いね。
「少し灯りを点けますね」
「うん」
【灯火】
小さな明かりが灯った。
魔石灯の明かりよりもずっと小さい、ロウソク半分くらいの明るさで光る魔術の灯りだ。
わたしは猫族の体のおかげか、暗闇でも立振舞に支障がない。だけどウラさんはそうも行かないので、小さな明かりを点けたわけね。
真っ暗闇じゃ着替えだってロクに出来ないものね。
明かりが小さいのは、暗闇に慣れた猫(族)の目が眩まないようにという、ウラさんの気遣いだ。彼女がその気になれば文字どおり目が眩む明るさで照らす事や、懐中電灯のように一方向だけ照らす事も、閃光灯のように瞬間的に照らす事もできる。
ちなみに光らせるだけならわたしにもできる。
火術剣だ。
わたしの火術剣は普通のそれと違って、炎を上げたりしない。
細く伸ばした円筒形の【断熱】は、中から光を発して蛍光灯やケミカルライトみたいに見える。
それどころか長さや太さ、明るさだって変えられる。
ただ飛び火こそしないものの、うっかり柱にでも触れさせると一瞬で燃え上がるので、屋内では使うのは自重しているのよね……(しょんぼり)。
着替えをすませて廊下へ出ると、階段の降り口に点いている常夜灯で視界が明るくなった。
これ魔石灯だから常夜灯を灯していられるけど、それ以前ってどうしてたんだろう?
まさか人目のない場所でロウソクやランプを一晩中点けっ放しにしてたとは思えないし、真っ暗だったのかな?
謎だね。
†
昨晩教えられた通路をたどって、人のいない調理場の奥からパン工房へと入る。
「「おはようございます」」
「やあおはよう、約束どおりだね。二人ともよろしく頼むよ」
煉瓦造りの薪釜の炎に照らされた工房の中、ご主人のヨアヒムさんがいた。
すでに温まっている薪釜ではパンが焼かれていて、美味しそうな匂いが漂っていた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。では早速始めますね」
昨日作業を試して決めた場所へ、二人して向かう。
ウラさんは発酵釜へ、わたしは焼き釜へ着く。
わたしが着いたパン焼き釜は、ヨアヒムさんの薪釜と同じ煉瓦造りの天火釜だ。ただしこちらは幅奥行きともに大きく、薪を焚く場所に大きな穴が開いている。
故障した、火属性化魔石を使った熱源を外した穴だ。
わたしはここに火壁を出して、釜を指定の温度に維持するのが仕事になる。
【火壁】
釜の中でわたしの火壁(中)が立ち上がる。
この火壁を出しっ放しにして、わたしの魔力がどこまで保つのか? と言ったあたりが気になったこともあって、この仕事を受けたという面もある。
決して「お弁当のお惣菜サンド」の為だけじゃないのよ。
ホントだからね。
ウラさんが担当する発酵釜は大きさは似たようなものだけど、パン焼き釜と較べて熱源はだいぶ小さなものが付いている。
小さい代わりに、こちらは暑い時には冷却もできるらしい。
こちらの熱源は付いたままだけど、ヨアヒムさんが薪窯を動かすために手が空かなくて、昨日は他の人に付いてもらったそうだ。
どちらの釜にも温度計が付いている。
セ氏何度と言うような目盛り付きのものではなくて、針が指す範囲に印だけ付いたものね。
それぞれの釜の温度計の針を決められた火力の範囲でその印の範囲に収めておくのが、わたし達の仕事ということになる。
地味だ。
火を入れてから一時間ほどが経ち、パン焼き釜の温度が安定してきたようだ。
でもウラさんの発酵釜には捏ね上がったパン生地が入れられているけど、わたしのパン焼き釜にはまだ何も入れられていないのよね。
ずっと空焚きしてるのよ!
温度計の針は三十分ほどで安定したんだけど、そこで温度計の上昇が止まった。
つまり火力を絞るタイミングは、もう少し先という事らしい。
そのまま待つことさらに三十分。釜全体が熱をもって自己主張をし始める。
これでようやく、ヨアヒムさんが見ている薪窯と同じ感じになった。
「やっとか…」
なにが? 釜全体の踊り具合がだよ。
赤外線か何かよく分からないけど、熱が踊っている感じがするんだ。
顔やシッポや衣服越しにも、その感触が届いて来る。
その強さが古い薪釜とこちらの魔石釜(熱源はわたし!?)で揃ってきた気がして、つい言葉が漏れたのよ。
だって暇なんだもん!
「ん? どれどれ? お、いい具合に温まってきたね。そろそろこちらでも焼こうか」
「はい」
どうやらこの“熱が踊る”感じを待っていたらしいヨアヒムさんが、ウラさんの発酵釜からパン種をいくつか取り出して、わたしの魔石釜へ入れた。
焼き釜より温度の低いパン種が入って、釜の温度はほんの少しだけ下がった。とは言っても、温度計に変化が出るほどじゃない。
火力をそのままを維持して様子を見る。
のぞき窓があるわけじゃないんだけどパン種が入れられた瞬間、さっきの踊りの勢いが下がった気がするのよ。
でもそれも、周りの温度がパン種に染みこむようにして次第に一体となっていったのね。
そしてそのまま数十分。薪釜から出されて放置されていた丸いパンが、ヨアヒムさんによって調理場へ持って行かれた。
暫くして戻ってきたヨアヒムさんの両手には、紙の袋が握られていた。
「はい、どうぞ。本日一番に焼き上がったパンだよ。まだ粗熱が取れたばかりだから食べ頃までまだ少し掛かるけど、しばらくしたら朝食が来るからそれまでの繋ぎにどうぞ」
と言ってわたし達にその包みを渡してくれた。
ひょっとして中身はさっき持って行った丸いパン?!
袋の中を覗くと、確かにあのパンだ。あれが半分に切られて入っていた。
ベーカリーお菓子亭の焼きたてパンか!?
さっそく端っこをつまんで囓ってみる。
おろ?
味はいつものベーカリーお菓子亭品質だ。だけど食感が今ひとつ頼りない。
なぜに?
「パンは焼き上がってから粗熱が取れて、その後生地が落ち着いてゆく過程で腰のあるいつものパンになって行くのですよ」
わたしが頭に?マークを浮かべていたのだろう。ウラさんがこっちを見て、そう説明してくれた。
何も言ってないのに……。
わたしって表情が読みやすい?!
「よく知ってるね。ああ、修道院で作ったのかな」
「はい」
読みやすいらしい……。
そうか、修道会では修行の一環で調理をしたりもするんだよね。
前にもそんな事を言っていたし。
それに最近は普通の外套を羽織っているけど、ここへ来た当初は神殿の法衣姿だったから、神殿関係者とバレていても不思議じゃないね。
わたしはパンは食べ専だな。月那のところで焼いてもらった事があるくらいだ。
そのときはホームベーカリー頼りで、そういやあの時も待ち時間が長かった。
でも今は自動で出来上がりのブザーを待つ、と言う訳には行かない。
他の事で気を紛らすわけにも行かないのだ。
お仕事だから!
「だいぶ安定してきたから、この後はすこしペースを上げるね。ああ、上げるのは僕のペースね。君たちは今まで通りにしていてもらって大丈夫だから」
わたし達は変わらないのかーい!
暇なんですけど……。




