弥生のこと。阿国衆
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その場所は、小さな町を一望できる。
手前にかかる神の名を冠した橋。お椀を伏せたようなドーム状の建物。
小さな町ながら、転々と散らばる細かい明かり。それは人の営みの象徴。
その様子を展望台の丸い屋根の上から見下ろしているのは一人の男。
黒尽くめの古風な出で立ち。腰には刀。
「野郎、どこに行きやがったんでしょうかね?気配がまったくよめねえ。」
獲物を探る鷹のように、街を見下ろす男に、少年の声。
揃いの格好の少年は松の木に立って、古めかしい形の双眼鏡を覗いている。
「さあてね。どうせ小物だ。夜陰にまぎれて息をひそめてりゃ、雑魚と区別がつきはしねえ。気配もかくせねえ程度の奴だ。殺る気分になったら、すぐに分かるだろう。手下には、気をぬかねえよう、烽(のろしのこと)で知らせるように言っとけ。」
「承知。」
少年は、双眼鏡を降ろした。
どこからともなく甘い香りが漂って、男がそれに興をそがれたように空を見上げた。
「梅か。」
冬の日本海を奔る風に蹂躙され、冷え凍らされたこの土地にも、ようやく訪れた春の兆し。
少年は、男のそんな様子を横目で一瞥。
視線を街にもどして、わざとらしく続ける。
「ところで、さっきから妙な気配がするんですが、俺の気のせいっすかね?」
「いや。」
にやりと男は笑った。
「俺も、感じるぜ。」
藍の色を濃く深く染め上げたその中天に、細い月が一筋。
色は研ぎ澄ました刃のその淀んだ潔い、確かなましろ。
「あいつが、戻ってくるとはね。」
鷹のような目で、一点を見つめ、男は腰の柄に手をかけた。
一部の弱さもなく鍛えられた鋼が、するりと漆の地を滑る。
白い煌めきが闇に閃く。
冷たい切っ先をまっすぐに、軽く眇めたその眼の先へ。
「会いたかったよ、千秋。」
唇には残忍な微笑み。
「こいつはいいお楽しみだ。」
(1)
ああ、なんてかぐわしい!
両側から、目の前に差し出されたフライドチキンにうろたえる。
「さあ、たんとお食べ。」
「心の赴くまま、その欲望を満たせ。」
にっこりと微笑む春日と大童子。
あまりのことに、言葉が胸につまって、思わず顔をそらす。
「遠慮しなくていいわね。」
「日ごろのストレスは食欲で、発散させるが一番!」
いや、ストレスを生み出してるのは、何を隠そう君たちだよ。
しかし、なんてことを言い出すんだ。握った小刻みにこぶしが感情の高まりに震えている。
涙がにじんでいるのが、自分でもわかる。
「春日・大童子。」
語りかけた視線の先には、端整な顔立ちの二人が天使の微笑み。
これは、罠だ、陰謀だ。
そう、あれだ。
ハエを狩るウツボ蔓。蟻をさそうあり地獄。
シーザーをやったカエサル。本能寺の明智光秀。
世界征服をたくらんで、なぜか幼稚園バスを狙うショッカーだ。
どん。食卓を両の拳でたたく。
「これは、なんの真似だ。」
「あれ?大好物じゃなかった?」
そうだ。そうだとも。
このかぐわしい香り。確かなスパイスと塩とぎっとぎとの油のハーモニー。油に指先を光らせながら、次のピースに手を伸ばすその時、脳内を駆け巡るドーパミン。
ああ、抗いがたい至福の時間。
頭を振る。
冷静に、冷静になれ。
ピンチのときほど冷静さが必要だ。
「な・ぜ、チキンなんだ。」
「おりゃあ、たまきのためを思って…」
「ひどいわね。」
ぎろりとその顔をねめつける。鼻先に狐色の輝きを突きつけられて、気持ちがぐらりと揺れた。
必死にこらえて、声を出す。
「うそだ。」
「ほ・ん・と」
「ほ・ん・と」
こ、こいつら。
思わず歯軋り。
なぜ、そんなに楽しそうなんだ。
なぜ、そんなに目じりが下がっているんだ。
なぜ、そんなに息がぴったりなんだ。
図っている証拠だろうが・・・。
「もどってから、食べる。」
誘惑を断ち切るように食卓を立つと、二人が同時に重々しく首を横に振った。
「それは、ならぬ。」
「冷めてからいただいたのでは、『俺の屍を越えていけ』とばかりに、死んでいったミスター・チキンに失礼だ。わかってんのか?」
は、春日・・・。
確かに、こいつはミスターだろうとも。だが、冷えてもミスター・チキンはおこらないと思うよ。
「そうだ。雨の日も風の日もわが身も省みず、立っておられる白いスーツのご老人にも失礼だ。」
額に眉を寄せ、腕組みした大童子が相槌を打った。
いや、やつは寒さも風も感じませんから。
偽者ですから!もうとっくに死んだおじいちゃんですから!
