39 単独潜入
城は、川の近くに作られる事が多い。
少なくとも、引き込み水路はある場合が殆どだ。
それは、井戸では、城の消費量を賄う事が難しいからだ。
テイロスは、城の水路に潜り込み、地下水路を通って城内に再侵入しようとしていた。
彼の鼻を使えば、水の匂いは直ぐに判るし、水に身体を浸しておけば、匂いが察知される心配は無い。
ようやく見付けた、人が入れるサイズの地下水路の中では、城から何かが出ていく音と振動が反響している。
そんな引き込み水路の中でも、遠くで木々が倒れる音と、燃える匂いがする。
ルティアとカルディナが、頑張っているのだろう。
地下水路の中は、上部に頭の分だけは空間が空いていたが、蜘蛛の巣やら植物の根などが、幾重にも重なり、とても居心地の良いものでは無かった。
流水量と、微妙に吹く風のお陰で、臭い感じがしなかったのが、唯一の救いだ。
入り口の草などを残し、地下部分の障害物は、剣で凪ぎ払う事で、何とか息ができる状況だ。
流水に体温を奪われながらも、しばらくは動かずに我慢した。
普通の人族ならば、低体温症で倒れていたかもしれない。
「もう少し、我慢するか」
相手は、自分以上の感知能力を持っていると考えて、テイロスは慎重になっていた。
息を潜め、身体の動きも止めて耐えた。
どれだけの時間が経ったのだろう?
地下水路に響く物音が止み、若干の会話音が、城の方から響いてくる。
途中に、侵入者防止用の鉄柵が有ったが、テイロスの腕力で曲げられないものでは無かった。
やがて聞こえてくる、水の流れ落ちる音の先は、井戸の様な縦穴へと繋がっていた。
流水の割りに水かさが変わらないのは、別の所にも繋がっているのだろう。
上には雨避けの屋根が見えるが、空気の流れが屋外へと繋がっているのを教えてくれた。
「井戸か?」
釣瓶に繋がる縄を頼りに、気配を気にしながら、ゆっくりと登る。
登りきった所で運悪く、井戸に近付く気配が有った。
「殺るか?しかし、この匂いは人族?」
井戸を降りて、横穴に隠れるか?水中に潜むか?
迷っている間に、井戸の最上部にしがみついているテイロスと、その者との目が会った。
「えっと、人狼の方?何してるの?」
メイド姿の女性は、どうやらテイロスを人狼と間違っている様だ。
テイロスの肉体には、人狼の血肉が流れ込んでいる。
見ると緊張のあまり、彼の肉体の一部が獣化している。
間違える事も有るだろう。
それに対して、メイド姿の女性からは、人狼の匂いも、商人の様な香の匂いもしない。
ここは、誤魔化せそうだとテイロスは考えた。
「お城に来て、水を飲もうとしたんですが、はじめてなんで手を滑らせてしまって・・」
「落ちたんですね?今日は、外からの兵隊さんも来てますからねぇ」
一応は話が通じたので、テイロスは、周りに誰も居ないのを確認して、井戸を出た。
メイドが、濡れた身体を見て、手に持っていたタオルケットを渡してくれた。
「どうぞ、お使い下さい」
「ありがとうございます。えっと、確認したいのですが、貴方は人族ですよね?なぜ、お城に?」
「あぁ、私達は、伯爵様のディナーなので。とは言っても、血を吸われるだけなので、死にはしませんが」
「そうなのですね?危なかった。人族だからって、伯爵様のディナーを襲ってしまうところでした」
「良かったですね、怒られなくて」
彼女は笑っているので、襲わなければ、冗談で済まされる範囲なのだろうと、テイロスは判断して獣化を抑えた。
どうやら彼女は、水を汲みに来た様で、水桶を持っていた。
テイロスは、井戸の綱を引っ張って、釣瓶を引き上げる。
「ところで、先ほど『私達』と仰いましたが、他にも人族が居るのですか?」
「ええ。行商人以外には、私の様なメイド姿の女が他に二名居ますよ」
引き上げた釣瓶の水を、女性の持ってきた桶に注いだ。
「そうなんですね。教えて下さってありがとうございます。注意しておかなくちゃ」
「こちらこそ、御手伝い頂いて、ありがとうございます」
ここで、シンディの事を聞きたかったが、それはあまりに不自然だし時間もかかる。
御互いに礼を言って、別々の建物に向かう。
テイロスは、キョロキョロしながら、彼女よりもユックリと歩き、彼女が建物に入ったタイミングで、物陰に隠れた。
「あと二人か。今の女の匂いは覚えたし、他の人族の匂いを追えば」
テイロスが人狼の力を手に入れたのは、シンディと別れた後だった。
人族と人狼では匂いの感じ方が異なる為に、ここで彼はシンディの匂いだけを追う事ができないのである。
ただ、人族の匂いは分かるし、その匂いが集まっている範囲も嗅ぎ分ける事ができる。
「やるしか無いのか!」
テイロスは、衣服が生乾きのままで、己の肉体の一部を獣化した。
主に頭部と腕を中心に。
あまり好きではないが、彼は一人で狩りをしていた時に、全力を出す為、しばし獣化をしていた。
しかし、取り巻きやルティアとカルディナ達と同行する様になってからは、控えていたのだ。
胸元の装備を一部外して、防寒用のマントを前面にまで垂らした。
自分でも、生乾きの衣服の匂いが気になるのだから、他者からは、かなり臭うだろう。
あとは、素知らぬ顔で城の周りを廻って、人族の匂いを探せば良い。
置き土産とばかりに、周囲に積み上げられた薪に、ちょっとした細工をして、テイロスは、ユックリと腰を上げた。
そして、先ほどの人族の女が入った建物へと向かった。




