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とあるいい兄さんの日の午後の話

いい兄さんの日に間に合わなかったやつ

 昔から兄が欲しかった。


 別に、姉さんに不満があるわけではない。姉さんは素晴らしい姉さんだ。誰にでも優しく、誰からも好かれる、オレの自慢の姉さんだ。

 それでも、男兄弟というものに憧れがあった。姉さんと仲が良くないというわけではないけれど、男同士のノリというか、男同士だから砕けて兄弟仲良く遊ぶというような、そういった環境が羨ましかった。

 もちろん、全ての家庭がそうだとは思わないが、やはり同性同士の兄弟の方が仲良く見えるというか。だから兄が欲しかった。下の兄弟の世話をしたい願望はなかったから、一緒にふざけてくれる兄が良かった。


 ……とは確かに思っていたけどな。



「おーう樹ィ。今帰りか?」


 緑原学園から真っ直ぐ帰路に着き、正に自分の家があるマンションのゲートに部屋の番号を入れようとした瞬間、聞くだけで嫌な気分になるいつもの声が聞こえた。

 オレは渾身の力を込めて嫌そうに顔をこれでもかと歪めて、その声の主の方へ振り返る。そこにはやはり、見慣れたくせ毛に見慣れた顔、見慣れた赤眼鏡の見慣れたアイツが、ニヤニヤと悪そうに笑いながら自転車にまたがり、ハンドルに寄りかかっていた。


「なんか用かよ、海老沢」


「“海老沢さん”だっつってんだろ」


 海老のクソボイル野郎はそう言いながら自転車から降りると、キコキコと音を鳴らしながら自転車をひき、オレに近づく。


「姉さんなら今日は用事で遅くまでいねえよ、残念だったな」


 オレはまた渾身の力を込めて悪そうな顔をしながら海老のクソロブスター野郎に告げる。こいつが来る時は大抵姉さん目的だからな。

 別に、姉さんが誰と付き合おうが口出しはしないつもりだった。そこまでのお節介は自分でも気持ち悪いと思ったからだ。でも、こいつだけは。海老沢だけは選んで欲しくなかった。

 海老沢は昔からずっとお隣さんだった。悔しいが頭もいい。なんたって医大に行くくらいだから。オレだって、大人しくしていればこいつは凄く好青年だと思う。大人しくしていれば、だ。

 だけど実際のこいつは好青年とは真反対のような存在だった。それこそ昔から生き物とイタズラが好きで、しょっちゅう蛙を捕まえてはオレの鞄に入れてきたり、蝉の抜けガラを集めてはオレに投げつけ、大量のくっつき虫をオレのパーカーのフードに入れられたこともあった。それに加えて喧嘩っ早く、口も悪くてガラも悪い。さながらマッドサイエンティスインテリヤクザだ。


 って被害者全部オレじゃねーか!!!


 こいつにイタズラされた過去を思い出して、一人で不機嫌になる。思い返せば思い返すほど、標的はいつもオレだった。まず、姉さんには冗談は言うがイタズラはしない。小蘭と鵺一にはたまに仕掛けているが、二人とも海老沢のことを慕っているみたいで、オレみたいに不快感を露わにせず笑って許している。