二人は同時に手にしたフライドチキンを見下ろした。
「そこまで、いうなら仕方がない。我らがいただこう!」
「遠慮なく、いただきます!」
結局そうかい。
もう、我慢も限界だ。というか、何の我慢をしているんだ私は。
「おい。」
唇が油でよごれた二人がわずかに顔を上げた。
「そこに直れ。今日が健康診断の絶食日と知っての無礼だな。目にもの見せてやる。」
薙刀、とってこなくっちゃ。
うふ。
いってきますと声をかけて、庭に回ると良い香りがした。
梅の木に薄桃色の花がちらほらついている。
「あ、梅」
見送りについて出てきた春日がすぐ後ろに立っている気配がして、振り返る。
はっとした。
真剣なまなざしが黒い幹、ふくよかに膨らんだつぼみを見上げていた。
「春日?」
あわてたように目をしばたたかせて春日が目をこする。
「おっかしいな。ゴミがわんさか入ってるわね。木枯らしのばかやろう。」
(2)
「おーい、たまちゃん。」
健康診断を終えて構内を歩いていると、見知った顔を見つけた。皓の兄、従兄弟の武だ。
来年から、同じ大学の三回生になる。
一族のなかでは、弟の皓がクールで切れ者、この武はさわやか腹黒だと通っている。
祖母も、武は優しいのに、時々さわやかにグサッと言葉を指してくることがあるのよねと言うほどだ。
「武兄、講義は?」
「今日は、これから。4時からの講演だけ、聴けばいいからね。」
ふーん。そうなんだ。大学生っていいなあ。
「ところで、春日・大童子は元気にしてる?」
「無駄なぐらい元気。」
「皓の話を聞く限りだと、随分たのしそうだね。いいなあ。」
皓、いったいどんな話をしたんだ。
というか、あれの一体何がたのしそうに見えたのだろう。
読めない、皓。お前の気持ちが分からないぞ。
「あ、ところで、たまちゃんちって、一軒家だよね。」
「そうだけど。」
じゃあ、と言って武が持っていた鞄の蓋をあけた。
それを見て私は目をむいた。
「た、武兄。なんて奴をなんてところに、入れてんの!」
「いやー。うちじゃ、こんな大きな物、バランス悪くてかえなくて。たまちゃんとこだと、あんな化け物に万年童女がいるから、ちょうどいいかなと思って。」
白、毛むくじゃら、つぶらな目、千切れんばかりに降られる尻尾。
「・・・野良犬ひろったら、おばあちゃんに怒られて飼えなかったって、素直に言えばいいと思うよ、武兄。」
どう見ても、犬だ。子犬以外の何者でもない。
「まあ、そういうことだから、かってもらえない?」
ため息。もうよくわかんないのが家に二体いるんだ。この一匹のほうがよほどまともで、私の心を癒してくれるかもしれない。
「いいよ。」
「よかった、名前はもう分かってるんだ。」
しゃがんで頭を撫でてやると、うれしそうに鳴いて、顔を摺り寄せてくる。
手を出すとお手もする。
肉球、ふにふに。
なんておりこうなんだ。
「なんて名前?」
従兄弟の声が頭上からふる。私は、今聞いた言葉を聴き違いだと思って、顔を上げ目顔で聞き返す。
?もう一度。
「いや、だから。」
あせったような従兄弟の顔。すまないね。さっき、聴力正常だったんだけど。
?もう一度。
はい?
