卯月のこと。六文銭(下巻)
下巻、ついに大ちゃんの白刃がうなります。
(4)
碁盤が二つに割れた。
どんだけ切れるんだ、その刀!
斬鉄剣かよ!
「どけ、小娘!」
「いやだ!越後屋さんは斬らせない!」
立ちはだかって両手を広げる。
へひひひへひっと義一郎はわらった。目が据わってる。
危ない。あっちの世界をのぞいちまった目だよ。逝っちまってるよ!
「きりゃあ、しねえ。痛めつけて金のありかを聞き出すだけだ!」
「もうやめなよ!越後屋さんを斬ったところで、お母さんは戻ってきたりしない!あんただってもう死んでるんだ。それぐらい、分かってるはずじゃん。それにあんたは、知らないだろうけど、越後屋さんはあんた達がこまらないように、奉公先の口まで作ってくれたんだよ!」
「…環さん!」
いいんです、と越後屋が首を振る。
「わたしがこの人に斬られてやりゃあ、この人だって気がすむ。」
「越後屋さん!」
私が、前に出ようとする越後屋を押しとどめようとしていると、突然、義一郎がケタケタ笑い始めた。
「知ってる。知ってたさ。とっくに」
え?
「逃げ出してきたときに、口利きやのじいさんが教えてくれたさ。でもよ、そんなのおりゃあ、関係ねえ。」
それこそ性根の腐ったようなぞっとするような顔で、にやりと義一郎が笑った。
「金が欲しいんだよ。おりゃあよ。こいつの隠してる金がほしい。こいつの悲鳴がききてえ。俺を商人にしようとしくさった母親や父親なんざ、関係ねえ。俺を自分と同じように、ひいひい金稼いで生きていくように仕向けようとしたこいつを痛めつけてやるのは、ちっとばかし楽しいだろうよ。ええ?」
「あんた、頭おかしいよ。」
「おりゃあ、侍だぜ。士農工商のてっぺんだ。だが、こいつはどうだ。俺より身分が下の野郎だ。侍が商人切り殺して何が悪い。俺に泥水飲ませようとした罰だ。無礼うちだあ。」
「馬鹿だよ。あんた。」
さっと男の顔に怒気が昇った。越後屋が、たしなめるように私の袖を引く。
「いまじゃ、士農工商なんて、誰もいわねえよ。時代遅れなんだよ。そんなのあんたが威張れるネタでもなんでもないじゃん。」
「なんだと?」義一郎の頬が痙攣のように引きつった。
「だから」私は持ってきた越後屋の和傘を視界の隅に捕らえる。
「図体でかいくせに、世間知らなさ過ぎるんだよ。ばーか」
奇声を上げて、義一郎が刀を振り下ろす。
すばやくそれを受ける。
これ、木でできてる奴だっけ。
ああ、600円ぐらいのいやもっといい奴で、金属でできているのがあればよかった。
ああああ、でもいい奴は軽量仕上げだからもっとやばいか。
じゃあ、まあいいか。
そんなくだらないことを散々考えたのは多分、状況をあまり理解したくなかったせい。
手の中で握り締めた傘は今にも折れそうだ。
やばい。やばいかも。
亡者の刀で人間の肉って斬れるんだろうか?
そう思った瞬間、男の体が横に吹っ飛ぶ。
「何をしとるかね!刀では肉は斬れないが、魂魄に傷がつく。たまちゃん、魂が死ぬよ。」
心に思った疑問を答えてくれたのは、庭に仁王立ちした春日。
「なんだ、貴様!」
「小娘やじいちゃんを手にかけるような、性根腐った下種野郎に答える名なんぞないわい!」
春日のあざけりを受け、突き破ったふすまから這い出した義一郎の目がさらに、狂気をはらんでいる。
雄たけびをあげて、切りかかる男に向かって、手を突き出した春日の頭上を跳び越し、男の剣をまっすぐないだ一陣の風。
「大童子!」
「昼間っから、押し込み強盗たぁ、ふてぇ野郎だ。」
大童子は、涼しい顔で鞘に収まった刀を腰に戻す。
「だいちゃん!」
「春日、越後屋とたまきを頼む。」
まだ戦闘態勢を崩さない春日に、大童子が微笑みかけた。
左手が刀の柄にかかる。
鞘から切羽が外れて、金属が小さく鳴いた。
伯母が封印を施した刀が抜けたのだ。
するりと重い金属が木を滑って白刃がひらりと迷いのない弧を描く。
久しぶりの感触を確かめるように、大童子がそれを優雅に一振り。
義一郎がまぶしさに目を眇める。
「少しは骨のある奴が出てきたな。」
「死んでる奴に骨なんてねぇよ。」
へっと大童子が鼻で笑った。
「たまきはよ、商いはいやだ、坊主はいやだ。我慢や辛抱の仕方もしらねえくせに、てめえのためにあくせく働く親父を馬鹿にしやがって。士農工商だなんて、何の努力もしねえで手に入るもんで、威張り散らかしているあんたの性根が腐ってるっていってんだよ。ばーか!」
