第6話 三つ子の魂、陰陽師まで
※学年が違うくだりの日付が間違っていたので修正しました。
四月一日生まれまでは学年が一つ上になり、四月二日生まれから次の学年になるそうです。
「おっすー!慎太郎ーいるかー?」
とある休み時間の緑原学園高等部三階、1-Aの教室。
入り口の引き戸からひょこ、と樹は顔を出し、慎太郎がいるかいないかを確認していた。
ぐるりと軽く見渡し、中に慎太郎がいないことがわかると、少し困ったように頭をかいた。
「うーん、いないか。困ったなー、秋江んとこは移動教室で誰もいなかったしなあ」
しょうがない、駄目元で二年の教室にも行ってみるか。と、引き返そうとした樹に、一人の女子生徒が声をかけた。
「どうしたの神原くん。何か困りごと?」
「あ、委員長」
委員長と呼ばれた、茶色のセミショートボブの髪を、左耳を出すように耳にかけ、そこを白いヘアピン二本で留めた、いかにも生真面目そうに制服をきちんと着た女子生徒は照れたように笑った。
「委員長呼びはやめてよ、私は神原くん達のクラスの委員長じゃないでしょ?」
「そう言われてもなー、委員長の方が呼びやすいんだよ」
樹もつられて困ったように笑いながら返した。
「で、把間くんに何か用事?伝言があれば、戻ってきた時に伝えておくけど」
「あ、いや、慎太郎じゃなくても良かったんだけど……実は数学Aの教科書忘れちゃってさ、しかも最悪なことに次、数学Aなんだよね」
はあ、とため息をついて樹は続ける。
「まあ忘れたオレが悪いってことで、今回は諦めるわ」
それじゃ、と教室から立ち去ろうとした樹を、女子生徒が「ちょっと待ってて!」と引き止めた。
樹が引き返すのをやめて立ち止まると、女子生徒は一度教室の中へ戻り自分のであろう机まで行くと、脇にかけてあるカバンの中をごそごそと弄り、一冊の本をそこから取り出すと再び入り口で待つ樹の元に戻ってきた。
「はい、どうぞ」
そう彼女が樹に手渡したのは、数学Aの教科書だった。
「ええ!?いやいや悪いって!オレそんなつもりじゃなかったし!」
受け取りを拒む樹に、「いいのいいの!」と半ば強引に女子生徒は教科書を押し付けた。
渋々受け取る樹に、彼女はにっこりと笑った。
「困った時はお互い様でしょ?また何か困ったことがあれば言ってね」
樹のハートがバス!と射抜かれた。
*
「『困ったことがあれば言ってね♡』だぁーってさぁ!やっぱり委員長は誰にでも優しくて女神様だよなぁー」
放課後の中等部四階の第三放送室。わかりやすく鼻の下を伸ばしながら、樹は『藤岡暦』と名前の書かれた数学の教科書を空に掲げて、座っている椅子ごとくるくる回る。
「おいおい、またか」
その様子を眺めながら、鵺一は呆れ気味に首を振り頭を抑えた。
「またってなんだよ!委員長には何度だって惚れ直せるぞ!失礼だぞ!」
「そうは言うが委員長は無理だと樹だって知っているだろう?だって委員長は……」
と、鵺一が言いかけたところで、ダン!と床を殴る音が部屋に響いた。なんだ?と二人が視線を向けた先には、いつものようにアナログテレビの前に座って格闘ゲームをしていた小蘭が、不機嫌そうに床に拳を突き立てていた。
「おい小蘭、ゲームで勝てないからって物に当たんなよ」
樹がそうなだめる通り、テレビ画面には「YOU LOSE」の文字が悲しげな音楽と共に踊っていた。
「全く、うちのバカ女子も委員長を見習ってもう少しお淑やかになって欲しいもんだなー」
樹が冗談めかして言うと、再び小蘭が床をダン!と殴った。それを見て、流石にまずいと思った鵺一は樹に話題を変えるように促すも、小蘭の態度にイラっとしたのか、樹は鵺一を無視して更に嫌味を続け出した。
「なんだよ、そうやって物に当たるとこ本当に可愛くねーな!あーあ!委員長と違ってガサツで乱暴で可愛くねー!」
「黙って聞いてれば委員長、委員長っテ、ちょっと優しくされたぐらいデ調子乗ってんじゃネーヨこの非モテ野郎!」
小蘭もカチンと来たのか簡単に挑発に乗ってしまい、口論が始まった。
「は?誰が非モテだって?オレはモテっけどぉ!?モテにモテてるよオレは!」
「モテてねーッテノ、勘違いしてんじゃネーヨ!樹に優しくする女子は全員義理に決まってんダロ、現実見ろヨ!」
「はー!?オレ超現実見てますけどー!?え?何?嫉妬??小蘭さんもしかして嫉妬ですか??あらー、それは気づかなくてごめんあそばせー」
「誰がテメーなんかに嫉妬するカヨ!!!調子に乗んなよこのクソ樹!!お前なんか委員長どころか誰からも相手されずに、そのまま人攫いにロバに変えられて売られた先でクジラに飲み込まれて元の木偶人形に戻レ!!」
「だーーーれがピノキオの後半の方だこのクソチャイナァァァ!!」
とうとう掴み合いの喧嘩が始まったので、鵺一は慌てて二人の間に入り引き離そうとする。が、二人とも鵺一が見えていないのか、鵺一を殴り、鵺一を引っ掻き、鵺一の髪を引っ張ったりして鵺一を押しのける。
「いい加減にしろ!!!」
もみくちゃにされた鵺一が声を荒げながら二人の鳩尾にボス、ボス、と連続で拳を叩き込むと、二人はやっと大人しくなった。
「これ以上続けるつもりなら、次は斬るぞ……?」
そう静かに二人を見下ろす鵺一の顔は、完全に般若だった。
「というより、喧嘩している場合じゃないだろう。華音からの依頼をこれからするんじゃなかったのか」
鵺一の言う通り、三人は先日華音から受けた依頼を、今日の放課後に集まってこなそうという話で集まっていた。
だがその話を進める前に、やけに上機嫌な樹が先ほどのように突然惚気始めたため、ハムスターの喧嘩みたいな騒ぎになってしまった。
