80 指名依頼の受注
「ただいまー」「ただいま戻りました」
「お帰り。大変なんだよ、パン焼き釜が壊れちゃってさ」
「え? ええ─────!」
最後の夜に、お菓子亭のパンが食べられないのかな?!
「どうしちゃったんですか!?」
「うちには建て替えの時に入れた新式の魔石釜があるんだけど、その火力調節が急にうまく行かなくなってね。食材が焦げて使えないのよ」
「そうすると、今日の夕食は? それより明日お願いしてあったお弁当は?!」
旅立つにあたり、お惣菜サンドをまとまった数、明日の朝受け取りでお願いしてあったのだ。
わたしの収納の“状態変化無効”がどの程度のものか知りたいという理由があったからで……いえ嘘です。旅先で美味しいパンが食べられるかどうか分からなかったからです。
ともかく、女将さんは収納のことを知っているから、食材を無駄にする心配もさせずに済むのよね。
「もともとあった古い薪釜に火を入れたから、今日の分は大丈夫なの。だけど古い釜だけだと明日の分が、昔から定期的に卸している数分しか焼けなくてね」
「ひえ~」
つまり、食堂で出している分と一般向けに販売している分、それに勿論わたしが頼んだ分も作れないということか。
がくっ。
「そんなに情けない顔をしないで。そんな事情なんで二人に相談なんだけどね」
「はい? なんでしょう」
「あなた達二人とも術士なんでしょう? せっかくDランクになった事だし、指名依頼を受けてみる気はない?」
え、どういう事でしょうか!?
†
「ご機嫌ようリシュヌ」
「あらいらっしゃいませアンジェラさん。それに、ミユキさんとウラさんもご一緒で、今日はどうされました?」
「今日うちで、ちょっとした厄介事があってね。それで私の発注で、この子たちに指名依頼を受けてもらおうかと思って」
アンジェラさんの所で厄介事?
宿屋兼パン屋さんの厄介事って何かしら?
急な人手不足?
「彼女たちで解決できる問題なんですか?」
「完全に解決できるかどうかは分からないわね。でも当面の事態緩和はできると見込んでいるのよ。あとはどこまで出来るのかって話ね」
ふーん、まあこの人が“打開の道がある”と言うのだ。
ともかく話を聞いてみよう。
「分かりました。では状況と依頼内容、それに依頼の達成条件お話しください」
「分かったわ。ことは今日の昼下がり、新しいパン焼き用の魔石釜が故障した事から始まったのよ……」
話はわりと単純だった。
パン工房に新しく導入した、魔石を熱源とする天火釜が、異常過熱をして使えなくなった。
すでに業者が来て、火属性化した魔石を使用する熱源を外して持ち帰っている。
彼女たちの仕事は、外した火属性化魔石の代替として、釜に熱を供給し釜の温度を調整する事。
業者が不具合対策をして、熱源を戻しにやって来るのが明日の午後の見込み。
したがって仕事の開始は明日の未明から、依頼の終了は、熱を供給できなくなるか、もしくは業者が対策済みの熱源を戻して普段の状態に戻るまで。
少々作業バランスの悪い依頼だけど、パーティーへ発注する場合はそんなこともあるしね。
問題なし。
報酬はパーティーに対して、1刻につき銀貨五枚。それに指名依頼の加算がついて、合計で銀貨六枚。
但しこれは、アンジェラさんが支払う金額だ。
実際に働く冒険者に対して支払われるのは、1刻につき税金と組合の手数料を引いた銀貨四枚と大銅貨二枚になる。
さてはアンジェラさん、この二人に組合の仕組みを学ばせようとして、わざとここへ連れてきたわね。
わざわざ指名依頼にするあたり、手が込んでいる。
目の前でお金のやり取りの話をすれば、嫌でもお金の流れが分かる。
もちろんそれは、話している内容が理解できる冒険者に限った話だ。
