五月と灯り
規制テープをくぐり、一軒家を見上げた。
木造にも関わらず石造りに見える西洋館は、周りの建物とは異彩を放っている。大きな窓には磨りガラスがはまっており、中の様子は確認できない。
何より際立っているのは側面に付けられた屋外用螺旋階段だ。錆びて緑青色をしており、階段の手すりは植物の蔦がモチーフになっている。ステップには花が刻まれているようだが磨り減っていて種類までは分からなかった。
「池田さん」
慣れ親しんだ声に振り返ると二年後輩の鈴木鈴が居た。
胸元まである艶やかな黒髪を後ろで一つに縛り、銀縁の眼鏡をかけている。一見酷く真面目な人間に見えるが、彼女は存外大雑把だ。
「あの人、心筋梗塞と診断されたそうです」
「じゃあただの病死だな」
螺旋階段に上半身を乗り出すように死んでいたのを、犬の散歩中に女性が発見した。
苦悶の表情を浮かべていたらしい仏さん……佐々木佐雨は独り身で、死因は高血圧由来の心筋梗塞。主治医の診断も下りている。通院しだしたのはここ一年程、高血圧自体はまだ中等リスクのⅡ度だが年齢を加味して……
「珈琲を淹れてきました」
「ああ、ありがとう」
鈴木からカップを受け取りそのまま一口啜る。隣では珈琲に角砂糖をいくつも入れる音がするがいつものことだ。
「糖尿病になるぞ」
「頭を使ってるから大丈夫です」
鈴木のかき混ぜる珈琲からはじゃりじゃりと音がして、聞いているだけで胸焼けを起こしそうになる。うえ、と顔を歪ませて再度書類を手に取った。
さて、どこまで読んだか……。死因は高血圧由来の心筋梗塞。高血圧は中等リスクⅡ度だが年齢を加味して病死と断定。
「佐々木の通院記録はあるか」
「ん」
鈴木から受け取った通院記録を見ると、直近で通院したのは死亡の二日前。
「なあ、二日前に診て問題が無いのに、急に死ぬことってあるのか?」
「急性心筋梗塞だったんじゃないですか?」
医師もそう診断してるんだが、
「なぁんか引っかかるんだよなあ」
検案してからでも遅くない気はするな。
思い立ったら即行動。書きかけの調書はファイルに挟み、佐々木の主治医へ死体検案書の提出を求める書類を書き始めた。
コンビニで買った朝食を持って職場に行くと、見慣れた男が立っていた。昨今の禁煙ブームの影響を受けた事務所で煙草を吸っているのは直属の上司である三田二実警部だ。
「おお、池田。早いな」
「検案結果が気になったもので。それより三田さん、ここ禁煙です」
「その結果を持って来たのよ。煙草でも吸わなきゃやってられねーな」
目の前の机に放り出された書類を拾い、目を通す。
「っ、やはり……」
「アコニチン検出だってよ。毒殺だなこれは」
アコニチンは毒物だ。有名な物としてはトリカブトで、全国に自生している。
植物全体に毒が含まれているから、取り扱いさえ気を付ければ町中から簡単に採取することができる危険なものだ。
勿論別のものからの摂取も考えられるが、死因がトリカブトの摂取なら体内に入ってからおよそ十数分で死に至る。つまり、その前に会っていた人物が一番怪しい。
「あれ、三田警部いらしてたんですか。おはようございます」
「よお鈴木。今から池田と現場行って聞き込みしてこい」
被害者である佐々木は江戸時代から続く名のある一族の直系で、横柄で高圧的、自己中心的という性格で誰からも嫌われていたらしい。
何人かに聞いてみたが、全員口を揃えて同じことを言っていた。そのせいか七十を超えた今でも独り身で、好んで関わる人物など殆ど居ないらしい。
「恨みによる犯行だろうな。それだけで探すと容疑者の数がキリないぞ」
しかも、多くの人間が佐々木の家に出入りしているという。
知人という訳では無く、詫びの品を持っていったり、呼び出された人間ばかりとのことだ。つまり、毎日入れ替わりで佐々木に恨みのある人物がやってくるのだ。
咥えていた煙草を灰皿に押し付け、三本目に火をつけた。思いっきり肺に煙を入れれば曇った脳内が冴える気がする。
「なまじお金も権力もある分誰も逆らえなかったんですね」
「にしても誰も反論しないもんかね」
「池田さんはすぐ張り合いそうですね」
そんなわけないと鼻で笑い、丁度店内に入ってきた人物に片手を挙げた。
おそらく五話前後で終わるかと思います。
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