本当に望んだもの
「……卑怯だよ。そんなの」
「お前だって、卑怯だっただろ」
遠くの炎が、強くはためく。
「分かったから!」
銀色の炎に触れる前に、クラウスが一歩踏み出した。
「じゃあ、始めよう」
「……うん」
クラウスが剣を抜いたのに合わせて、私も柄を握る。
本当は嫌だった。
絶対に嫌だった。
でも、クラウスが剣の道を捨てるくらいなら、私が失望された方が良い。
二人とも高みに行けないより、クラウスだけが行ってくれた方が良い。
私が後ろから、ただ眺めている方が良い。
クラウスが振った剣を、受け流す。
私は、まだ『二強』だ。
少なくとも、クラウスがそう思ってくれる余地がまだ残っている。
剣を突き出す。
絶対に、当たるわけないのに。
始まる前は嫌だった勝負を、今は一秒でも長く続けていたい。
この勝負が終わるまで、私は『二強』でいられる。
クラウスの唯一のライバルでいられる。
飛び引いたクラウスが、もう一度向かってくる。
駄目だ。
脚も、眼も、腕も、絶対に追いつけない。
クラウスの剣に追いつこうとした私の剣を、彼の剣が反対側から追いすがって弾いた。
追いつくどころか、見ることすら出来なかった。
私の眼には、まるで瞬間移動したみたいに映った。
分かるよ、クラウス。
その身のこなしは、本気なんだね。
本気で私を、引き止めてくれたんだね。
ごめんね、一緒に行けなくて。
私が男だったら、もっと一緒に強くなれたのかな。
宙を舞った私の剣が、銀色の炎がくすぶる地面に突き刺さる。
「……これで分かったでしょ」
「なにが?」
「私は『二強』なんかじゃない」
「なに言ってんだ。俺とお前以外で、こんな強い剣士がいるわけねえだろ」
「クラウスの『一強』だよ。私はもう、ライバルになれない」
「今日は多分、調子が悪かったんだろ」
「違う。もっとずっと昔から、勝負にすらなってなかった」
「二年前、最後に手合わせした時は、俺の負けだっただろ」
「あれは、クラウスが手加減してたからでしょ」
「手加減なんてしてない」
「……気休めは、やめてよ。本当は、クラウスだって気がついていたんでしょ? 私たちの実力が、とても開いていることに」
「気休めなんて……泣くなよ」
我慢していたのに、駄目だった。
泣かないと決めていたのに、無理だった。
一度流れ出した涙は、とめどなく頬を落ちていく。
「私だって強くなりたかった。おいて行かれたくなかった。だから寝る間も惜しんで努力したけど、追いつけなかった」
「……俺たちってさ、案外、似た者同士だよな」
「似てないよ全然。クラウスには、私が持ってない才能があるんだから」
「お前さ、俺がお前に追いつくために、どんだけ努力してきたか知らないだろ?」
「追いつく? 逆だよ」
私はいつだって、クラウスの背中を追いかけていた。
昔と今で違うのは、もう追いつけなくなったことだけだ。
「お前は、お前が思ってる以上に、すごい奴なんだよ。俺はいつだって、お前の背中を追いかけてたんだから」
「違うよ。それに、もしそうだったとしても……今はもう違うじゃない」
「……俺はお前に、見限られたんだと思ってた」
「……見限られた?」
「最後に手合わせした時、俺が弱すぎたから見限られて、手合わせしてくれなくなったんだと思ってた」
「違う。今日みたいな結果になって、クラウスに失望されるのが怖かった。クラウスが手加減してくれなかったら、こうなるのが分かってたから」
「なんだよ。だったら、ここ二年の俺の努力って……まあいいや。本当に、手加減はしてない」
「……嘘は、もうやめてよ」
「嘘じゃない。……お前に、見惚れてたんだ」
「……見惚れてた?」
「ああ。お前が急に、綺麗になったから」
少しだけ嬉しいのが悔しい。
「……やめてよ。いまさら女扱いでごまかすなんて……もっとみじめになるだけなんだから」
「ごまかしじゃない。俺はお前に惚れてるんだ」
「……惚れてる? 誰に?」
「だから、お前に」
「……なんで?」
「なんでって……理由なんて分かんねえけど、昔から惚れてんだよ」
「違うよ。だって……」
これは、私の片思いなんだから。
「なんで俺の気持ちまで、お前に否定されなきゃなんねえんだよ」
「だって、なにかの間違いだと思うから」
「間違いじゃないって。頑固なやつだな。……惚れた相手以外のために、二度と走れない呪いを受けようとする奴なんているか?」
「……いないと思う」
「だろ?」
「駄目だよクラウス、良くないよ。もっとちゃんと考えないと」
「ああ、もう! 分からんやつだな。俺は良かったんだよ。お前と一緒に、剣術の先生やるのも悪くないと思った」
「……私は別に、先生になりたいわけじゃないよ」
「はあ!? 俺、呪われ損になるとこだったじゃねえか! あっぶね」
「だから、もっとよく考えないと」
「……なら、お前はどうしたかったんだよ?」
「私は――」
クラウスと一緒に、強くなりたかった。
『誰も見たことのない高み』に、一緒に行きたかった。
でも、それが無理になった今――
「どうしたかったんだろう?」
「俺はさ、お前と強くなりたかった」
「うん、私もそう」
「それで一緒に『誰も見たことのない高み』に行きたかった」
「うん。私も」
「でも、お前がこれ以上、剣で強くならないって言うなら、俺も別に良いや。もう十分強いし」
「強くなるのをやめて、クラウスは、どうしたいの?」
「お前と一緒にいたい。俺が強くなりたいと思ったのは、お前と一緒にいられるからだ」
「私もそうだよ」
どうしてそれを、忘れていたんだろう。
一番大切なことだったのに。
「なら、とりあえず先生になるのは、まだやめとけよ」
「うん、そうする」
よく考えていなかったのは、私の方だった。
一緒にいたかったはずなのに、クラウスから離れようとしていた。
「じゃあ、一緒に魔法でも始めるか?」
「うーん、魔法は小さい頃から始めないと、難しいみたいだよ」
「そっか。まあ剣と魔法だけが強くなる方法でもないしな。『誰も見たことのない高み』も、探せばいくらでもあるだろ」
ようやく分かった。
私は『世界の二強』じゃなくて、『彼の一強』になりたかったんだ。
「うん、そうだね」
「……でさ、さっきの返事まだちゃんと聞いてないんだが」
「さっきの返事って?」
「告白の返事だ」
「私だって、ちゃんと告白されてないよ」
「……好きだ」
「誰が、誰を?」
「俺が、お前を」
「それがちゃんとした告白?」
「……俺は、お前が好きだ」
「ふふ、ありがと」
「……で、答えは?」
「うーん、どうしよっかな」
「はあ!? ここまで言わせといて卑怯だぞ!」
背を向けた私の手を、クラウスの大きな手が包む。
私の手は、クラウスより小さい。
私の身体も、クラウスより小さい。
でも良いんだ。
彼が包んでくれると、幸せだから。
最後までお読みいただきありがとうざいます。