 だから、奴の中で反応が一番面白いオレにいつも来るのだろう。まったく、嫌になる。


 とにかく、姉さんの不在は伝えた。オレは邪魔をされ中断していた、ゲートへの番号入力を再開し中に入ろうとした。が、再びそれは邪魔をされる。しかも今度は物理的に、だ。

 ボタンを押そうとした腕をいきなり掴まれ、入力パネルから離される。


「おい何すんだよクソ海老!!帰らせろよ!!」


「お前暇そうだな。ちょっと俺に付き合えよ」


 海老のクソ煮卵野郎はオレの訴えを完全に無視し、グイグイとマンションの入り口からオレを引き剥がすように引っ張る。


「ふざけんな!!誰がテメーなんかに付き合うか!!」


「結衣にさー、本を頼まれてんだよー。でも俺じゃよくわかんなくてさー。だから樹君の力を借りたいんだけど駄目ー?お姉さん喜ばせたくない?」


「付き合ってやるよ」


 オレは姉さんの名前を出されると弱かった。



 *



「おい、本当に姉さんに頼まれたのか?」


 海老沢に連れられやってきたのは、ゲームセンターだった。ここに目的の本があるとは思えない。クレーンゲームの景品に本が並べられているのも見たことがない。


「ああ、あれな。嘘」


「帰る」


 パッと踵を返して帰ろうとしたオレの腕を、海老沢はまあまあと言いながら掴み引き戻す。


「だって、ああでも言わねえとお前ついてこないだろ?たまにはいいじゃねえか。ちょっと俺と遊ぼうぜ」


 海老沢はニコニコとしながら、強引にオレを奥のガンシューティングの筐体に引っ張っていく。そして有無を言わせないまま、はい、とその筐体に繋がれた、ピストル型のコントローラーをオレに押し付けた。


「これな、新作が稼動開始したんだけど一人じゃキツくてな。だからお前に助っ人頼むわ!」


「はあ!?その為だけにオレを連れてきたわけ!?」


 オレは思わずデカイ声を出す。それだけの理由でオレに絡んできたのか。確かに姉さんは誘えないかもしれないが、そんなの別に小蘭や鵺一でも良かったはずだし、なんなら暁先輩とかの方が適任じゃないか。

 それをそのまま海老沢に伝えると、海老沢はわかってねぇなぁ。とため息をついた。


「小蘭はノーコン、鵺一はすぐ前に出て死ぬ。暁は上手いが実況しだすから煩くて俺が集中できねえ。一人でもキツいのにお荷物背負ってどーすんだよ」


 そう言われてしまうと納得するしかなかった。渋々オレは渡されたコントローラーを構える。

 海老沢が筐体にクレジットを入れると、デモプレイを流し続けていた液晶画面が切り替わる。慣れた手つきで海老沢がゲームのモードを選択すると、軽く操作説明が流れ、その後ゲームが開始した。

 海老沢は何度もやっていたのか、襲い来る敵のゾンビ達を一匹も漏らさず撃ち抜いていく。正直、オレのいる意味がない。


「なあ、オレ暇なんだけど」


「最初のウェーブはな。後からお前にも手伝ってもらうぜ?」


 海老沢は余裕そうにニヤリと笑う。

 オレは少し呆れながらも、画面を見て「覚える」ことにした。

 その選択は、後から思えば正解だったわけだけど。



 *



 負けた。

 オレ達は見事にボコボコにされた。

 10ウェーブ目から、海老沢が撃ち漏らすようになってきた。でも、オレがそれをしっかり対処できる数だったので、まだ余裕だった。

 15ウェーブ目から、オレも最初から加戦しないと危うい感じになってきた。でも最初から手伝っていれば大したことはなかった。

 20ウェーブ目から、ギリギリになってきた。数が多いせいで獲物が被り、結果お見合いも多発して、その度に体力がごっそり削られていく。


 そして迎えた25ウェーブ目。

 地獄だった。


 なんだあのゾンビの数!?!?24ウェーブ目から一気に数が増えたぞ!?!?24が100だとすれば、25は500みたいな……。しかも最初から同時に20体ぐらい湧いて出てくる。あんなの千手観音じゃなきゃ無理だ!!!

 海老沢も全く同じことを思ったみたいだ。


「おいなんだあのゾンビの数はよ!!あんなん千手観音じゃねえと無理だっつの!!」


 千手観音のくだりまで被ってんじゃねーよ海老のクソ蟹野郎め。

 海老沢は相当悔しかったのか、続けざまにクレジットを入れる。


「もう一回だ!オラァ、樹行くぞ!」


「うるさいな、わかってるっつの!」


 そんなオレも悔しかった。このままで終われるわけねえっての。

 再び画面がゲーム開始を告げる。オレと海老沢はコントローラーをしっかりと握り直した。


 が。


「樹ィ!テメーまーた俺の領域に来やがって!こっちに出てくんなっつってんだろ、間違って撃ち殺すだろーがよ!」


「るっせー!そっちこそオレの獲物とってんじゃねー!頭撃ち抜くぞ!」


 何度も挑み、何度も敗退を繰り返すうちにプレイが雑になってくると、最初は守っていたそれぞれの守備範囲もどうでもよくなり、フレンドリーファイアは当たり前だわ、獲物を取り合って他の敵に殺されるわで、足の引っ張り合いをお互いにしまくった結果、25ウェーブ目に到達することすらままならなくなってきていた。