「白沢さん?」
呼ばれて、犬は余計に尻尾だけが違う生き物では?と疑うほど尾を振りまくる。
「・・・って、だれ。」
にっこりわらって従兄弟が犬を指し示した。
「白沢さん。」
「と、いうわけで、犬を飼うことになりました。」
春日が歓声をあげながら、手を出す。
犬は幸せそうにその手を舐めた。
「くすぐったいわね。」
はしゃぐ春日。
「ミスター・チキン。食うかなあ?」
いや、大童子。それは私の分でしょ。
「で、名前をつけようと思う!はい!何か候補は?」
二人は、腕を組んでその小さな可愛らしい毛ダルマを見下ろした。
小さな瞳が期待に濡れている。
「そうさな・・・。可愛い名前がいいな、エリザペッタ・ジョセフィーヌ・マリー・・・」
「そんな、甘ったるい名前は駄目ね。長生きするようないい名前が、いいわね。じゅげむじゅげむ五号とか、」
呼びにくいわ。つか、恥ずかしくて呼べんわ。
「いやー。スリジャヤワルダナプラコッテ。」
首都かよ。
「ウマタファカタンギハンガコアウアウオタマテアトゥリプカカピキマウンガホロヌクポカイフェヌアキタナタフ。」
山かよ。
「・・・おい、どうでもいいと思ってるだろ。」
口を尖らせて、大童子が反論。
「自分が思いつかないからって、人に責任を擦り付けるのは、感心しないぜ。」
「・・・っ馬鹿。名前ぐらいは、考えてるよ。先にみんなの意見を聞こうかなーと思って。」
きゃっきゃと春日が笑う。
「言ってみて、言ってみて。」
ええと、少し照れくさい。
「花ちゃん。とか」
二人が一瞬、真顔になった。続いて爆笑。
「し、失敬だな!」
子犬の首根っこをつまみあげて、春日が『それ』を見せる。
「たまちゃん。これ、オスだわね。」
ぎゃあああああああ!
春日、女の子がなんてことを!
「じゃあ、なんて名前つけるんだよ。」
真っ赤になった顔を見られたくなくて、投げやりに言う。
二人は、再び犬を見て、それから迷わず同時に言った。
「白沢さん。」
「白沢さん。」
っ!
だから、白沢ってだれだよ。
なんだよ、白沢!
ずっと帰り道、もんもんと問い続けた疑問を口に仕掛けたとき、頭上から声が降った。
「お楽しみのところ、失礼するよ。」
蔵の屋根の上に男がいる。その高さをものともせず、すくっとたっている。
白い淵飾りのついた黒い陣羽織、はかまを脛宛で絞っているのは大童子と似ている。
黒ずくめの衣装にぴったりの眼光鋭い精悍な顔立ち。
弥七か?お庭番か?それとも新手の変質者か?
「よう、久しぶりだなあ。でかいの。」
見上げた大童子。
「たしか・・・おめえは。」
相手が大童子の言葉を待っている。にやりと大童子がわらった。
こ、こいつ絶対、知ってるくせにくだらないこと言う。
「だれだっけ?俺の係累にこんな柄の悪い奴はいなかったと思うけどな。」
「俺の顔を見忘れたとは言わせねえ。俺とお前は、かつては志を一つにしたこともあった。しまいにゃ、敵同士。」
「さあて、どうだったかね?人間に興味ないみたいで、すぐに忘れるんだよねぇ。」
「じゃあ、名乗ってやらあ。そのボケ耳かっぽじいてよく聞きやがれ。俺は、阿国衆・筆頭、神門忠盛だ。」
隣の春日に小声で尋ねる。
「阿国衆ってなに?」
「出雲の阿国のおっかけのことだわね。」
さらりと答える春日に、神門がつばをとばして非難の声をあげる。
「こら、万年童女!かってに創作するな!俺たちは化生悪鬼調伏のプロ集団だ!」
「けっ。気にくわねぇ男だ。」
は、春日ちゃん?