「依頼は確か、指定した教室に異常がないか確認してほしい、というものだったか。変な依頼だが、手分けして確認するだけで終わりそうだな、二人とも」
鵺一が受けた依頼の内容を改めて確認しながら二人に話しかけるも、樹も小蘭もあからさまにそっぽを向き黙っている。仕方ないな、と鵺一はため息をつき、二人からの反応を待つことを諦めた。
「まあいい、手分けして片付けよう。では俺は中央棟を……」
「鵺一」
遮るように、小蘭が口を開いた。
「悪いケド、この依頼は鵺一達だけでヤッテ。ワタシ帰るカラ」
それだけ告げると、小蘭は入り口近くのゲーム機の横に置いてあった自分の鞄を掴み、部屋を出て行こうとする。
鵺一は追いかけて引き戻そうとしたが、樹にそれを制された。
「ほっとけほっとけ!それに一緒に行動なんて、こっちもお断りだ!」
「しかし樹、三人でやった方が……」
樹はやれやれと大げさに首を振ると、あえて小蘭にも聞こえるような声で嫌味を吐く。
「そうやって仕事に私情を挟むような人とは仕事したくないわァー。委員長に爪の垢でも煎じて飲ませてもらえって感じィー」
やはり小蘭はバッチリ聞こえていたようで、部屋から出る際に、バァン!と乱暴に引き戸を閉めていった。
「アイツのすぐ物に当たるところ本当に嫌い」
そう言う樹も、先程からイライラが収まらないのかメモがわりに机の上に置かれているコピー用紙を次から次へとくしゃくしゃに丸めている。
「じゃ、依頼をしに行こうぜ鵺一」
丸めた大量のコピー用紙をゴミ箱に投げ入れると、樹も部屋から出て行く。
鵺一は複雑な顔をしながら、部屋の隅に立てかけていた自分の竹刀を掴むと樹の後をついていった。
*
放課後の高等部三階、1-Aの教室。
「僕がトイレに行ってたばかりに、代わりに教科書貸してもらってすみません、藤岡さん」
「いいのいいの!明日は数学の授業もないし、ちゃんと返して貰えば困ることはないから」
休み時間の話を聞いた慎太郎は、暦にすみませんと軽く頭を下げる。それに気にしないでと暦は返すと、慎太郎は頭を上げて話題を変えた。
「そういえば藤岡さん、最近、失踪事件が多いらしいですよ」
「失踪?」
不穏な話に、暦は顔を曇らせる。
「何でも、同じところをぐるぐる回り続けて、そのまま異次元に連れて行かれるとか」
続いた慎太郎の言葉に、暦の顔はすん、と少し呆れ気味なものに戻った。
「なあんだ、そっち系の話かぁ。私、そういうのはあんまり信じてないんだけど……」
「でも最近、お年寄りの迷い人の放送が多いじゃないですか。それは全部、今の話に巻き込まれた説もあるそうですよ」
「お年寄りの迷い人は昔からあることだし、また別の問題な気がするけどなあ」
渋る暦に慎太郎は苦笑しつつ、「まあでも、誘拐に巻き込まれる可能性もありますし、迷子にならないよう気をつけることには越したことありませんよね」と話を締めた。そこでふと、暦は時計を確認した。
「あ、もうこんな時間!図書館に行かないと」
そう言うと、暦は急いで帰り支度を始める。
「あれ?図書館はまだ閉まるの先ですけど……」
「そうだけど、でもモタモタしてると閉まっちゃうでしょ?私、ちょっと調べ物がしたいから早めに行って余裕持たないと!」
なるほど、と慎太郎は納得すると、ではまた明日、と暦を教室から送り出した。
*
中央棟二階。
華音が指示した教室をリストにしたメモを片手に、樹と鵺一は学園内を確認していた。
「おたすけ屋の部屋、中等部から体育館への渡り廊下、中央棟一階の下駄箱、職員室、保健室……は何もなかった、と」
特に異常がなかった場所を、樹は取り消し線を引いてリストから消していく。
「しかし、何故華音は異常がないかどうか確認して欲しいと言い出したんだろうな」
鵺一は樹が手に持つメモを隣から覗き込みながら、思っていた疑問をそれとなく口に出していた。
「華音てさ、オレちょっと苦手なんだよなー。嫌いじゃないんだけど、何考えてるかわかんなくて対応に困るところが苦手っていうか」
だってさ、と樹は中等部時代の華音の行動を振り返る。
二ノ宮華音は、一言で言えば居眠り魔人だった。
休み時間や放課後だけにとどまらず、授業中も平気で寝る。それを先生に注意され廊下に立たされても、そのまま寝る。しばらくしてから様子を見に行った先生が、器用に立ったまま寝ている華音を見て、注意することを諦めて匙を投げたくらい寝る。
一応、起こせばしばらくは起きているので、誰かが起こしさえすれば授業は受けてくれる。話を聞いているかは怪しかったが。
そして、よく行方不明になる。
休み時間は教室で寝ているのかと思いきや、気がつくと教室から消えている。そのまま授業が始まっても戻らないことも数回あった。その度におたすけ屋の三人が探す羽目になるのだが、見つかる場所は固定ではなくバラバラで、まさに神出鬼没だった。もちろん、見つかった時は決まって寝ている。
何を考えているかわからない、と言うより、何をしたいのかわからない。と言うのが樹が華音に抱いている印象の全てだった。
そんな華音が、いわゆる家庭の事情(金銭の方)で緑原学園から離れたにも関わらず、異常がないか確認をしてほしいと言う。
「なんだかんだ言ってアイツ転校した後も緑原に遊びに来まくっては寝てるんだよな……って、ちょっと待てよ」
そこまで言うと、樹は改めて教室のリストを確認する。おたすけ屋の部室、中等部校舎から体育館への渡り廊下、中央棟の下駄箱、職員室、保健室、理科室、美術室……。