「なんだと」義一郎が歯軋り。
「おまけに、やってることは、タダの強盗じゃねえか。あの世にもいけねえで、なったのは弱いもの選びのヒト斬りたぁ、大した『お侍さん』だぜ。お父上は泣いてたねえ。誇りを持てという意味で、侍の生まれを諭したつもりがとんだ裏目だと。」
「親父に会ったのか!」
「おお、怖え。おうよ。おめえをあの世にやってきたら、説教くれてやると息巻いてたぜ。」
いつもの軽口はそのままに、その目はひたと義一郎を見つめて大童子は言った。
あれは、笑ってない目だ。
「あの、くそ親父ぃ!」
鬼の形相の義一郎が大童子に激しい突きを仕掛けていくが、それをひらりひらりと大童子が交わす。大童子のすばしこさのせいで、義一郎はほとんどまともに手が出せない。子供と大人が戦いっているみたいだ。
声を上げて振り下ろされた義一郎の剣を、大童子が力強くはじき返した。二人の間合いが広がる。ほんの小休止。
「親父は・・・俺をいくらで売ったんだ。」
「よせやい。そんなうすぎたねぇ、話。」
大童子は息すら乱していないのに、義一郎は肩を大きく揺らしている。
「親父はいつもいつもそうだ。俺のやろうとすることに邪魔をしやがる。義理だ、忠誠だ、誇りだ、情けだ。そんなもんに振り回されて、大事を成せない臆病な男だった。傘貼りなんぞ、反吐がでらぁ。武士の面目丸つぶれだ。俺は、そんな小物になんぞ、なりたくなかった。」
「そうかい?おめえの親父は、いい奴だったぜ。」
三分間しか、話せんかったけどな。
傘貼りなんぞ、反吐がでらぁ?親父がそれをしたから、おめえは食っていけたのに、その口でよく言うねえ。
にやりと大童子が笑った。
「おめえの親父は、越後屋の話しを聞く限りにゃ。妻子友人守るためなら、どんなことでもするような男だ。おめえの言う通り、女房、子供食わしていくためにゃ、面目やプライドなんて関係なかった。だが、人間の誇りは忘れなかった。あったけえ血だって流れてる奴だった。だから、おめえの親父のまわりにゃ、いつだってヒトがいっぱいだった。」
虚を疲れたように、義一郎が口を開いた。
「越後屋だってそんな奴の息子だから、多少根性がひねくれ倒していても手を差し伸べてやろうと思ったんだ。男が惚れる男ってのは、そういう奴なんだろうねぇ。越後屋が心残りであちらにいけねえってぐらいなんだからよ。」
だが、おめえはどうだい?
「自分の手で自分を食わしていこうって意志もねえ癖に、プライドばかりはご立派で、人間の誇りも金繰り捨ててやがる。みてみろい、親父とてめえとどっちの死に際が全うだったよ?てめえは、たしか押し込み強盗やったあと、仲間割れで争いになって斬られたんだったよな?」
ぎりぎりと歯軋りをしていた義一郎がきっと顔を上げた。
「誇りだの、プライドだの。そんなこと親父も世の中の教えてはくれなかった。」
義一郎は再び、大童子の返答を待たずに斬りかかって行く。その刃を大童子が受け止めて、鍔で競り合いになる。
「ばかじゃねえのか?おめえ。分別のついた大の大人が、そんな屁理屈をいうことは許されねえんだよ。」
大童子はもう笑ってはいない。
「息の吸い方にしても、歩き方にしろ、何から何まで親が教えてくれるわけでもあるめえ。足りねえ分は、てめえが両の目をしっかり開いて、見て、聞いて学んでいくことだ。親の背を見て子は育つというが、その目がひねくれてちゃ、見えるもんも見えやしねえ。」
大童子が一瞬口を閉じた。義一郎の握り締めた拳が怒りでわなわなと震えているのを確かめて再び口を開く。
「何から何まで親父や世の中のせいにして、てめえとちっとも向き合おうとしねえおめえが、そのいい例だろう。わかったら、迷わずあの世に行くことだな。あの世で親父が待ってるぜ。」
いやだ。
うなるように義一郎が言った。
「この世の中、みんな道連れにしてやる。血の華をさかせてやらあ。」
おもしれえ。
大童子が懐に手を差し込んだ。手には、義一郎の親から受け取ったもの。それを義一郎の足元に投げた。
いぶかるようにあげた視線に冷たく大童子が言い放つ。
「六文銭。三途の川の渡し賃だ。向こうについたら、渡しの婆がいるから渡すといい。」
はじかれたように義一郎が切り込んできた。
「これだけ、言っても分かねえんなら、しようがねえ。ちっとは痛ぇ目に会わしてやらあ。」
大童子が身を低くかがめた。義一郎の太刀筋をかわして、一部の迷いもなく放たれる鋭い白刃の煌き。
凍ったような表情が、しんじられないとでも言うようにあたりを見回した。