大童子がへらへら笑いながら近づき、眉間に皴を寄せて相手の顔をねめつける。
「ほう。で?その阿国衆の筆頭が、白昼堂々、銃刀法違反してまで何の用だ?」
「化生に、銃刀法もなにもねえ。おめえだって、腰に挿してるのはなんだ?野球の道具でもあるめえ?でかいの。」
神門がにやりと笑った。いかにも、早く刀を抜きたくてしょうがないといった感じ。
壊れてる。
こいつ壊れているよ。
「このあたりにヒト斬りがうろついているという報せがあってな。どこかのヒト斬りじゃねえかと探しにきたんだ。まさか、おめえじゃあるまいな。」
「おいおい、そりゃあ、とんだ濡れ衣だぜ。」
わざとらしく両手を広げて、大童子が言う。
「俺は、ここのところミスター・チキンとまったりすごしてたから、ヒトなんぞ斬ってねえよ。おい、犬野郎。おまえ、鼻が鈍ったんじゃねえ?もうろくしたの?善良な市民と悪鬼との区別もつかなくなったってわけ?」
「うっせえ。どんな面して、舞い戻ってきたのか見にきてみたら、少しもかわらねえ分厚い面の皮だ。針の心臓だな。」
大童子が、ひょいと土を蹴って蔵の屋根に上がって、神門の視線を正面から受ける。
「ほう。敵陣偵察のつもりか。おりゃあ、てっきり、懐かしさあまって、俺に祟り殺されにきたのかと思ったぜ。」
にやりと唇の端をあげて大童子が言うと、神門の形のよい外上がりの眉がピクリと動いた。
「・・・綺麗さっぱり、跡形もなく祓い清められてえのか、てめえは。」
「聞こえなかったかね。てめえに清められるくれえなら、」
ふざけた顔つきでにやりと笑う。
だめだ、大童子。完全に挑発している。
「こっちが、てめえを三途の川の川端まで案内してやるよ。」
闖入者はにやりと笑った。
「・・・上等だ。」
「あ、あの。春日ちゃん。と、とめなくていいの?」
春日は、掌をひらひらさせた。
「あれは、じゃれとるだけだがね。」
ああ、そうか。
そうだよね、知り合いみたいだったし。
がん飛ばしあってたのが、少し離れたし。
って、間合いじゃん。
神門と名乗ったあの男、刀抜いたよ!
あれ、真剣!真剣だよ。
「じゃれてる?はあっ?どこがっ?」
「ありゃ、仲良く喧嘩してないトムとジェリー。若干、険悪なルパンと銭形。サルと犬だわね。」
トムとジェリーが仲良くけんかしてなかったら、普通に敵同士じゃん。
サルと犬って、相性最悪だろっ。
「何、さまよってやがる。おとなしく、あの世に行きやがれ!」
「お断りだ!」
振り下ろされる刀を、大童子が鞘ごと抜いた刀身で受け止める。
「やり残したことがあんだよ。死んでも死にきれねえんだよ。」
神門が鋭い突きを繰り出すが、それを大童子がひらりひらりと器用に交わす。大童子の鞘が空を切ってうなる。身を翻し、突きを避けた神門が袈裟懸けに刀を振り下ろす。大童子がそれを鞘で受ける。
力と力のせめぎあいの中、神門の獰猛さをひそめたまなざしと、どこか楽しげな大童子の瞳がぶつかり合う。
「抜け。どうした、刀抜かんかい。本気で、調伏すんぞ、こら!」
神門の低い声。
神門の刀を押し返し、半歩飛び退った大童子があざけりの声を上げる。
「へっ。お前にはこれで十分だ。みね打ちでももったいねえや。」
「ちょろちょろ、ちょろちょろ、相変わらずすばしこい野郎だぜ。」
舌打ちをした神門が刀を握りなおして、雄たけびを上げて、大童子に斬りかかって行く。
あの、見間違い出なければ、普通に殺しあってません?
再び、声をかけようと春日を見ると、今度は春日がうつむいて、垂れ下がった前髪の下、くつくつと笑っている。
は、は、は、春日ちゃん。
おねえさん、いままでで一番、春日ちゃんのことが、怖いわ。
前髪の下、何かふたーつ鋭く光るもんが見えるんですけど。
それ、なーに?
矢庭立ち上がった春日が、あらぬ方角から飛んできた光るものをつかむ。
開いて見せたその掌に二本の小柄が握りこまれていた。
再びそれを握り締めると、信じられないような音がして、鉄製の小柄が棒切れのように砕け散った。
いやあああああ!
「あぶねえな、ふざけた真似しやがって、餓鬼。出てこい!」
「お見事ってほめてあげた方が、いいかな。こういう場合。」
神門とお揃いの服装をしたとても冷めた目、無表情の少年が、庭に器用に着地する。
「おう、餓鬼。しばらくみねえ間に随分とでかい口、聞くようになったな。」
「しばらく見なくても、ぜんぜん変わってないね。進歩なしってことかな。」
「・・・大泣きさせて、恥かかせてやろうか。クソ餓鬼。」
「意宇九郎って名前があるんだよ。思い出せてあげようか?」
仁王立ちの春日に向かって、十手が飛んでくる。それを器用によけた春日が、両手を突き出すと、そこから光のたまがねじるような尾を引いて九郎の方に飛ぶ。九郎はそれをすばやく引き寄せた十手で跳ね返す。
庭石が一つ粉砕。
ぎゃああああああ!