「ってこれ、全部寝てる華音が見つかった場所じゃねーか!」
気づいた樹はバシィ!とリストが書かれたメモを地面に叩きつけた。
その通り、華音が確認を依頼してきた場所は、中等部時代の華音が行方不明になった際に見つかった場所だった。ある日は渡り廊下の手すりの陰で寝ていたり、ある日は堂々と保健室で寝ていたり、またある日はおたすけ屋の部屋を占領して寝ていたり、さらにある日は職員室で注意をされながら寝ていたり、そのうえある日は理科準備室で丸くなって寝ていたり……。
数を上げればキリがない。
「あの野郎、自分の睡眠スペースが無事かどうか確認しろって魂胆だな……?あーあ!一気にやる気無くした!」
樹は投げ捨てたメモを律儀に拾いなおし、ついたゴミなどを弾き飛ばす。その横で、鵺一もうんざりしたような顔でため息をついた。
「そう言われると、俺もやる気が起きないな……」
「だろー?なんかもういっそのこと、違う事件とか起きねえかなー。そうしたら依頼放棄してそっちに行けるし。例えば、今からあの理科室が爆発するとか」
そう笑いながら冗談めかして、樹が今から確認に向かおうとしていた理科室を指差した瞬間、パリーン!と理科室の廊下側の窓が割れて中から煙が吹き出した。
「理科室が爆発したぞーッ!」
「誰か変な薬品混ぜたんだろ!え?混ぜてない?」
「いいから消火器!消火器もってこい!」
理科室の中から、部活動中だったのであろう化学部の生徒の慌てた声が聞こえる。
「……樹」
鵺一が、ジト目で樹を見た。
「あ、は、はは!事件起きたな鵺一!よ、よーし、おたすけ屋が解決しに行ってやろうぜ!」
予想していなかったミラクルに、樹は動揺して目を泳がせながら乾いた笑いを出すしかなかった。
しかし起きてしまったことを、こちらには一切責任は無い(はず)とは言え見過ごすわけにはいかないので、樹と鵺一は廊下に取り付けられた消火器を取りに行こうとした。
その瞬間、樹の袖口から火が出た。
「樹!?お前燃えてるぞ!?」
いち早く気づいた鵺一が、目を丸くしながら樹の袖口を指差すと、樹も慌てて燃え出した右腕をブンブンと振り回し消火を試み始めた。
「ウワァーー!!なんで!?なんでオレ燃えてんの!?イヤだ!!足だけ残して跡形もなく燃え死ぬのはイヤだァァァァァ!!」
「樹振り回すな!さらに激しくなる!待ってろ、消火器ぶっ放してやる!」
「やめろやめろぉ!得体の知れない泡だらけになるのはイヤだ!せめて水にしてくれーー!」
樹と鵺一があまりにもぶっ飛んだ展開に混乱しながら慌てふためいている間を、ヒュン、と何かが通り抜ける。
「爆!」
凛とした女子の声が聞こえたかと思うと、何もない空間からパン!と破裂音がした。と、再び樹と鵺一の間を見慣れないセーラー服を着た女子が二人通り抜け、片割れが破裂を起こした空間を掴むように腕を振る。そのままひょい、と腕を持ち上げると、手には尻尾が燃えているネズミのようなものが掴まれていた。
「にゃはは!こいつに振り回されてるようじゃ君達に解決は無理そうだねぇー」
ネズミを掴んだ方が、ケラケラと笑いながら樹と鵺一にそう言った。
「げぇ、波音と雪音……」
緑のラインが入った黒いスカートに、白のブラウス部分に襟がスカートと同じような黒地に緑のライン、袖口にも黒地に緑のラインが入ったセーラー服を着て、その上にラインと同じ緑色のスカーフをつけた二人の女子は、似ている名前から察しの通り見た目もそっくりだった。違う部分をあげるなら、スカート丈と松葉色の髪のサイドテールが左か右か、という部分ぐらいだ。
「はいはい波音ちゃんです!」
自分が波音だと返事をした、ネズミを捕まえた方のスカート丈が膝上で左サイドテールの女子は、もう一人の女子にネズミを押し付けると元気よく手を挙げた。
「ちょっと波音ちゃん、きちんと始末してからにしてくださいまし」
押し付けられた方の、スカート丈は膝下で右サイドテールの女子が、お淑やかな口調で波音を諭した。彼女が雪音の方だ。
「もー、ゆきりんてばいちいち細かいしー!お母さんか!って感じぃー」
雪音と違い、波音はいかにも現代の女子高生ですと言わんばかりのノリで、頬を膨らませながら雪音が抱えるネズミに近づくと、ごそごそとスカートのポケットから、細長い紙を取り出した。その紙には文字のようなものが墨で書かれているようで、はっきり言ってしまうとお札だった。
波音はお札を右手の人差し指と中指で挟み、自分の顔の前に構えると、目を閉じて念じ始める。そして、カッと目を見開くと、
「封!」
と言霊を込めお札をネズミへびたんとぶつけた。すると、ボッ、という音と共にネズミが消え、お札の方に新しく文字のようなものが刻まれた。
ところで、この物語は「学園ギャグコメディー」だが、「現代学園ギャグコメディー」とは言っていない。このことを踏まえた上で、続きの樹のセリフからどうぞ。
「相変わらず不思議な感覚になるな、お前らの陰陽術……」
樹のセリフの通り、波音が使ったのは陰陽術だった。
波音と雪音は陰陽師の家系に生まれた巫女見習いだ。
二人の家系は、遡っていくとあの有名な安倍晴明に辿り着く、由緒正しい家系であり、この家系に生まれたものは、生まれた時からこの世ならざるものが見え、それらに干渉できる能力を授かるのだという。また、彼らがそういったものに触るなどして干渉すると、その間は能力を持たない普通の人間にもそれらが視えるようになった。
簡単に言うとこの物語の世界観では、霊障系や異能力持ちは稀に存在するものとして扱ってるよ!!と言うことである。よろしくな!!
