43 人狼と妹
テイロスは、傷口を押さえながら、痛みと憎しみに、顔を歪める。
切り落とされたテイロスの腕からは、血が吹き出していたが、それも直ぐに止まった。
その断面からは、血の代わりに見る見る肉が盛り上り、指が生えてくる。
「見たかシンディ。コイツは、お前の兄ではなく、兄を喰い殺した人狼なんだ」
ガイゼルは、テイロスに剣を突き付け、反対の腕でシンディを抱き押さえた。
「違う!俺はシンディを助ける為に、人狼の肉を喰って力を身に付けたんだ」
「俺も人狼だから匂いでわかるぞ。それに魔族の、人狼の肉を食べれば、人族は死ぬんだ」
それは、シンディも聞いたことのある話だった。
村でも、狼の肉は食べても、角狼の肉は食べてはいけないと注意されている。
「でも、俺は生き残った。身体は人狼になったかも知れないが、心はテイロスのままだ。人族の記憶も心も、これっぽっちも失っていない」
ガイゼルは、首を左右に振った。
「お前達の認識は、間違っている。人狼に特有の記憶や心なんて無い。俺達は空っぽだから、人族を喰って、その記憶や心を手に入れる。複数の人族を食べて、複数の記憶を手にした時に『自分は人族じゃない』と自覚できるんだ」
シンディは以前、ガイゼルに人狼が人族の記憶と外見を奪う話を聞いていた。
農場で、人狼が人族の姿になるのも、何回か見ている。
だから、今さら作り話とは思わなかった。
「俺はテイロスだけだ。人狼の記憶も心も持ってない」
「空腹が限界を超えると、死ねない俺達は、自分の中の人族の部分を食べ始める。人族から奪った記憶は勿論、自分が得てきた記憶も、人狼である記憶をも喰らい尽くす。そうして、空っぽになって、獣に戻ってから、人族を食べると、どうなると思う?」
シンディは、前々から人狼と角狼と、普通の狼との違いに、疑問を覚えていた。
人狼は、極度に呪われた存在らしい。
「確かに、あの人狼は獣の様だった。確かに飢えていた。俺には人狼を倒した記憶も、喰った記憶は無いが・・・・だが・・・・嘘だ!俺はテイロスだ。テイロスなんだ」
テイロスは、自分の頭を抱えだした。
あの、森での事を必死に思い出す。
なぜ、あの時に、少しも服を身に付けていなかった?
あの怪物相手に、生き残れるのか?
最後に口にした肉は、人狼の毛が生えていたか?
「うぅぁぁぁああああああ!」
テイロスの精神が、壊れだした。
制御を失った肉体が、次第に変貌していく。
指や爪が伸び、全身が毛だらけになっていく。
口が前に突き出し、耳が尖りながら頭の上部へ移動していく。
「狼!」
シンディの目の前で、テイロスだった者は、二足歩行の狼へと変貌した。
膨れ上がる肉体に、服は破れ、剣や装備が次々と床に落ちていく。
そして、間近にいる人族に、牙を剥き、ヨダレをたらしはじめた。
「獣に喰われた、兄の魂を解放してやれ」
ガイゼルが、部屋に隠していた聖剣をシンディに握らせると、その白い刃が僅かに光を帯びた。
「お兄ちゃん。なんて事に・・」
泣きながら剣を握るシンディに、ガイゼルは手を貸して構えさせる。
獣化したテイロスは、涙を流しながら、必死に攻撃衝動を抑える様に、震えていた。
人族が、魔族を倒す為に作った聖剣。
その力は、不死と言われる者とて例外ではない。
絶対的な不死など存在しないのだ。
シンディが目を閉じたタイミングで、ガイゼルが、彼女の身体を前に押し出した。
◆◆◆◆◆
シンディが目覚めたのは、ベッドの中だった。
セベッタとアテンシアが、傍らで見守ってくれていた。
「私、どうして・・・」
「お兄さんを解放してあげてから、気を失ったのよ」
再会した兄が、狼へと変貌していった事が思い出されて、シンディは、涙を浮かべた。
「私、私は、」
「違うわ。シンディは、お兄さんの魂を解放してあげたのよ。獣の肉体に囚われていた魂を」
その言葉だけが、彼女を僅かに救っていた。
「さあ、御休みなさい。これを飲んで」
セベッタの差し出す御茶を飲むと、シンディは急激な睡魔に襲われた。
「御休みなさい、シンディ。悲しみは時間しか、解決してくれないから」
セベッタ達は灯りを消して、部屋を出ていった。
◆◆◆◆◆
城の一角。打ち捨てられたテイロスだった人狼の死体を、覗き見る男が居た。
知らせを受けて、城にやって来た、奴隷商人のクーデルだ。
「なんで、戦う事しか考えられない馬鹿ばっかりなのかねぇ?あの時に、言った通りに、一人で伯爵に会いに行けば、兄と妹として、一緒に暮らせたかも知れないのに」
去年の夏の終わり。
クーデルがテイロスと会った時の会話を思い出していた。
この地において、種族など些細な事でしかない。
敵対さえしなければ、他の可能性も有ったのだ。
「本当に、馬鹿ばっかりだ」
次回が最終回と言うか、後日談でシメです。
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