「何、しやがんだ!万年童女!」
「からかいに来て、飛び道具投げる奴があるかね。その品のない呼び方はやめんか。」
叫び声もでない私を無視。
二組は争いをやめない。
大童子は激しく切り結んでいるし、春日は武器マニアと熾烈な戦闘を繰り広げている。
これは、悪夢だ。
だ、だれか。なんとかして。
と、傍らでうずくまっていた子犬がすくっと立ち止まった。
てけてけと、激しい争いの中に入っていく。
こ、こら、危ないんだから。ポチ。花!ジョセフィーヌ。
そうだ、名前がまだついていないんだった。
犬は、ぴたりと止まり、こんどはすうと息を吸い込んだ。
みるみるうちに子犬の体が膨らみ、巨大化する。
あ、あの皆さん。戦ってる場合じゃないよ。
子犬だったそれが、牛ほどになったとき、もはやそれは犬とは呼べなかった。
ライオンのような毛に覆われた体にあごひげが生えた精悍な美しい獣の顔。額に二本、胴に4本、角が生えている。それが、ぎろりと一同を見回した。ちなみに目は顔に三つ。体もいくつか。その目がきょときょととうごいて同時に一同をにらんだ。
『おい!』
突然投げかけられた、信じられないほどのだみ声に、全員が動きを止める。
『おい、何やっとる。』
凍った顔つきの神門忠盛が、斬り結んでいる相手、大童子をねめつける。
「おい、でかいの。あれは、まさか。」
「ああ、あれは、うちの白沢さんだ。」
言いながら、大童子が相手の白刃を押し返して、今日はしまいとばかりに鞘ごとぬいた刀を腰にもどした。
「聖獣・白沢・・・。」
春日と睨み合っていた意宇九郎が、手を離してつぶやく。
白沢さんはすべての目をすっと眇めて、神門を見上げた。
『阿国衆、お前らの役目は、神さんのお膝元を平らかにすること。こんなところで油売ってちゃいいのかい?さっきから、ちっとばかし血生ぐせえ風が吹いてるようだが、かまわねえのか?追ってる野郎が動きだしてるかもしれねえよ。』
笛の音が当たりに響きわたる。暗くなっている東の空にしゅるしゅると煙の柱が立った。
「筆頭!烽です。」
九郎が、先ほどとは違う気迫をともなって神門を振り返る。
「先に行きます。」
目顔で神門が頷くと、九郎の足が地面を蹴った。空高く跳躍する。
「またな、万年童女!」
「二度と来るな!!」
拳を上げて、春日が叫ぶ。その声に、九郎がちらりと笑って、闇にとけた。
「おい、お前は行かなくていいのか?」
大童子が、へらへらと笑いながら言うと、神門は唇を引き締めた。
「てめえ、相変わらず、強いな。」
「どうも。」
たいしてありがたくもなさそうに大童子が肩をすくめた。
「領袖はお前が気に入ってる」
「俺は忙しいんでね。戻りはしねえ。」
「当たり前だ、お前を戻らせはしねえ。」
そう、鼻でせせら笑うように言った神門が大童子の腰のものに目を留めた。
「その封印、あの女がやったのか。」
問われた大童子が自分の刀を見直した。
再び顔を上げたその唇には、意味ありげな微笑み。
「そうだ。」
よく見ると、刀が鍔のところで戒めがある。
「俺は自分が本当に斬りたいものだけ斬る。」
「ぬかねえ理由はそれか。」
神門は背中を向けて笑った。
こちらに半分しか見えないその表情はどこか寂しげ。
「あの女の姿がみえねえ。」
大童子は答えない。その表情も夕闇に沈み、こちらからはうかがい知れない。
「千秋。てめえ、やっぱり護れなかったんだな。」
ぽつりと低い声が言った。
暗がりからやってきた風がほのかな春の華やぎを奪って、西の淡い空へと消えていく。
てんで違う方向を見ている二人の男。
その間に落ちる深い沈黙。
「てんめぇ!大ちゃんはなあ・・・!」
春日が、いたたまれない様子で、歯軋せんばかりに何か言いかけた。
私は、腕をつかんでそれを制する。
大童子が、深く心を痛めているのが分かったから。
