09 人族街へ
シンディが、アルフヘイゼ伯爵の元に来て、数週間が経った。
吸血行為にも慣れ、豊かな生活のお陰で、わりと筋肉質だが豊満な身体になりつつある。
着替えて化粧をすれば、商家や貴族の令嬢と言われても異論はでないだろう。
立ち居振る舞いも、伯爵様に仕える為にと、日々の練習が実っている。
かつての知合いが見ても、同一人物と気付くかどうか怪しい。
朝食の最中に、セベッタが壁の暦を見て話す。
「今日は、人族街へ行く日だったわね?」
「準備は出来てるわよ」
セベッタとアテンシアの会話に、シンディはついていけなかった。
そもそも、壁に貼ってあったのが、暦だとは知らなかった。
田舎の農村では、年数と季節しか、つけてはいなかった。
個々の誕生日など『〇〇年の秋』という様な覚え方だ。
月数や日にちなど、意味がなかったからだ。
「あっ、あのおぅ~『人族街へ行く日』って、何ですか?」
シンディは、暦に興味を引かれつつ、二人に聞いてみる。
「まだ、話してなかったわね?農場の作物や工芸品を人族の街で売って、人族の通貨を手に入れる日よ。アテンシア、今日はシンディも連れていって良いかしら?」
「大丈夫だと思うわ。こちらの作業は、最低限だけやっておくし、ヤーシャ様が亡くなってからと変わらないって考えれば」
そもそも、先代のメイドが亡くなってから、彼女達は、二人で切り盛りしていたのだ。
「人里へ行けるのですか?」
「そうよ。護衛も付くけど、逃げようと思えば、逃げられるわよ?」
アテンシアが、意地悪そうな目付きでシンディに話す。
シンディは少し考えて、大きく首を左右に振った。
美味しくて、豊富な食事。
清潔で高級感のある環境。
争いや危険性のない生活。
過酷ではない労働や運動。
刺激的で癖になりそうな吸血行為。
飢餓状態で、自殺か身売りしか選択肢の無い、辺境の貧しい農村で生まれ育ち、奴隷として幾人もの末路を眺めてきたシンディ。
不確かな人族の社会に翻弄されてきた彼女は、今は納得できて安定した永続的な豊かさの中に居る。
誰が、不確かな自由かもしれない未来を選ぶだろうか?
今は、家族と暮らせないのは淋しいが、農村に戻りたいとは思わない。
他の人族社会には、何の伝手も無い。
シンディには、今の生活を捨てる気など、全く起きなかった。
食事を終えて、シンディ達が向かった中庭には、三台の荷馬車に荷物を積む獣人と、三人の人影があった。
「人族?こんな城内に?」
「彼等は人狼よ!」
「人狼・・」
人狼とは呪われた種族だ。
真祖が狼だったのか、人族だったのか、人族に近い魔族だったのかは判らない。
彼等は限定条件付きで、不老不死。二つの形体を持ち、強靭な肉体で、どんなに傷ついても再生する。
そして、食べた人族の容姿と記憶を奪い、人族の社会に紛れて獲物を狙うのだ。
「月に一度の人里入りには、彼等が同行して守ってくれるわ。左から隊長のガイセル、彼女はルドラ、ラインドールよ。」
三人の視線は、シンディに注がれている。
「おはよう。彼女が新入りの?」
「おはようございます。そう、彼女がシンディです」
「は、はじめまして。シンディです。よろしくお願いします」
頭を下げるシンディに、彼等は笑顔で対応した。
「じゃあ、いつもの通り、俺とセベッタは、先頭で」
「え~っ、シンディと別ぅ?」
ガイセルの言葉に、セベッタが抵抗する。
「御者台に三人は狭いでしょ!新入りさんは、私と一緒に真ん中の荷馬車よ」
ルドラの言葉に、シンディが少し怯える。
「大丈夫だよ。伯爵様のディナーを、とって喰いやしないから」
温厚そうなラインドールが言葉を添える。
「よ、よろしくお願いします」
首輪の留め具を締め直したシンディの怯え具合は、まだまだ魔族に、慣れてはいないのを如実に物語っていた。
確かに、人族を喰う人狼相手では、冗談が難しいだろう。
屋根付きの荷馬車は、其々が馬四頭立てで、沢山の荷物を積んでいる。
シンディは、ルドラに手を引かれて、荷馬車の御者台に乗り込んだ。
こうして見ると、普通の人族の女性と区別がつかない。
彼等の見た目は、村にも時々来る『冒険者』と呼ばれる人達だった。
女性の冒険者姿は、はじめて見たが。
「あら?珍しい?」
「はい。男性の冒険者は、村でも見掛けたのですが」
「確かに少ないわね。でも、女性しか入れない場所も有るから、女性の警護も必要でしょ?村人の女性じゃあ威嚇にならないし、村人が強くても違和感が有るしね」
よくよく考えられた配役に、シンディは感心する。
馬車が走り出し、荷台の軋む音と馬の足音が、リズミカルな調べを刻み始める。
「ところで、セベッタには襲われた?」
「えっ?」