「ところで樹、火が消えたようだぞ」
と、鵺一が樹の袖口を再び指差した。樹もつられて確認すると、確かに火が消えている。それどころか、服が燃えた後も肌が火傷を起こしたような様子も何もなかった。
「……え?どうなってんだこれ?」
不気味さに顔をひきつらせる樹を見て、波音がまたケラケラと笑った。
「心配ないよん、さっきのは幻術だから!みんなあのネズミに幻見せられちゃったんだねー」
「ええ。ですから、爆発も本当は起こってなどおりませんわ」
雪音がそう言ったと同時に、何事もなかったかのように窓が元どおりに直っている理科室の中から化学部員の声が聞こえてくる。
「おい!火なんて燃えてないぞ!?」
「やっぱり誰か薬品混ぜるの失敗したんだろ!」
「消火器取り出しちゃったじゃん……どうすんだよ……」
部員達も、困惑しているようだ。
「ああもう、お前らが関わると何が何だかよくわからなくなるわ……」
樹は大きくため息をついて、とりあえず爆発の件は今起こった現象を受け入れて消化することにし、話を切り替えた。
「ところで、なんで波音と雪音がここにいるんだ?今は七光内の生徒だろ?」
当然の質問を樹が二人に投げかけると、二人は樹を一切無視して樹の両隣を素通りした。
「よーいーちーくんっ!久しぶりなんだから嬉しそうな顔しろしー!相変わらずイケメンで波音ちゃん惚れ直しちゃったし!」
いつの間にかジリジリと波音達から距離をとっていた鵺一に詰め寄ると、波音はぎゅっと鵺一の右腕に抱きついた。
鵺一の顔が嫌そうに歪む。
「お久しぶりです鵺一くん。変わらず凛々しくて素敵ですわ」
反対側の左腕に、雪音が奥ゆかしくそっとしがみつく。
鵺一の顔が更に嫌そうに歪む。
「おいやめろ、離れろ」
「えー!嫌に決まってるじゃん!鵺一くんの隣が波音ちゃんの定位置なのー!」
「波音ちゃんばかりずるいですわ!私だって鵺一くんの隣がいいんですの」
鵺一の顔がますます嫌そうに歪む。
樹の顔も嫉妬で歪む。
「だー!!どいつもこいつも鵺一ばっかり!!イケメンなんて滅んでしまえ!!」
一人暴れる樹に、波音が遅れて先ほどの質問に答えた。
「あんね、いっつー。あたし達かーくん探しにきたの。どこに行ったか知らん?」
「華音くんたらこの後用事があるのに居なくなりまして、もしかして、と思ってこちらに来たんですのよ」
「は?まーたあいつ行方不明になってんの?」
樹は暴れるのをやめて二人の方へ向き直した。
「まったくさー!ゆきりんとは以心伝心できんのに、かーくんの行動だけは本当にわかんないんだよね!」
「その通りですわ。私達は三つ子ですのに。やはり、華音くんだけ日をまたいで生まれたのが原因なのかしら」
華音を探しに来た波音と雪音は、華音の三つ子の姉二人だった。波音と雪音のそっくりな見た目、一人日をまたいで生まれたために学年が変わってしまった華音、これらのせいで双子の姉と一人の弟だと思われがちだが、彼らは三つ子の姉弟である。
華音が中等部にいた頃、彼女達も緑原に通っていた。例の華音の行方不明騒動が起こる度におたすけ屋が探し回っていたのは、彼女達がおたすけ屋に華音捜索を依頼してくるからだ。自分達で探せ!と当時の樹達も思ったのだが、彼女達曰く、華音の考えてることがわからなすぎて見つけられない、とのことだった。
ちなみに波音と雪音が四月一日生まれの高校二年生で、華音が四月二日生まれの樹達と同じ高校一年生である。
「ってわけでいっつー!かーくん見つけたら教えてー」
「樹くん、よろしくお願いしますわ」
波音と雪音はそう樹に頼みごとを投げると、先程から脱出を試みようとプルプル震えている鵺一の両腕に絡ませる腕に力を込め、絶対に抜け出せないように固め出す。
鵺一は訴えかけるような目で樹に助けを求めたが、樹はガン無視した。
*
ここは、高等部一階の廊下。
校舎端にある階段から、中央棟の方へ進めば、食堂、図書館へと続く渡り廊下への出口があるはず。
なのに、どうして。進めど進めど、辿り着けないのだろう。
そんなに校舎って長かったっけ。いや、そんなことはない。
でも、どんなに歩いても端にたどり着く気配がない。
どれくらい廊下を歩いたんだろう。早くしないと図書館が閉まると言うのに。
それにしても、廊下がやけに暗い気がする。窓の外も暗くて、もう日が沈んでしまったような感覚になる。
沈んだ?本当に?そんな時間だったっけ?
