6 その日
「兄さん、準備はいい?」
歳の離れた兄、敦守達弥(27)の部屋に、扉から半身を覗かせて私はそう言った。
急いでお風呂から上がったので長い髪がまだしっとりと湿っている。髪を乾かすのも部屋でするつもりでヘアドライヤーも持ってきた。
「おう、それじゃあ行ってくる」
すでにゲームアプリケーションは動いているので、あとはログインして、月那と合流するばかりのようだ。
親しい友人の佐橋月那とMMORPGを始めてみようということで、兄さんのサポートを受けながら何とか二人でゲームを始められたのが昨日のこと。
きのうの夜は遅くまで、わたしと月那それぞれのアバターで街の観光と簡単な依頼をして過ごした。
なるほど、自分の分身を傍から見る感覚が不思議っていうのは、兄さんの言った通りだった。
「明日は13時からレベル上げをお願い」と送った、兄さん宛てのメールへの返信で知れた、何で持たされたのか分らなかった映像ケーブル。
これを使って、シネマシステムに映し出されたコンピュータの画像は、ふたりの興奮をさらに一段引き上げた。
月那の家が一軒家でホントよかったよ。
楽しさに時間を忘れた二人の電池が切れたのは、深夜の二時を過ぎたころ、インストールの始まりから14時間、よくやったわ。
お風呂に入って見た鏡の中の自分の姿は、ちょっと他の人には見せられないわねと、心に刻む事になったのは秘密だ。
ゲームは楽しくても程々がいいわね(悟り)。
楽しい時間が続いた分、ふたりで一緒に遊べないもどかしさも積み上がっていたようで、重い体と頭を引きずって倒れ込んだ月那のベッドで、ふたりで朝まで眠りに就いた。
そして今日。
うっかり(必然?)で別々の国へ降り立ってしまったわたしと月那は、合流を目指して騎乗資格を取るべくレベル上げを始めた。
おもに月那と兄さんがね。
朝はゆっくりお昼近くに起き、二人でブランチして、いつもより念入りに身支度を整えたあと、兄さんのログインを待った。
月那は今日も引き続き、リビングのシネマシステムでゲームするようだ。
味を占めたな。
わたしは今日はどうしようかな?
†
結局、兄さんと月那がレベル上げを始めてしばらくして、わたしはお宅をお暇した。
ずるずると時間が過ぎて、今夜の夕食までいただく事になっては申し訳なかったからよ。
家に着くと、兄さんは月那とふたりで隣の街にあるダンジョンへ向かう途中のようだ。
まったく危なげがないのはさすがね。
そして夕飯時の大休憩を挟んだあと、お風呂も済ませて、さあ、わたしも始めるか。
べつに月那がレベル20になり騎乗できるようになって、ここに来てくれるまでぼーっと景色を眺めていても構わないんだけど、それじゃあなんだか負けた気がする。
そうよね。わたしもレベルが低いから依頼主体でやってきたけど、そろそろレベルを上げましょうか。
あの兄さんが付いている月那と同じ、レベル20というのは無理でしょうけど、いま着ている防具はレベル16まで使えると言ってたから、王都の外の平原で頑張ってレベルを上げて、レベル17の新しい装備でルナを迎えましょう。
そしてふたりで一緒にレベルリセットすればいいのよ。
うん、そうしましょう。
それじゃあ行くわよミーユン、狩りの時間よ!
勇んで飛び出したのはいいけれど、さすがに王都近くでは間引きが行き届いているのか、魔獣にも出会わないのね。
もっと王都から離れないと無理かしら。
たったったったったっ……。
いた。魔獣だ。あれは大蜂?
弓で射つ。
命中。
あら倒せてない。こっちへ飛んでくるわ。
弓をしまい、腰の短槍を引き抜く。
振る。突く。よし、倒した。
ミーユンの主武装は弓、副武装は短槍二槍流なのよ。
ふつうは逆の事が多いらしいわね。
でも現実で弓をやっていたから、素通りしたくはないのよ。
部活でやっていただけなので、それほど深い拘りがある訳でもないけどね。
でも兄さんに「弓でFPSができる」と聞いたときは、ちょっと心が動いた。
FPSの意味は兄さんに解説してもらったわよ。
槍はほら、弓ほどじゃないけど相手と距離が取れるじゃない?