読み書き計算ができなければ、自分がいくらの仕事をして、いくらの報酬を手にしているのか理解できないからだ。
これができない冒険者が多いがために、「少しでも分かり易く」の理念で設定された冒険者組合の料金体系は、金銭部分だけを見ればあまり良心的とは言えない。
難しい計算(とは言っても四則算の範囲なんだけど)になって自分で自分の稼ぎを算出できない人をなるべく出さないための料金設定は極めて単純であり、二律背反で非効率になる。
そのぶん「騎乗免許講習会一回無料提供」のような、活動に積極的な冒険者に有利となる貢献によって釣り合いを取っているわけだ。
ミユキさんは冒険者登録の際、自分で書類に記入していた。少なくとも読み書きはできる。
裏の解体場で氷を出してもらったときも、なにかしら計算しながら試行錯誤していた気はするが、あの時は不覚にも私の方が虚けてしまったため、確信が持てない。
残念だったわ。
ウラさんは、冒険者登録をした際の書類を見たけれど、受付の代筆だった。
十二歳でFランクの登録は、経済的に余裕のない家庭で育った子どもの典型だ。
その当時は自分の名前を書く事ができなかったらしい。
それが今は術士だ。
術士で読み書き計算ができないと言う事はまずない。
とくに神殿の術士となれば、伝書が読めなければ話にもならない。
それもあの大地母神神殿総本山の話なのだ。
あそこは教育水準が高い。
各国から次代を担う選り抜きが集まる、知の殿堂でもある。
しかもウラさんは近接戦闘まで高いレベルでこなしている。
ならば恐らく、修道会に所属する僧兵。
神殿騎士団と神殿術師団から選ばれた、遠隔と近接の両方に適性を持つ少数精鋭の所属先だ。
何れにしてもあのアンジェラさんが、見込みのない者をわざわざこんな所へ連れてくる訳もないか……。
「時給はDランクの術士向けとして標準的ですが、この条件ですと魔石釜の業者が明日早々に修理に来た場合、二人が肩透かしを食いかねません。最低賃金の保証をいただけませんか」
これくらいは言っておかないと、次からこちらが侮られてしまうだろう。
「陽が昇って早々に業者に来られても、こちらは忙しい盛りで相手をしていられないから心配ないと思うけれど、それで安心するって言うなら2鐘分(約6時間)を保証しましょう。ただし、その前に魔力切れを起こした場合は別ね。その時はそこでお仕事終了。それでいい?」
いい落とし所だろう。
と言うか、最初からこの辺りを狙っていたんでしょうね。この遣り手お婆さんは。
あそこはもともとアンジェラさんの旦那さまが経営していたパン工房だったのだけど、美味しいパンに加えて女性専用の宿を拡張し、どちらの事業も順調に業績を伸ばしているという遣り手なのだ。
見かけは若く見えるけれどこのお婆さん、私が新米のころには既に大ベテランで、先ごろ見つけた若い旦那さまとご結婚、冒険者を寿勇退した上かわいらしい娘まで拵えたという大妖怪だ。
マヌエラのような森精族でもないのに、なぜこれほど長く現役でいられるのか。何より可愛い娘まで産んでしまうというのはどんな奇跡なのか!?
「リシュヌ、あんた何か失礼な事を考えておいででないかい?」
「いえ、そんな事は! まったくもって全然!」
いけないわ。新人のころから知られている相手と言うのは、まったく以ってやり難い。
まああの妖か……いえ女将が宿をやってくれているお陰で、嫌な思いをする女性冒険者が減っているのは確かなことだ。
いくら自分の理解を越える存在だからと言って、係わりを絶つのは余りに損失が大きい。
この先も良い関係が続けられると……、……いいわよね。
「手続きが完了しました。預託金はいつもの個人口座から引いておきます。何か質問はございますか」
「いえ、ないわ」
「「ありません」」
「では、良いお仕事を」
は~、疲れた……。