そもそも今は何時?ここは本当に廊下?私はどこに向かっているの?
わからない。わからないけど、進まなくちゃいけない気がする……。
藤岡暦は、虚ろな目で廊下を一人歩き続ける。
*
中央棟校舎、屋上。
学園内において、唯一生徒が自由に出入りできる屋上で、小蘭はフェンス越しに中庭を眺めていた。
帰る!と息巻いたはいいものの、どうしても帰る気になれなかった小蘭は、一人屋上に上がり時間を潰すことにしていたのだった。
「なんダヨ、委員長委員長って暦のことバッカリ」
部屋を飛び出す原因になった樹の態度を思い出して、イライラする。
「……たまにはワタシのことモ、女子として見ろヨ」
そう、少し拗ねたようにポツリと呟くと、すぐ隣から返事が返ってきた。
「そうだよねえー。樹はもう少しデリカシー持って欲しいよねー」
「くぁwせdrftgyふじこlp!!!!?!!?!」
顔を真っ赤にしながら、言葉になっていない声を出して隣に勢いよく顔を向けると、松葉色の少し長めの髪、襟口と袖、そして裾と前に付いたファスナーの部分を縁取るように緑のラインが入った、いわゆるファスナー式の黒地の学ランを着た、眠そうに目を半開きにして欠伸をする、二ノ宮華音が立っていた。
「かかかかかか華音!?どうしてここニ!?っていうかいつカラ!?」
動揺する小蘭からの質問に、華音は欠伸で出た涙を軽く手の甲で拭いながら答える。
「『なんダヨ、委員長委員長って暦のことバッカリ』ってとこから」
「最初カラァァァァァァァァアア!!」
小蘭は咆哮しながら地面に膝をドンッとつくと、その勢いで地面に両拳をダンッと叩きつけた。
四つん這いの状態でがっくり項垂れる小蘭の肩を、励ましているつもりなのか華音がポンポンと優しく叩く。
そして追撃する。
「大丈夫だよ小蘭。俺、初めから小蘭が樹のこと好きなの知ってるからー」
「ピマッ」
変な声を上げて固まる小蘭に、華音はわざとなのか天然なのか更に追い討ちを続ける。
「というか、多分樹以外全員知ってるよー。だって小蘭わかりやすいから。鵺一も知ってると思うし、秋江や慎太郎とかも恐らく知っ」
「アアアアアアア!!それ以上はやめるヨロシァァァァァ!!」
羞恥に耐えられなくなった小蘭はとうとう華音の鳩尾に見事なボディーブローを決めた。華音は沈んだ。
「華音のバカバカバカ!!そういうのは知ってても黙ってろヨ!!樹に言ったらラリアットするカラ!!」
ギャーンと半泣きになりながら騒ぎ続ける小蘭の足元で、腹を抑えて寝ていた華音は、急に何かの気配を感じてゆっくり起き上がる。
そして裏庭側のフェンスへ近づき、気配を感じた方向を確認すると、不穏そうに顔をしかめる。
「……小蘭、今から誰も図書館に向かえないように、渡り廊下の入り口通行止めしといて」
華音の発言に、小蘭は「は?」と言う顔をする。
「突然なんダヨ?まさか、今度は図書館で寝るつもりジャ」
「樹達にも言伝よろしくー」
小蘭の話を強引に切り上げると、華音は足早に校舎に戻る扉へ向かい、さっさと屋上から退散していった。
「ちょっと、まずいかも」
と、不穏な言葉を残して。
そうして一人屋上に残された小蘭は、華音が去ったドアを「何言ってんだアイツ」と言いたげな表情でしばらく眺めていたが、ハッ、と何かに気づくと慌ててその扉を自分も開き、屋上から出て行った。
*
樹と鵺一は、引き続き教室の確認をしながら、ついでに華音も探す。
中央棟の三階まで見終わると、そのまま高等部の三階へ移り、四階と三階の華音から頼まれた場所を確認する。
四階にある高等部用音楽室の確認を終えたところで、樹がいよいよ我慢できないと言わんばかりの表情で噛み付いた。
「いつまでついてくるんだお前らはよ!!」
樹が唸る先には、あいも変わらず鵺一の両腕をがっしりホールドする波音と雪音がいた。
「いっつー怒んなしー!かーくん探すんだったらいっつー達についてった方が確実?的な?」
「そういうことですわ。華音くんは私達より樹くん達の方に懐いてるようですし」
ねー?鵺一くん!と波音と雪音が更にぎゅっと近寄る。
鵺一はすっかり元気が無くなって遠い目をしていた。この二人に絡まれたらもう無駄だと諦めたようだ。
「人前でイチャイチャしやがって、オレが怪異になったろか」
波と雪の姉妹の見せつけアピールにイライラしっぱなしの樹がそう吐き捨てたその瞬間、波音と雪音が突然目を見開いた。二人の威圧感に樹は思わずビビるが、二人が反応したのは樹に対してではなかったようだ。
二人は鵺一の両腕から離れると、ダッと一目散に階段に向かい下りていった。
「な、なんだなんだ?何がどうしたんだ?」
あっという間に立ち去った波音と雪音に呆然としたが、彼女達を追いかける理由は特にないので、樹と鵺一も階段を下りて残りの教室の確認を再開することにした。
そうして三階に戻ると、中央棟の方から誰かが走ってくる。
誰だ?と樹と鵺一は目を凝らし、その人物が誰か認識できたと同時に、二人の元へ飛び込んできた。