 海老沢はイライラしながら再びクレジットを入れ、ゲームオーバー画面からゲームモード選択画面に戻す。

 というか、海老沢の入れた金額も相当な額になってるよなこれ。


「いいか、今度こそ邪魔すんじゃねーぞ樹!」


「そっちこそオレの足引っ張るなよな、クソ海老」


「“海老沢さん”だっつってんだろーがよぉぉぉぉ!!ぶっ殺すぞ!!」


 海老のクソマリネ野郎がオレの挑発に乗りオレを撃ち抜いてきたので、オレも反撃する。協力モードのはずなのに、あっという間に対戦モードだ。当然、お互いに撃ち合って自滅してゲームオーバーになった。


「だー!!もうラチがあかねえ!!やめだやめ、一回争うの禁止だ!」


 海老沢が再びクレジットを入れようとする。が、オレはその腕を掴み、制した。


「……もう、無理だよ。オレらに協力ができるわけねーもん。オレはあんたが嫌いだし、あんただってオレのこと嫌いだろ?もういいよ、姉さんのために無理にオレと仲良くしようとしなくて」


 オレは自分のコントローラーを筐体につけられたケースに戻した。

 そりゃそうだ。オレは海老沢が嫌いだ。

 イタズラをされたことをずっと根に持っているのもあるにはあるが、それよりも根本的にこいつが気にくわない。

 オレより頭が良くて、器量が良くて、いろんな奴らに頼られて、慕われて、人気者で、知識も豊富で、力もあって、気さくで……。

 そして何より、姉さんがこいつの恋人なのが気にくわない。

 でも、本当はわかってる。姉さんが選んだ人間だから、悪いやつじゃないってこと。誰よりも信頼できるやつだってこと。わかっているから気にくわない。オレより何もかも上をいくこいつが気にくわない。

 それは、きっと海老沢も同じで、オレが姉さんの弟なことが気にくわないはずだ。だからああやってイタズラを繰り返し嫌がらせをしてきたんだろう。でも、オレ達が仲悪くしていると姉さんが悲しむ。だから無理にオレに合わせようとしていることは明白ーー


「は?誰が無理にお前と仲良くしようとしてるだって?」


 海老沢が呆けた顔でオレに訊いてくる。思わずオレも呆けた顔になる。


「樹、お前は結衣と俺の関係しか見てねえようだけどな、よく考えてみろよ。結衣と俺は幼馴染だ。であれば、お前と俺だって幼馴染になるわけだろ?」


 海老沢は力の抜けたオレの手を振りほどくと、筐体にクレジットを入れた。


「俺はな、結衣との関係なしにしても、お前のこと弟みたいに思ってんだぜ?なんかからかいたくなるっていうか……ああ、だから兄として慕えって話じゃねえぞ。俺が勝手に兄を気取って構ってやりたいって思ってるだけだ」


 海老沢はいつものようにゲームのモードを協力モードにカーソルを合わせる。と、オレが筐体に戻したコントローラーを再びオレに渡す。


「まあ、だからなんだ。俺のわがままにもうちょっとだけ付き合ってくれ。頼むわ」


 ああ、やっぱり気にくわない。どうしてこいつはいつも、オレの理想の兄さん像を演じるんだ。

 オレは海老沢からコントローラーを奪うように受け取ると、もう一度しっかりと構える。


「……クリアしたいんだよな?」


 オレは、海老沢に確認するように呟く。


「だったら考えがある。オレの言う通りにして」


 海老沢は何も言わなかったが、ゆっくり頷いた。そして、ゲーム開始ボタンを押した。


 正直なところ、20ウェーブまでは何もしなくていい。お互いの領域に干渉しないようにすればよかった。でも、オレ達はそれが出来ない。なら、


 一人でやればいい。


「最初!右斜め上から!次は左の扉か右の看板裏どっちかから!」


「はいよ!」


 オレは今まで「覚えた」通りに海老沢にゾンビが湧く場所の指示を出す。

 ゾンビの湧き地点にはランダム性はあったが、ある程度パターン化はされていた。何度も何度もやり直すうちに、最初に出てきた場所さえわかれば、あとは決まった通りにしか出てこないと言う法則を「覚えた」。


