41 冷えちゃった
「終わりましたリシュヌさん。……って大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
後ろを見ると、リシュヌさんの顔から血の気が失せていた。
目は開いているけど、呼びかけに反応がない。
氷の近くで体が冷えたかな?
もともとここは風通しが良くて、室内は暖かいわけじゃない。
そりゃそうだ、解体場が暖かかったら素材があっという間に痛んじゃう。
そんな場所で氷を納めた建物に三十分もいれば、体が冷えたって不思議じゃない。
わたしは水の魔獣を捕まえ始めたとき、しっぽの先を水に浸けた瞬間の“ゾクッ”とした感じが嫌で、最後は“しっぽの先”以外の空気の温度をセ氏二十三度に固定してその感覚を和らげた。
しっぽの先だけ外気に晒しておけば、周囲の温度や気配を感じ取れることが分かったからだ。
釣りながら色々と試したのよ。
ウラさんは、カジキの魔獣と闘った後、帰り道で同じものをかけた。
今も外していないから、ウラさんも冷えは大丈夫な筈だ。
だからリシュヌさんだけがこの氷の格納場所に、三十分以上晒されていたことになる。
気温以上に周囲の物が冷えている、いわゆる底冷えするという状態でね。
「ウラさん、リシュヌさんが冷えちゃった!」
言いながら、顔色を悪くしているリシュヌさんに駆け寄り、その周囲に恒温領域をつくって、冷気輻射から保護する。
設定温度はセ氏二十五度。
熱中症を気にする必要のある一番低い温度だ。
「此方に癒やしの光を、【治癒】」
ウラさんが反対側に立ってリシュヌさんの腕に手をかけ、治癒術を使った。
「治癒術ってこの場面でも役に立つの?」
夜、眠るまえにした話の中に、一般に回復術として知られている魔術の話もあった。
神殿勤めで光属性のある、ウラさんの専門分野だ。
そのとき怪我を治癒させる【治癒】と、怪我を回復させる【回復】の、大きく二つに分けられるという話は聞いた。だけどそれが体温低下に効くとは聞いていない。
「治癒するための前段階として、体が活性化して体温が上がるんです。あまり弱っている時に使うとかえって危ないですけど、これくらいなら大丈夫。あとでお腹が空くくらいです」
おお、専門家が使う裏技みたいなものか。
それにしても、やっぱりお腹が減るんだね。
そういえばウィアに教えてもらった“浄火”が使えそうかな。
副作用はないって言ってたから、使っておこうか。
【浄火】───
この術は体が火に覆われているように見えて、見た目が怖いので、リシュヌさんから見えない背中の側へ広げておく。
ウラさんが「大丈夫ですか? それ」と目で訴えてくる。
ウィアと夢で邂逅した翌朝、わたしが教わった【浄火】を早速試しているところに出くわしたウラさんは、「腕が燃えているっ!」とたいそう驚いたらしく、説明した後もこの術には苦手意識を持っているらしい。
なので、「(ウィアが)」と口パクで伝えてから、「弱ったときに使いなさいって言ってたから」と続けた。
「ふぅ────っ」
リシュヌさんが大きく息を吐いた。
あ、顔色が戻ってる。
「あら、微睡んでしまいましたか? 作業の途中で失礼しました」
すっきり目覚めた朝の、張りのある声が出ている。
大丈夫そうだね。
「いえ、時間がかかってしまって申し訳ありませんでしたけど、作業は終わりました。確認をお願いします」
「分かりました……。まあ、最大量まで入れられたのですね、素晴らしい魔力量です。体調に問題ありませんか?」
「問題ないです。少し魔力が減った感じがあるくらいですね」
「それは素晴らしい、“氷”の質にも問題ありません。依頼完了です」
†
解体場から受付けへ戻るとき、解体場の担当者と覚しいおじさんから、「魚が獲れるならまた頼むよ。普通の魚でもいいからさ」と頼まれた。
来週ここを発つのだと答えたら、すごく残念がられてしまった。
魚の品不足はいつものことらしい。
ゴメン。たとえずっとここに居たとしても、魚獲りは無理です。
ストレスで死んじゃう!