「樹ーーッ!大変ダヨ!華音ガ……」
慌てて樹に駆け寄ってきた小蘭は、ハッ、と今は樹と喧嘩中だったことを思い出し途中で言葉を止める。そのままス、ス、ス、と樹を避けるように鵺一の方へ向かうと始めからやりなおす。
「鵺一ィー!大変ダヨ!」
イラッとした樹をシカトして小蘭は鵺一に要件を伝えた。
「あのネ、華音がいたノ!」
「……なんだって?」
小蘭の報告に、鵺一は思わず聞き返す。
そう言えば用事から逃げたと波音達が言っていた。本当に緑原に逃げてきたのか。しかし、こっちに本人が来たのなら自分達への依頼の残りは本人に押し付けたいところだ。
少なくとも、樹はそう思った。
「それデ、これから図書館の方の渡り廊下に誰も近づけさせないでッテ」
「あの野郎、そこで寝るつもりだな!」
小蘭の話を少し離れた位置で聞いていた樹は、すぐさま図書館へ続く渡り廊下を目指して階段下りて行く。
樹が先に行ってしまったので、鵺一も後に続いて階段を下り、小蘭も渋々鵺一を追いかけた。
そうして三人は高等部の一階まで降りると、中央棟側の方へ廊下を進み、渡り廊下へ出れる扉がある突き当たりまで来た。
樹は迷うことなく、扉に手をかけるとガチャリと開いく。その向こうにあるのは、校庭と裏庭を分断するように図書館へ伸びる渡り廊下。……ではなかった。
「あ、あれ?これって、高等部の廊下……?」
扉の入り口から伸びていたのは、先ほど通ったはずの高等部廊下。階段がある端から見えるはずの景色が、もう一度三人の目の前に現れた。しかし、窓の外は何故か暗く、明らかに異質な雰囲気を出していた。
「どうなってるんだ!?」
鵺一は、自分達が通った廊下と目の前の廊下を見比べようと後ろを振り向いた。が、後ろにあるはずの廊下は無く、壁があるだけだった。完全に、さっき通ったばかりの廊下のスタート地点に三人は戻ってきている。
「なあ、オレ達はちゃんと渡り廊下の扉を開けて、渡り廊下へ出たよな……?」
あり得ない事態に樹は恐る恐る二人に確認を取るが、鵺一も小蘭もゆっくり頷く。とりあえず、自分だけが夢を見ているわけではないようだ。
なぜ戻されたのか、その原因はわからないが、とにかく、もう一度渡り廊下への扉へ向かって進んでみる。
しかし、どれだけ進んでも扉は一向に見えてこなかった。
「……樹」
何かを言いたげに鵺一が一気に声をかけると、樹は頷いた。
「ああ、無限ループってやつだな」
その通り、この廊下はどれだけ進んでも終わらない無限回廊と化していた。三人は渡り廊下へ出た瞬間から、変な現象に巻き込まれてしまったようだ。
更に、樹は以前慎太郎から変な噂を聞いていたことを思い出した。
最近、何度も同じ場所をぐるぐるして、そのまま異次元に連れて行かれ、失踪する人が多いらしい。と。
この噂を、樹はそのまま二人にも伝えた。
「そんな、どうするんダヨ!帰れないってことデショ!ワタシ達一生この廊下を彷徨い続けて死ぬしかないノ!?」
噂を聞いた小蘭が嘆き始めたその時、真っ暗な廊下の先の方から、何かがものすごい勢いで吹き飛ばされてきたのか、そのまま三人の足元に転がる。
それは、波音と雪音の巫女姉妹だった。
波音と雪音は、うう、と呻きをあげながらゆっくり起き上がると、スカートから札を取り出し臨戦態勢を取る。と、後ろの三人の気配に気づいたのか、ちらりと三人を見やると、しまった、という顔をする。
「ちょっと!なんで波音ちゃん達追いかけてきちゃったの!?失踪したいの!?」
先程までのヘラヘラとした感じから打って変わって、真剣な表情で波音は三人を怒鳴りつけた。どうやら波音と雪音は、例の噂を知っていたようだ。もしかすると、この後の用事とやらもこの噂を確かめに行くつもりだったのかもしれない。
「ちげーよ!オレ達は華音を探しに……!」
と、樹は弁明を試みるがそんな暇などなく、廊下の奥からぐわぁ!と黒い影のような無数の腕がこちらへ伸びて襲ってきた。
「衛!」
雪音が瞬時に反応し、その場にいる全員を庇うように立つと札を腕達にビッと向けて叫ぶ。
すると、その札から盾のようなバリアが展開され、腕達はそのバリアにビタンビタンとぶつかると弾け消えた。
雪音の後ろから、なにが起きたのかと樹、小蘭、鵺一は廊下の奥を覗き込む。
「餌だ、餌がたんとやってきおった」
ざわざわと、影が揺らめく。廊下の奥から、雑音にまみれた声のようなものを低く響かせながら、黒い影の塊がこちらに近づいてきた。
形は不定形でゆらゆら揺らめくそれは、影そのもののようで、距離が近づくにつれ悪寒が強くなっていく。
と、その影は自身の体に誰かを取り込んでいるように見えた。それに気づいた樹は、目を凝らして正体を確認をする。
「……!?委員長!?」
取り込まれた影の中から、ぐったりした顔だけを覗かせていたのは、間違いなく委員長、藤岡暦だった。
「その声は……神原くん?李さんと如月くんもいるの……?」
ゆっくりと目を開け、覇気のない声で暦が反応を示す。まだ意識はあるようだ。
