五月と灯り3
予定を聞いたその日の夜に関と会うことができた。昼間は仕事で忙しいが、それ以外の夜や休日は暇を持て余しているらしい。
「さて、関さん。当日の様子についてお聞きします」
「はい。一週間ほど前から佐々木さんに呼ばれていて、ようやく休みが取れて伺ったんです」
呼び出したその男……関晶世は眼鏡をかけていて、整髪料できちんと整えられた風貌からはいかにも真面目そうに見える。
両手は膝の上に置き、視線は少し下を向いていることから緊張しがちで自己主張が出来ない人間なのだろう。
「お忙しいんですね、お疲れ様です。佐々木さんに呼ばれたのは何時ごろですか?」
「十六時ぴったりです。早すぎても遅すぎても、佐々木さんに言われますから」
「佐々木さんの家に行って、何をしたんですか?」
「あの日は……佐々木さんに荷物を預かっててもらって、それの受け取りに……」
「じゃあ、受け取ったらすぐに帰宅されたんですか?」
ようやく関が口ごもった。
何か言いにくいことがあるだろうから、問い詰めるのはここだな、と関の目を見る。
「どうなんですか?」
「その、買ってきた羊羹を渡したら、是非食べていってくれと」
「全部食べたんですか?」
聞かなくても分かる。棚の中に半分程になった羊羹が残っていたのは調書にきちんと記載されている。そこに毒は無かったことも。
「いいえ、一切れだけいただいてお暇しました」
「それだけですか?」
何もかも分かっているぞ、と思わせる為に強気に口を出す。本当は何も分かっていないがハッタリだ。
「実は……」
本当に言いにくそうに口籠った。
思わず鈴木の方を向いてきちんと記録できているか目で合図した。力強い頷きが返ってくるので安心する。
「夜中まで明かりが眩しいと、指摘されたんです。確かに最近残業続きで日付が回ることも多かったですが……」
怒られている時の子供みたいに視線を彷徨かせる彼は本当に怯えているようだった。
「あの家との距離だと、カーテンを閉めていれば問題なさそうですが……。関さんは佐々木さんの家の明かりをどう思っていましたか?」
「お互いカーテンを閉めているので、明かりがついてるかどうかすら気にしたことがありませんでした」
そうだよな、俺でもそう思う。
思わず頷きそうになったのを堪えて、手元の調書に視線を落とす。特に嘘はついていないし、怪しいところも無い。
可能性としては薄そうだった。
「生きにくい世の中になったよな」
スーツ姿とはいえ警官が堂々と歩き煙草をするわけにもいかず、気を紛らわす為にミントのタブレット菓子を噛み砕く。
「年々値段上がってるし止めたらどうですか」
買う度にそろそろ止めようかとボヤいているじゃないですか。と鈴木に言われてしまって小さく唸る。
「止められないから買っているんだ」
禁煙外来も考えたが、お金を払ってまで止めようとは思えない。
「お、いたな。あの人たちに聞いてみるか」
暫く街中を歩いていて見かけた主婦の集団。予想通り井戸端会議をしていそうだ。その中に河野の姿はない。
河野は専業主婦なのだが、たまたま外せない用が重なっていて都合が合わなかったのだ。
仕方なしに、こうして都合がつくまでの間、聞き込みついでにトリカブトがどこに生えているのか探すことにしている。
「こんにちは」
いきなり男が話しかけても警戒されるだけだろう、と鈴木を先頭に立たせてみたが、それでも見知らぬ人物というだけで一瞬空気が止まった。
「……こんにちは」
一人がようやく返してくれて、軽く頭を下げる。鈴木が懐から出した警察手帳に、全員が息を呑んだ。
「いやー、この辺って小道多いですね? 迷っちゃいましたよー」
一笑した鈴木に、主婦たちの緊張が少しほぐれた気がした。
「初めて来た方はみんなそう言いますね」
「やっぱり? 家に帰るだけで地図開いちゃいそう!」
本題を忘れているんじゃないか? と不安になりつつも、どんどん俺の入る隙間が無くなってきた。
おそらく大丈夫だろう。周りに気づかれないように少しずつ距離を取ると、近くの小道へ曲がった。
トリカブトの植生場所を探してみる、と鈴木にメールを送り、辺りを散策し始めた。
今の時期のトリカブトはまだ新芽で、日陰を好む。山林によく生えているらしいから、林近くまで歩いて行こうか。河野の自宅も、林近くの川沿いだった筈だ。
見間違えやすいニリンソウには白い花があり、トリカブトは秋に花を咲かせる。スマートフォンで二つの違いを比べながら日陰に目をやっていった。
木陰や草木が生茂る辺りまで入っていったおかげか、ようやくそれらしきものを見つけた。一応持って帰って確認するか、と手袋をして葉の一部を採取するとジップロックへ詰めた。
他はどこにあるだろうか、と歩いていると、向こうから犬を連れた見覚えのある女性が歩いてきた。ただの一般市民の振りをして落とし物を探す振りをしながら様子を伺う。
女性は一度こちらを一瞥したが、すぐに興味をなくしたように歩き去っていった。
あの顔は、容疑者一覧に名を連ねていた河野だ。どうやら警察の事情聴取には応じずに散歩をする余裕はあるらしい。
背後を見送れば、河野は携帯を手に野花の写真を撮ったり鞄から何やら本を出して見比べたりしている。何をしているのだろうか、少し近寄ろうと立ち上がった矢先、後ろから小さな声で名前を呼ばれた。
「鈴木か」
「事務所戻りましょう、お話しすることがあります」
「……で、何が分かった?」
鈴木が珈琲を淹れて向いの席に座るのを待ってから口を開いた。
懐から手帳を出した鈴木は読み上げるように成果を口にした。
「隣人の関さんですが、ここ数ヶ月は姿を見た人が殆ど居ないようです。仕事ばかりで、休みの日も家から出ることはなさそうですね」
「忙しいんだろうな、本人も言っていた。殺害する為の知識はいくらでも調べられるが、実物を採取するのは出勤前後だと暗くて厳しいだろうな」
明るくても探すのが大変だったんだ、暗いと尚更だろう。
「河野は、最近野草について調べているようです。先ほどの行動がそれでしょうね、わざわざ本まで買ったそうですよ」
「何枚も写真を撮ったりしていたな、あの道が散歩コースなら、毎日トリカブトを採取する余裕はあることになる。しゃがんでいてもいつもの事、と思いそうなくらいだ」
ホワイトボードに貼られた容疑者一覧に鈴木が手に入れた情報を書き足す。
「そういえば水野の情報は?」
「それが……特に目立った情報はないです。どんな人にも愛想がいいことしか分かりませんでした」
推測の域を出ないが、何か裏があってもおかしくないな。
「全員に愛想が良いやつなんて存在しないんだ」
「好き嫌いは誰にでもありますからね」