やっぱり魔獣だの怪獣だのと、あまり近くでやり合うのは嬉しくないのよ。
それで長い槍を選んでみたら、「手持ち武器が弓と槍では、洞窟や迷宮みたいな狭い場所で役立たずになるぞ」と駄目出しされちゃって、渡されたのがこの短槍二本なのよ。
この二本、背中合わせに繋げて片方の穂先を外すと長鎗になるし、両方外せば長棍にもなるの。
もちろん戦闘中にそんな付け替えができる訳じゃないけど、近接戦の距離感を掴むにはいいだろうって渡されたわ。
なんでこんな変な武器を持ってるのかしらね?
うーん、それにしてもせっかく弓で先手が取れるのに、威力が弱くて仕留められないのが勿体ない。
なにか弓の威力を強くする方法ってないのかしら?
強い矢、強い矢、炎の…矢?
うーん、このゲームにそんなのはないか。
あ、次の魔獣だ。
狙って、狙って、て、あれ?
【炎の矢】?
攻撃の選択肢が増えていた。
あるんだね、炎の矢。
【炎の矢】を選択。
撃つ!
矢が炎を纏って飛んでいく。わあ、きれい。
私の放った【炎の矢】は、狙い違わず魔獣を打ち抜いた。
打ち抜いて、魔獣は倒れた。一撃?
すっごーい。
どんどん行くわよ。てぃ。てぃ。てぃ。
それにしても、ゲームの弓って、一射ごとに矢を一本消費するのね。
現実なら、明後日の方向へ飛ばさない限り、矢は回収できるのに。勿体ない。
でもまあ、現実に“炎の矢”なんて飛ばしたら、軸も矢羽根も燃えちゃうから、やっぱり使い捨てかしら。
倹約魂に後ろ髪が引かれるわ。
こんな強力な矢が何の対価もなく使えるのはちょっと不思議よね。
能力値画面を開いて見ると。
あ、MPが減ってるわ。
ということは、魔術の一種なのかしら?
でもこの威力で十発撃ってMP消費が五割なら、コストパフォーマンスは悪くない気がする?
よく分らないので、あとで兄さんに訊いてみよう。
もう一射したらMP回復しましょ。
MP回復。
これって実体の矢は必要なのかしら?
てぃ。
あら、飛ぶじゃないの。
威力は三割減ってところかしら。
実体の矢があるほうが威力は上がるのね。
でもこれなら、普段は“炎の矢”だけでいいかも。
弓って必要なのかしら?
【炎の矢】てぃ。
飛ぶわね。
エアボウだと、射程が三割減ってところかしら。
待って? “炎の矢”を撃つだけなら、弓も矢も要らないの?
ミーユンて魔術師だっけ? でも詠唱とかまったくしてないし。
ああ、このゲームに職業システムはないって言ってたよね。よくわかんないや。
【炎の矢】。【炎の矢】。【炎の矢】。【炎の矢】。
ん──、強い子ミーユン。
でも訳が分かりません。
まあいいか。かわいいし強いんだから。
この調子なら、月那と兄さんをレベル20で迎えられるんじゃないかしら。
いいわね、それ。じゃあGoGoGoよ!
†
ん……寝てた。
「あれ、…なんだろここ? 見た事のない天井ね……」
呟いてみても答えは浮かんでこない。
ここはどこ?
わたしは真幸。
頭は問題ないようね。
体も……よし動く。痛いところもない。
ベッドに仰向けで寝ていて、あれ? 知らない部屋だ。
広い部屋にベッドが数床並べられている。病院の相部屋病室のように。
他に寝ている人はいないけど。
部屋は華美ではないけど、品の良さが感じられる広い、客間? みたい?
病室じゃないの?
カタリ──
音がした。
「目が覚めましたか? ことばは分りますか?」
本編の始まりに至るお話という当初の目的は果たしましたので、ここで一旦止めて、頭を冷やしてから続きを考えます。
自分で書いておいて何ですが、だいぶ直す羽目になりました。
遠ノ守はプレビューの使い方をおぼえた。