「三人とも、来ちゃダメだよ……!早く、離れて……!」
「そういうわけにはいかないデショ!?しっかりシテ!」
早く逃げろと告げる暦に、小蘭は嫌だと首を振る。目の前で襲われている人間がいるのに、それを黙って見過ごせないのは三人ともだった。しかし、だからといって三人に何かできるわけでもない。
「そーだよ!しっかりしなさい!今助けたげるかんね!」
そうだった。三人は何もできないが、今ここには波音と雪音がいた。
「ゆきりん、鵺一くん達をお願い!」
「わかってますわ、衛!」
波音に返事をし、雪音はもう一度札を目の前にかざすとバリアを展開する。そのバリアの向こう側で、波音が札を影に向けて突き出しながら叫ぶ。
「炎!」
刹那、札から炎が燃え上がり、龍のようにうねりながら影へごおっと襲いかかる。
流石に暦に当たらないように狙いを少しずらしたようで、暦を取り込んだ位置を避けるように火龍が影を飲み込みボウ、と大きく燃え上がった。
轟々と影から火柱が上がる。しかし、影は焼かれているというのに、苦しみ悶える気配が一切なかった。それどころか、再び炎の中から無数の腕を波音に向けて勢いよく飛ばしてきた。
「嘘ッ!?」
これで仕留められる、と油断したのか、波音は影の攻撃に反応できず、腕に当たるとそのまま廊下の壁に突き飛ばされた。ゴン、と壁にぶつかると、頭を強く打ち付けてしまったのかずるずると地面に崩れ落ちた。
「波音ちゃん!」
波音が気絶し、動揺した雪音は集中が途切れたのかバリアを解除してしまった。それを影は見逃さず、雪音だけを横から同じように腕で突き飛ばした。
「う、ぐ……!」
雪音も壁に激突したものの、とっさに受け身をとれたようで、気絶はしなかった。しかし、右腕を苦しそうに抑えている。打ち所が悪かったようだ。
「お前らは餌にできない、餌以外いらない」
影はそういうと、雪音に再び襲いかかる。
「させるか!」
雪音が札を出そうとするも、防御が間に合わない、そう悟った瞬間に、雪音の前に鵺一が飛び出し、持っていた竹刀で影を斬りつける。しかし、竹刀はするりと影をすり抜け、何の役にも立たなかった。
だが、影は“餌”を傷つけたくなかったのか、鵺一を避けるように腕を裂いた。
それを見た樹と小蘭も、雪音の前に庇うように出てくる。
「おいこら化け物!やれるもんならやってみやがれ、このDVクソ野郎!」
「そーダヨ!女の子ばっかいじめちゃっテ、この変態クソ野郎!」
やいのやいのと雪音を庇いながら暴言をぶつける樹と小蘭に、影はゆらゆらと腕を掲げ低く唸る。
「餌の分際でうるさい奴らめ……今ここで食いつぶしてやるわ!」
「本当にねー。そいつらいつもうるさいよねー」
影が勢いよく樹と小蘭に腕を伸ばした瞬間、その腕が一瞬にして両断された。ぼとり、と影の手が落ちると、ふわ、と霧散する。
その手を切り落とした何者かは、そのままとん、と影の背中に着地した。
樹は、それが誰だかわかっていた。
「来ると思ったぜ、華音」
二ノ宮家の三つ子陰陽師の最後の一人。姉達と同じように術の力を携えた、二ノ宮華音が札を構えて影の上に立っていた。
「……よくも姉さん達をやってくれたな」
華音は気絶した波音と、腕を抑えて座り込む雪音を見ると、珍しく怒りの表情を浮かべ札を構え直し力を込める。
「破!」
そう叫びながら札を握りしめると、そのまま影に拳を叩き込む。しかし、拳はすかりと虚しく影をすり抜けてしまう。影はそれを馬鹿にしたように笑った。
「馬鹿な蝿よ、実態のない影に拳を向けるなど愚の骨頂。お前から貫いてやろう!」
ざわ、と背中の華音めがけ、無数の腕が一斉に影から伸び、そのまま華音を貫こうと飛びかかった。が、ガキン、と華音の周りを覆うように展開された何かに腕は全て弾かれ霧散する。
「まだ、私は倒れていませんわ」
動かせない右腕の代わりに、左手で札を構えた雪音が、動揺する影に向けてニヤリと笑った。どうやら華音を守ったのは雪音の術のようだ。
そんな華音は雪音に守られながら、拳を影に振り続けている。
「小癪な……!だが殴りなどこの体には効かぬ、諦めて食われてしまえ!」
「それはどうかなー」
そう返して、華音は更に勢いよく拳を叩き込んだ。
「破!」
ゴッ、と鈍い音がした。
すると、影は醜い悲鳴を撒き散らし、体の揺らめきを激しくさせる。全身を震わせ、みるみるうちに影が薄くなり、コロン、とヒビの入った黒い塊を残し、霧散して消えた。
「さっすが波姉ぇ。きちんとコアを焼いて固めといてくれたんだねー。じゃなきゃ俺も乗れなかったし。それにしても、コアが固まってたこと気づいてなかったのかなー」
どうやら華音は、コアを探して拳を振り続けていたようだった。そうしてコアを見事見つけ出した華音は、波音の術に関心しながら、容赦なく黒い塊を踏みつけ割った。
「はい、いっちょあがりー」
*
「というわけでー、やっぱり渡り廊下のお札が取れてたんだよねー。だから依頼したのに間に合わなかったみたい」
「待て待て、端折らずちゃんと説明をしろ説明を」
