02 馬車の旅
田舎の農村娘が、村の外に出る事は、まず無い。
だが、未知の世界に思いを寄せて、村の外を見たいと思う夢は、多くの若者が持っている。
「まさか、こんな形で夢が叶うなんて・・・」
馬車は、村から街道に出て、幾つかの農村を廻って、何人かの奴隷を仕入れた後に、職人町や貴族街、商人の町を巡っていた。
シンディは、馬車の檻の隙間から、街道の人々や、それらの人や風景を眺めた。
最初のうちは、行き交う人々の汚ない物を見る様な視線に、思わず隠れる様にしていたが、それも、やがて慣れてしまった。
「私が何をしたってわけじゃないもの。貴方達だって、明日は我が身なのよ!」
彼女は、そう言って無視し、好奇心を優先する事にした。
「あまり、敵意を煽る様な事をしない方が良いわよ」
声をかけてきたのは、最初にシンディにパンと水をくれた年長の女性だ。
シンディの中では、優しい女性のイメージがあった。
それを見て、ずっと黙っていた男性奴隷が、口を開く。
「おい、新入り。一度だけ忠告しておいてやる。ここでは誰も信じるな。特に、その女は他の奴に優しくして聞き出した本音を奴隷商に密告して、自分は少しでも良い奉公先を手配してもらおうって腹だ」
男性が、そう言った瞬間、女性の顔が、一瞬だけ歪んだのをシンディは見逃さなかった。
村では、大人として扱われる年齢なので、人間関係や風評、下心などは経験済みだ。
「御二人の御言葉を、肝に命じますね」
両者を立てる、曖昧な返事を返して、シンディは檻の外を見るのを中断した。
彼の言う通りだとシンディは思った。
奴隷商の気分一つで、彼女達は酷い所でも、恵まれた所でも、好き勝手に売却出来る。
奴隷商に好感度を持たれる為なら、知らない奴を利用するのは当然なのかも知れない。
誰も信じるな。
それが堕ちた人生を、少しでも楽に生きる方法なのかもしれない。
シンディの心は、この数日で、かなり荒んでしまっていた。
家族と離れ、檻の中で見せ物として人前にさらされているのも確かにあるが、それだけではない。
服は、簡単に脱げる布切れに変えられている。
シンディは未経験だが、これは客の前で、すぐに裸になれる様にする為だ。
恥ずかしがっては頭を殴られる。
ガリガリでは売り物にならないので、食事は与えられる。
食べれば、当然、出る物がある。
トイレは、檻の後方の床に開いた穴から垂れ流す。
目隠しの壁などない。
他の奴隷や、檻の外に居る者が見ている前で済ませなくてはならない。
尻の穴まで見られてしまう。
馬と同じ様に、自分の汚物で道が汚れているのを見て、見られてしまう。
彼女達は、馬車に繋がれた馬と、そんな自分達を見比べて、自分達が『家畜』になったのを自覚するのだった。
辛いとき、淋しい時に、シンディの横には、いつも兄のテイロスが居てくれた。
しかし、そんな幸せな状況は帰ってこない。
他の奴隷商と取り引きされる者。
泣き叫びながら、娼館に引き込まれる女性。
ゴミや汚物処理の仕事に売られる男性。
医療の為にと、死体だらけの医療学校に売られる者。
小さい子供は変態貴族に買われていった。
補充され、売られていくのを見ていれば、マトモな精神は保てない。
正直、彼女は何度か村と親を呪った。
では、どうするべきだったのかと我に帰り、仕方がなかったと鬱に落ち入り、ふさぎ込む。
そんなある日、シンディと同じくらいの年齢の少女が三人揃った時に、奴隷商の馬車は都市部を離れて、森の奥へと分け行っていった。
いつもの、悪臭を誤魔化す香とは、違う香の臭いがした。
木々の様相が、変わっているのにシンディは気付く。
「この木々は、魔の森?」
シンディの、その言葉に、周囲の異変に気付いていた者達が、震えて小さくなる。
魔族の領域に生える木々は、特殊な種類が多い。
辺境の村で生まれ育った彼女は、禁忌の場所として、その木々の特徴を、実物を見て教え込まれていたのだ。
魔族と人族との戦いは、数百年前に終わったと聞いている。
両者が住み分ける事により、一応の平和が保たれている。
だが、当然、立ち入ることは許されない禁忌の場所だ。
シンディは親から聞いていた。
口減らしの老人が奥深くへ分け入ったり、子供を躾るのに『悪い子は森の魔物に喰わしてしまうぞ』と脅す様に、魔物や魔族には、人族を食べる者も居るのだと。
「売れ残った奴隷は、魔族に売られるのかしら?」
誰かが口にした言葉に、うめき声をあげて泣き出す者も出た。
夕日に染まる空と、闇に沈む森。
奴隷の一人が、その森の中に動く物を見つけて、目をこらす。
「犬?でも、大きいし・・・ヒッ!」
角の生えた犬。いや、狼の背中に、乗っている人物が居た。
子供の様な身の丈だが、体つきは大人並みに太い。
耳が尖り、醜く歪んだ顔には牙が生えている。
気が付けば、その様な者達が、馬車を取り囲む様に並走し、檻の中を覗き込んでいる。
明らかに、魔族だった。
笑っていたのかも知れないが、その開いた口に、檻の中の奴隷達は、気を失った。