「うせろ。はやく行きやがれ。」
神門に背を向けて、大童子がこちらに向き直った。
「行くよ。邪魔したな。」
ともかく、てめえがあいかわらずで安心したよ。
そう笑って、黒ずくめの姿が闇に溶けたその瞬間、大童子が再び、鞘ごと刀を腰から抜いた。
神門の居た辺りを、漆の鞘の身が風を切って分かつ。
肩が、大きくあえぎに揺れていた。
夕食の時間になって、離れから母屋に移動。
その廊下でぼんやりと外を見ている皓を見つけた。
「今日は、きっとカツカレーだぜ。皓。」
そう言ったのに答えず、皓は遠くの空を見ている。
「武兄。今日は西の家が騒がしいね。」
「黄帝東巡 白沢一見 避怪徐害 靡所不遍 模捫窩賛。」
くつくつと喉で笑うと、皓も少し笑った。
「白沢さんがいるから大丈夫ってことか。聡子おばも、一体どこからあんなのをひろってきたんだろうね。」
横にならんで、同じ空を眺める。
「お前、可愛がってたからな。少し、惜しいと思ってるんだろ。」
「まさか、うちの家には大きすぎるよ、あんなの。ぼくら二人で支えても、持ちこたえられっこないよ。それに、」
母親が帰ってきた父親に、今日はカツカレー!と宣言しているのが、小さく聞こえた。
「聡子おば、たまちゃんが移ってきたら返すように、預けてくれたんだもん。」
「そうだな。」
西の空の焼け付くような色合いはもう、穏やかに。
東の空がもうどっぷりとやみ色に染まっている。
「すんだね。」
皓が、離れて母屋に向かう。
武は離れる瞬間、甘い香りをかいだような気がした。庭のつぼみが緩んでいる。
「梅の花か・・・。」
目を閉じる。
あの人は、今、どうしているのだろう。
(4)
寒い。
夜、トイレに起きる。
寒い、寒い。
古い和風建築は水回りが寒い。
トイレを済ませたいという気持ちが止まりそう。
いや、何よりも息の根が止まりそうだ。
縁側のガラス戸の前を通りすぎるとき、庭に大童子が下りているのが見えた。
大童子は手を伸ばした。
何か一言二言、桃色の花をつけた木に語りかけて、そして、そっと幹に触れた。
花がひとひら、答えるようにはらりと落ちた。
それは、きれいな光景だった。
大童子は、
いま、きっと聡子おばを思っている。
おばちゃん。
花を剪定ばさみで切っていたおばが振り返った。
梅の木があるよ。どうして?梅干を作るの?
一緒にならんで木を見上げる。
あのね、昔は、女の子が生まれたら桐を植えたもんなんだけど、いまじゃ、桐のたんすってつくらないでしょ。
だから、うちはどうせならって私が生まれたときに梅の木を植えたのよ。
桜とか、薔薇の方がいいのに。
おばちゃんは、梅の花が好き。冬が終わって最初に咲く花だもの。
ふーん。これは、おばちゃんの木なの。
そうよ。
咲くの?
まだ、ちょっとしか咲かないし、ちっちゃいけどね。
梅干は?
もう、たまちゃんたら、そればっか。
だって、梅干好きなんだもん。
残念、梅の実はつかないよ。
ふーん。
ねえ、たまちゃん
ん?なあに?
もし、おばちゃん、居なくなっても、この梅の木が咲いたら、叔母ちゃん思い出してね。
おばちゃん、居なくなるの?
哀しそうにおばは目を伏せた。
・・・大丈夫、居なくなったりしないよ。
おばちゃんの、うそつき。
ササガネです。昨日、世界不思議発見で山陰の小さな市の博物館が出ていてびっくりしました。数日前に行ったばかりだったので。この話も山陰の小さな市を本拠地にしてるんですが、やっぱり見知った風景を書くのはでっち上げるのより楽です。見たままですからね。今後はじもてぃネタが増やして行こう。観光地なので、いらした際にも楽しめるようにね!
次話「六文銭」ゲストは越後屋さんです。大ちゃんも斬ります。(斬らせます、というか斬れ!)決め台詞も出す予定。あ、この場を借りて。小説に投票してくださってありがとうございました。