華音が塊を踏みつぶした後、無限回廊となっていた高等部の廊下から解放された一同は、渡り廊下に立っていた。
案の定、ビックリして慌てふためく三人に、あの無限回廊は影が見せていた幻術だと、雪音が教えてくれた。
例の噂は、どうやら本当だったようだ。というより、噂があの影を作り出したようだった。
雪音曰く、噂から怪異が生まれるのはよくあることで、噂が集まりやすい学園だから怪異が吸い寄せられて生まれたのではないか、とのことだった。
「で、札が取れてたってどういうことだよ?」
その後、影から無事解放された暦は今日はもう帰った方がいいと樹に背を押されそのまま帰路につき、雪音も波音が起きるのを待ってから波音とともに学園から帰っていった。
残った樹、小蘭、鵺一、華音の四人は、いつまでも渡り廊下にいるわけにはいかないので中等部四階の第三放送室に戻り、依頼内容の説明を改めて華音に求めたのだった。
「だから、俺、まだここの中等部に通ってた頃、学園中にお札貼りまくったの。で、最近そのうちの一枚が剥がれた気配がして、何か起こったんじゃないかと思って確認を頼んだんだ。そしたら、案の定だよね」
でももう貼り直したから、しばらくは安心ー。と緩く付け加えると、華音はソファを一人で占領しながらゴロンと寝そべった。お陰で座ることができない小蘭と鵺一が、ソファの背もたれから寄りかかるように顔を出して華音の話を聞いている。
「依頼の理由はわかったんだが、そもそも何故お前は学園中に札を貼りまくっていたんだ?学園を守るためか?」
当然のように湧き上がってくる疑問を鵺一が華音に尋ねると、華音は欠伸をしながら気だるそうに答えた。
「そうだね、学園の俺の昼寝ポイントを誰にも邪魔されないように貼ってたんだー。あれ貼っとくと魔除けだけじゃなく人からも見つかりにくくなるから」
「結局お前の昼寝ポイントの安全確認だったんじゃねえか!!!」
華音の解答を受け、樹はダン、と机を叩いて突っ伏した。その至極真っ当なツッコミに、華音は心外そうに顔をしかめる。
「そういうけど、最近変な噂あったじゃん。俺、あれを波姉ぇ達と調べる予定だったんだけど、札の件があったから心配でわざわざ学園に来たんだよ?」
ふああ、と再び華音は欠伸をする。
「だからぁー、今から寝かせて。俺への、ごほー……び……ぐー」
最後まで言い終わらないまま、華音は寝た。
「相変わらず秒で寝るよネ、華音ッテ」
爆睡する華音を見ながら、小蘭は呆れ気味に言った。
「……ところで小蘭。オレに何か言うことは?」
急に話を振られた小蘭は、きょとんと樹を見つめる。が、すぐにそれが何のことがわかると、ふい、とそっぽを向いた。
「謝るのは樹の方だモン。謝ったら許してあげるヨ」
「はあ?謝るのはそっちだし許すのもこっちだろ?そう言うところ可愛くねえなー委員長を見習え」
委員長というワードにより、小蘭に再びスイッチが入った。
「だから委員長委員長うるさいんダヨ!樹なんて絶対に相手されないカラ!」
「なんだよ僻みか?そんなん、わかんねーだろ!」
「わかるヨ!だって暦は華音が好きなんだからネ!!」
その言葉で、樹の中の嫌な記憶が一瞬にしてブワッと鮮明に蘇った。
中等部時代も、樹は暦に惚れていたことがあった。きっかけはまた些細なもので、提出日が今日の宿題をしてくるのを忘れ困っていたところに、暦がノートを貸してくれたのだった。本当はダメだけど、困った時はお互い様だから特別だよ、と言う殺し文句付きで。
そうして樹は暦に落ちたのだったが、すぐに失恋をした。
何故なら、暦はわかりやすいぐらいに華音が好きだったからだ。体育でバスケの授業があった時、ダルそうにしながらも鮮やかに3Pシュートを決める華音を、完全に恋する乙女の顔で見つめる暦を目撃し、樹の初恋は簡単に砕け散った。
ちなみに、その時も小蘭の機嫌は悪かった。
「どうせ華音が居なくなったからワンチャンとか思ってたんデショ!でも残念だったネ!さっき華音に助けられた時、暦は完全に恋する乙女の顔で華音だけしか見てなかったヨ!帰るときに上の空だったのモ疲れてるからじゃなくテ華音の格好良さを思い返」
「やめろォォォォォ!!それ以上傷を抉るなァァァァァ!!どうしてそういうこと言うんだ本当に可愛くねえな!!」
「はーーー!?小蘭チャンクソ可愛いカラァーーー!千年に一度の美少女だカラァーーー!だからモテねえんダヨこの焼き芋野郎!!」
「誰がふっくら美味しい石焼き芋だァァァァ!?お前も石焼にしてやらァァァァァ!!」
もはや意味のわからない暴言を互いにぶつけ合いながら、またもや掴み合いのハムスターの喧嘩状態になる。
近くでそんな騒ぎが起こっているにもかかわらず、完全に夢の世界に旅立ち起きる気配のない華音の横で、鵺一は今度は仲裁に入ることなく、ただため息をついた。
「……『恋』って難しいな」
ハムスターの喧嘩は、ガチで仲裁しようとすると指ごと持ってかれるので気をつけてください。(経験者は語る)