1 プロローグ
「兄さん、準備はいい?」
年の離れた兄、敦守達弥(27)の部屋の扉から、半身を覗かせて私は言った。
お風呂上がりの寝間着姿で、長い髪がまだしっとり湿っている。部屋で乾かすつもりでヘアドライヤーを持ってきたよ。
「おう真幸、それじゃあ行ってくるわ」
もうゲームアプリは動いているので、あとはログインし相手を待って始めるばかりのようだ。
これから始めるのはゲーム「セブン・ネイション・ファンタジー・オンライン」
みんなが「SNF」「七国」「セブン」「ナナ」などと呼んでいるMMORPGだ…そうだ。
MMORPGは、Massively Multiplayer Online Role-Playing Game のこと、多人数がネットワーク越しに同じ仮想世界に集い、好きなキャラクター──人物・怪物──になって好きなことをするゲーム。いわゆるネトゲというもの……らしい。
らしいというのは、うちにはゲーム機というものがあったことがなくて、このゲームが、わたしの人生初のビデオゲームだからだ。
言わない? ビデオゲーム。
そうかな。
つまり、ぴかぴかの初心者ってわけね。アハハハッ。
†
今月高校を卒業して、仲のよかったお友達とも進路は別々になってしまった。
でも春休み──高校卒業して大学入学前って春休みって言わない?──は思う存分遊んだし、一緒に旅行にだって行った。
さすがに学校が始まるとそれぞれの生活があるから、始終一緒にいるわけにはいかないんだけど、なるべく連絡は密にしたいし一緒に何かしたい。
でもちまちまとスマホを気にして覗き込んでいるのは趣味じゃない。
どうしたものかっていう話を、旅行に行ったときに宿のお布団の中でしていたら、月那が唐突に「今日行った渓谷の山桜がきれいだったよね。一面桜の谷を遡っていくと、桃花源に迷い込むって言うけど、あれを見たあとだとちょっと行ってみたいな、桃花源」とか言い出した。
トウエンメイって誰よ? この文学少女め。
トウエンメイは知らないけど、桃花源ってあれよね、桃源郷とかいうやつ。
中華幻想小説か。
そういえば中華のじゃないけど、うちの兄さんが幻想世界で遊ぶゲーム、やってたね。
大人数があつまって、文字でおしゃべりしながら、冒険者になって依頼をこなしたりお祭りに参加したり。
兄さんなんて、「たまにお気に入りの音楽が流れるエリアでアバターを待機させて、ずっと本を読んでいることがある」って前に言ってて、なに勿体ないことしてんのよ。と思ったものだけど、これならふたり時間が合う時はいっしょに何かすればいいし、合わなくてもすることはあるんじゃない?
どうよ月那。
「ん? ゲームでお話?」
よく分からないけど、お兄さんがやっているなら悪い話ということもなさそうだから、無理せず始められるなら一度やってみようという事になった。
だけどそうよね。続けるかどうかも分からないゲームのためにわざわざゲーム機を買うほどのお小遣いはもらってない。だから無理せずに始めるための最初の関門は、いま持ってるコンピューターで出来ることなのだけれど、わたしも月那も機械には決っして強くない。
アプリを買って、追加して、ゲームをするなんていうのも実は少々敷居が高い。
コンピューターも最初からいろいろ入ってて、あれこれ手軽に始められるのが好みよ。
なのでここは適材適所。ノートコンピューターを買ってもらえる事になったときだって、機種選びの候補を絞ってくれたのは兄さんだった。
なにが基準になったのか分らないけど、ずっと不具合なく使えている。
ここは、この方面で頼りになりそうな兄さんに相談してみよう。
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