03 伯爵の館
シンディが目覚めたのは、頭を触る感触によるものだった。
そこは、明るい部屋で、芳しい香りが立ち込めていた。
背中が何かに寄りかかり、頭をまさぐられている。
押さえられている頭で、必死に視線を動かして見えたものは、全裸にされ、白い泡で全身を洗われている、彼女を含めて三人の娘達。
白と黒の、綺麗だが地味な衣装。貴族街で見掛けたメイド服を着た女性二人が、彼女達をキレイに洗っている。
見たところ、洗ってくれているのは、普通の女性だった。
既に洗い終わり、見違える程に綺麗になった一人が、湯気の上がる湯船の中で微睡んでいる。
泳げるほど広い湯船には、滝の様な場所から、次々と新しいお湯が流れ込んでおり、いつまでたっても冷める事はない様だ。
「ここは浴室?夢だったのかしら?それとも夢なのかしら?」
一瞬だけ、飢饉で奴隷に売られ、魔族の居る森へと運ばれた記憶が、彼女の脳裏に甦る。
「あら?目が覚めたのね?でも、お湯を掛けるから、もう一度、目を閉じて」
まだ、朦朧とする頭で、シンディは頭上から言われた通りに目を閉じた。
ザザー
豊富なお湯が、頭を洗い流していくのが判る。
香水の様な匂いに、少し酔った感じがして、頭の中が真っ白になっていく。
ブラシや布などで、文字通り、頭の先から爪先まで綺麗に洗われた彼女達は、乾いた布で全身を拭き取られ、鏡のある部屋へと移動させられた。
村の広場ほどもある広い部屋。
天井は高く、独特の紋章がパターンとして描かれている。
壁や床は、漆かワックスが染み込んだ高級仕上げで、要所々々(ようしょようしょ)に彫刻が施されている。
その部屋で、一人づつ順番に椅子に座らされて、髪を櫛でとかれ、爪を切って磨かれ、白く大きなタオル地のガウンを着させられた。
彼女達の前の大きな鏡には、見たこともない、可愛い娘達が三人、写っていた。
「これ、誰れ?」
綺麗な肌、艶のある髪。
湯船で温まった身体は、いまだに火照っており、スッキリした全身は、まるで生まれ変わった様に軽く敏感になっている。
見たことのない姿に、しばらく、彼女達の時間は、止まっていたようだ。
気が付くと、彼女達の後ろに、見覚えのある奴隷商が立っていた。
奴隷商の姿を見たとたん、彼女達の脳裏では、記憶と現実がつながっていく。
「夢じゃなかったし、夢でもない」
奴隷商に買い取られ、各地を旅して魔の森へと進み、人を喰らうと言われる魔物と魔族を見た。
綺麗に洗われる肉体。
「これは、料理の下拵え?」
食材を料理をする準備として、野菜を洗い、肉の汚れを落として、食べやすくする。
いつも、自分達が自宅の台所でやっていた事が、思い出される。
ただ、調理台に乗っているのが、鶏肉ではなく、自分自身だが。
鏡に映った自分の姿に、興奮していた娘達は、一気に青ざめ、項垂れた。
「見違える様だな。これなら高く売れる」
奴隷商は、二人のメイドが開けた扉を顎で指し示し、三人の娘達を急かした。
なんとか逃げようと、綺麗なカーテンの向こうに見える窓に目をやったが、外は既に真っ暗になっていた。
魔の森の奥深くへ、夜中に入り込めば、確実に死ぬ。
三人は、おとなしく奴隷商に従った。
その部屋は謁見の間だったが、娘達には広い部屋としか認識出来ない。
幾分か進んだ所で奴隷商に止められ、指し示された方には、少し高い場所に豪華な椅子が有った。
椅子の両脇に立つ先程のメイド。
よく見ると、両者共に美人だが、二人には年齢差がある。
顔つきが、まるで違うので親子や親戚ではないだろう。
奴隷商が椅子の方に向かって、片膝をついたのを見て、娘達も慌てて床に膝をついた。
真っ赤で無地な絨毯は、毛足が長く柔らかい。驚愕しながら床についた手を少し動かして堪能していたのは、彼女達の現実逃避だったのだろう。
しかし、それも近付く足音に掻き消され、恐怖で身体が震えてくる。
怖くて、頭が上げられず、彼女達は自分の手の甲だけを見つめていた。
椅子に座る音がした。
「奴隷商のクーデルでございます。アルフヘイゼ伯爵様には、御機嫌麗しく・・・」
「麗しくは無いぞ。準備にメイドを使われて、余は空腹のままだ」
視界の外で、何かが動くのを察知して、娘達は、つい頭をあげてしまった。
年配の方のメイドが椅子の正面まで移動し、膝をついて服の首もとを開く。
椅子に座った黒い姿が、覆い被さるように彼女の両肩を掴み、その首もとに牙を立てる。
そう。乱れた黒髪で顔は十分には見えなかったが、伯爵と呼ばれた男の口には、牙が有った。
「あっ・・」
牙を立てられたメイドの口から小さく声が漏れ、若干、震えている。
数分間、その状況が続いた後、離した口もとには、若干の血糊がついていた。
メイドの首もとには傷口が有るが、血は流れ出てこない。
よく見ると、近くに幾つもの傷あとがある。
メイドは、伯爵の膝に倒れ込む様に頭を落とた。
伯爵は、そのメイドの頭に、そっと手を添えると、反対の手でハンカチを出して口もとを拭いていた。
「き、吸血鬼・・・」
シンディが、思わずあげた声に、伯爵は興味を示し、奴隷商は眉間に皺を寄せる。
勝手に言葉を口にした彼女を叱ろうとした奴隷商を、伯爵は手を掲げて奴隷商を制止する。
「知っているのか?面白い」
伯爵の口角が、わずかに上がった。