わたしたちは、魔獣の納品代金と製氷のアルバイト代、それに魔石を抜いた“水の魔獣”四匹を受取って、ほくほくしながら帰路についた。
明日はむりに魔獣狩りをしなくても良くなって、一日ぽっかり空いてしまったから、朝顔を合わせてから一日の予定を決めようという事になったよ。
ウラさんは今夜、大事を取って神殿の自室で休む。
冒険者ギルドのお隣だからね。
明日の朝食が終わった頃に、わたしが迎えに行くことになっている。
「じゃあ、またあした」
「はい、また明日、お休みなさい」
今日は早く帰るつもりだったのに、氷の件で結構時間を使ってしまったね。
今夜はこの後の予定を整理しとこうかな。
そんなことを考えながら、わたしは“お菓子亭”への帰途についた。
お休みなさい───。
†
「行ったのかい?」
ミユキさんとウラさんが帰った後、やって来たのは資料室の主、マヌエラ・ルーだ。
「あら、気になるならの見に来れば良かったのに」
「関係のない者に観られながらじゃ、彼女たちも落ち着かないだろう。気を使ったのさね」
「よく言うわね」
空中に満ちる精霊の多寡を感じ取れるマヌエラには、ミユキさんとウラさんが来たことも帰ったことも分かっているだろう。
それでいて気を使ったような口振りでいるのだが、これはいつものことだ。
「それで今日の注目点は? 何かあったんでしょう? あなたとても楽しそうよ」
「え? そうかな」
指摘されるまで自覚がなかったのか、すこし慌てた風に自分の綺麗な顔をペタペタと触るマヌエラ。
同性ながら惚れ惚れしてしまう美しさだ。
頬をさわった拍子に長い髪が揺れ、そこから尖った耳が一瞬顔を覗かせる。
「来たときと帰るときは、前回と同じく火属性と光属性の精霊が集まっていたのだけどね、途中で火属性が闇属性に面変わりしたので、何があったのかなと尋ねに来たんだよ」
「あら、そんなことになっていたの。それたぶん氷を作っていた時ね」
「氷?」
「そう、氷。あの子たち“水の魔獣”を大量に捕まえてきたのよ。それも信じがたいことに、B-のカジキまで二匹!」
「ははっ、それは凄い……なんてものじゃないな。Eランクが二人で、よく生きて帰ったものだ」
「それで魚は足が速いから、保冷庫の氷を追加発注しないとって話をしたら、氷なら出せますよって」
「それは珍しいね。火属性なんだろう? あの子は」
「そう思っていたけど、温度制御技能のせいで、熱いのも冷たいのも同じに取り扱えるそうよ。技能の名前は身上鑑定器で分かっていたけど、こんな現れ方をするのね」
「温度自在なのか、それは凄いな」
「じっさい凄かったわよ。神殿の秘蔵っ子がどんなものか、興味があったからやってもらったの。そうしたら、三十分少々で貯氷塔の一目盛り分を氷で埋めてしまったのよ」
「なんだって?!」
「分かるでしょう? その意味が。作った氷の全てが【氷弾】に使えるのよ。あの子はその気になれば、一人で騎士団を相手取れるだけの潜在力を持っている。それも最初からじゃない、ふつうに【氷弾】を使えただけの子が、氷の性質を調べ、模倣し、やり方を考えて生成速度を上げていったのよ。その場で! 急速に!」
「…………」
「資質だけなら“Aランク”に届きかねない逸材ね。なのにDランクの常識さえ知らない不安定。神殿騎士団長と神殿術士団長が連れてきた最初が相応だったのよ。なんで後は同年代の神官一人に任せているのかしら? 神殿がなにを考えているのかさっぱり分からないわ……」
「君、……深刻そうな話の割には随分ニコニコしているね」
「そう? 私ね、その危険に気付いた不安と寒さで、意識を飛ばしちゃったのよ」
「珍しいね」
「気付いた時にもちゃんと立っていたから、ほんの一瞬のことだと思うのだけど、気付いたときには二人して、私に手を貸して心配そうに覗き込んでいてね。そのときには、あれ程感じていた不安と心細さがすっかり消えてたの」
「なにか治癒術か状態異常解除でも使ったかな。消えかけだけど、光属性の精霊が君にまとわり付いている」
「そうかもね。それで私、大丈夫って感じたのよ」
「それだけで?」
「そう。それだけで」
「ホントにそれだけ?」
「本当にそれだけよ。いけない?」
「いや、悪くない。君の勘はよく当たる」
「ねえ、久しぶりに何か食べに行かない?」
「唐突だね。けどいいよ、細かい経緯も聞きたい。仕事が終わったら食事に行こう」
「じゃあ、その時に」
「ああ、その時に」
(本編 第四章19(×)→(○)第二章17 からの続きです)
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誤字報告をありがとうございました。
このシステムのことは知っていましたが、パッと見て時間がかかりそうでしたので後回しになっていました。
オンラインで書いている場合はクリック一つで修正が反映されて終わりですが、わたしのところはオフラインでエディターを使って書いたものをコピー&ペーストしているため、すべて原本を探して修正する必要があり時間がかかりました。
指摘のすべてをそのまま適用するわけにもいきませんしね。
数が多くて修正も大変でしたが、それよりもこの誤字誤用報告を作成する手間の膨大さを考えると気が遠くなります。ひょっとして本職の方?
中のいくつかは、完全に意識の死角に入ったもので、指摘されてなお自分で見つけ難いものでしたので、大変感謝しています。
ありがとうございました。