「最初はそこか……。なら次は右の廃墟から。そのあとは……ああもう、画面指差した方が早い!こことここと、ここ!」


「いや、わかんねえよ!流石に15からその指示出しはキツいわ!交代だ、お前が撃て!取りこぼしは俺がカバーする!」


「しょうがねぇな!」


 オレは指示出しをやめて「覚えた」通りに銃を撃つ。本当は最初からずっと「覚えた」通りに撃っていた。だから海老沢の領域にも侵入していたわけだけど、あの時はこんな連携なんてしていなかったから、反射的にゾンビに反応する海老沢にとっては邪魔でしかなかったんだろう。

 でも今は、連携を取っている。オレは体が反応する限り「覚えた」通りにゾンビを倒し、すり抜けた奴らを海老沢が逃すまいと確実に仕留めていく。

 どう見ても完璧な布陣だ!行ける!


 そしていよいよ、地獄の25ウェーブ目に入った。

 しかしここで一つ問題がある。それは、オレ達は足を引っ張り合いすぎて、25ウェーブ目にたどり着くのが稀だった。

 つまり、このウェーブのパターンを完璧に「覚えられていない」。

 それでもオレは、なんとか食らいつく。ここまできて覚えてませんでした、なんて言ったら海老沢に一生馬鹿にされる。


 と、海老沢が「あ」と声を漏らす。


「ところで樹、お前ここは「覚えて」ないんだよな?」


 げ、バレてる。


「いや?別に?覚えてるけど?」


「嘘つかなくていいから。とりあえずそのままそこで耐えてろ。兄ちゃんがとっておきを見せてやる」


 海老沢がニヤリと悪そうに笑った。


「テレレレッテレー!ボームーバーレーットー」


 セルフジングルを唱えると、海老沢は得意げにコントローラーの特殊トリガーを引いた。

 そうだ。このゲーム最初に説明してた。

 回数制限はあるけど、特殊弾もあるよって。



 *



「んだよ、ボムバレット使うと途端にヌルゲーだったな」


 ゲームクリアの画面を見ながら、海老沢はつまんなそうにコントローラーを筐体に戻した。オレもそれに続いてコントローラーを戻す。

 ボムバレットを解禁した(と言うより、使い方を知った)オレ達は、その後ボムバレットを連射し、範囲爆発でゾンビを一掃しまくり25ウェーブの地獄を簡単に乗り越えた。あまりの呆気なさと規格外のボムバレットの強さに、クリアした感動もクソもなかった。

 更に25ウェーブ目が最終ウェーブだったようで、なんとも締まらない感じでゲームをクリアしてしまった。


「まーでも使い方を知らなかったとは言え、最後にボムバレットを連射できたのはひとえに樹君のおかげだな」


 海老沢はニヤニヤしながらオレの背中を軽く叩く。


「お前が「覚えた」から無駄にボムバレットも撃たずに済んだし、体力も減らさず済んだし、さっすが、自慢の「弟君」ですわー。頭撫でてやろうか?」


 少し馬鹿にしたように海老沢が笑いながら頭を撫でようとしてくるので、オレはその手を全力で叩いた。


「帰る」


「切り替えはえーなお前。待てよ、一緒に帰ろうぜ。つーか付き合わせた礼だ、なんか奢ってやるよ」


「いらない」


 海老沢の申し出をオレは即座に断る。そのかわり、とオレは海老沢に続ける。


「……また、遊んでやらないこともねーからな。……兄さん」


 オレはそれだけ言うと、ダッとその場から走り去る。が、直ぐにニヤケ顔の海老沢に追いつかれた。


「なあ!樹君今のもう一回!」


「やだ!」


「録音して結衣に送るから!もう一回!」


「嫌だっつってんだろぉぉぉぉ!!このクソ海老ぃぃぃぃ!!」


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