横顔だけをこちらに向けた大童子の唇がかすかに動く。
天地万物の逆旅、光陰百代の過客。しこうして、浮生夢のごとし、
目を射抜くようなあわ立つ光。
大童子はまぶたを伏せて、露を払うように、刀を一振りないだ。
光が霧散する間際に、何かがからんと音を立てて落ちた。
面だ。
眼窩、落ち窪み、目だけは見開いて。それでも何やら物言いたげなその表情。
「痩男。」
ぽつりと傍らの春日がつぶやいた。
「生類殺生の亡者の面。」
哀れなもんだ。
面を拾いあげ、確かめるように指で撫でて、大童子がつぶやいた。
「親父にケツひっぱたいてもらって、きっちり叱ってもらえ。」
(4)
「で、なんで?」
我が家の座敷。そこにできた陽だまりに碁板が出ている。
春日は傍らで、寝転がり、丸くなって眠っている。
悪びれない表情の二人に私は声を荒げる。
一人はにやにや顔の大童子。もう一人は文句の付け所のない好々爺。
「当家の碁盤は使えなくなりましたので、ここで打たせてもらうことになりました。」
ああ、そうそう。使用料は大童子さんに払ってますから。
一部の文句もつけさせないとばかりに、二人ともが完璧な微笑み。
いや、そういうことではなく。
「どうして、成仏しないんですか?越後屋さんっ。」
くすくすと老人は笑う。
「いや〜。隠した金を使い切るまでは、どうにも往生できなくて。」
「でも、大判小判じゃ使えないでしょ?」
大丈夫。
にやりと笑って懐に差し込んだ手に、かの有名なブランドの財布。
「そ、それは、ヴィト・・・っ。」
ぶ、分厚い。越後屋、この世にのさばる気、満々だな。
見上げてくるのは罪のない笑顔。
「巷では、これがはやりと聞きました。手触りは悪くないですがね、この世の藩札も鑑札も手にいれて・・・」
「?鑑札?」
差し出したのは住基カード。
越後屋籐衛門。
君は住民登録したのか?というか、できたんか?
「いや〜この世はやはり金次第ですねぇ。」
ふほふほと高笑い。
こんなやつ、居ていいんだろうか。
そう思いながら、視線をずらす。
主のいない座布団があって、その傍らに徳利と杯。
ああ、そうか。
私は思わず口元を緩める。
供養なのか。私は少し越後屋を見直す。
「越後屋さん。」
はい?と小首をかしげる越後屋に私は問う。
「晩御飯、食べてく?」
深い深い闇。
夜よりも暗い色に染まった闇の底。
たゆとう水辺にゆれる屋形船。
いびつなほどの鮮やかな色が浮いている。
つややかな黒髪は、ゆるりゆるりとやわらかな曲線を描いて、袿に流れている。
赤地に金の模様をちらした袿を上に単を重ね、紅の袴をはいて、下には潔いほどの白い小袖。
装束をみるかぎり公家の女房といったところか。
白い両手がそっと手元の面にふれて、女のその紅袴ほどに朱い唇が笑みの形を描いた。
くつくつくつと深い闇のしじまを震わせる笑い声。
流れる水も凍るほど、冷たい響き。
女は笑いをやめて、再びその面をみた。
二つに分けた髪が幾筋か額に垂れるもおどろおどろしく。
かっと見開いた金泥にはつよい意志。
ひそめた眉は苦痛と怒りの形。
嫉妬の言葉を口にせんとばかりにひらいた大口には哀しいばかりの牙。
二本の角に秘めたるは禍々しい異形の力。
その面は完璧に醜く、また完璧に美しかった。
金泥の瞳をひたと見つめる女。
その顔は端整で、はっとするほど黒目がち。
笑みを浮かべる口元は形よく、上品。
女は面を裏返した。
それをわずかに仰向けた顔に当てる。
しのびやかな笑い声。
闇も凍るほどの。
水辺をすすと紅く染まった葉が滑っていく。
ここに、春など来ない。
決して、来はしない。
ササガネです。
先日、お越しあそばされたいろんな国の神様が帰っていかれました(26日)。神去出というそうです。この日は、聞いた限りは神様が上空を行きかってありがた〜い感じかなとおもうのですが、この地域では物忌みをするそうです。
考えてみれば、ササガネの地元は西日本の東より南の地域なのですが、ありがたい日には半物忌み的な感じがありました。たとえばお正月。少なくとも元旦は、初詣以外は外出禁止。火、刃物類は断じて使ってはならず、ツメキリも禁止されておりました。晴れ着にはしゃいでいると怖い顔をされた物です。来られた神様に怒られると。遊んでいいのは翌日からって。
ありがたや、おそろしや。
今回、お話はどうでしたか?
少しずつ、大ちゃんの過去を絡めて、敵ボス襲撃とかも入れていきますね。