さぁお菓子を作ろう
これは、村の子供たちが集まるパーティに持っていくお菓子を、何にするか決めるまでに起こった話です。
その日僕は、学校の宿題や部屋の掃除、衣類の洗濯、といったやらなければいけないことを終えてからテーブルの上にレシピを考えるためのノートを広げていました。僕は村の学校に通う学生で、お菓子職人を目指すために町に出る、といったことは考えていません。ただ作ることは好き、というくらいです。時間の空いたときに自分で作り、自分で食べる、そして自分の好きなように感想を述べる。僕のお菓子との付き合いはそのくらいのものでした。
しかし、ある日、そのパーティを開いている人が「もしよかったら何か作ってきてくれないかな?」と、僕の家を尋ねてきたことが事の始まりでした。最初は気が重く、乗り気ではありませんでした。もし、子供たちからおいしくないと言われたら気が沈んでしまうでしょう。もうお菓子を作るのを止めてしまうかもしれません。でも、その人から「そんなに深く考えなくていいよ。君の家からいつもいいにおいがするから、頼んでみたんだ」そう言われて僕は依頼を受ける(依頼といっても大層なものではありませんが)ことにしました。
初めてパーティに持っていったのはイチゴのショートケーキでした。イチゴが取れる時期だったので、ありきたりなのかもしれませんがそれにしました。切り分けてお皿に乗せるとき、子供たちは目を輝かせていました。そのことが余計に僕を緊張させました。期待を裏切りたくありませんでした。でも、それは杞憂に終わりました。みんな「おいしい、おいしい」と笑ってくれました。それでようやく僕は安心し、自信を持つことができました。
それから、度々色々なお菓子を作って持っていくようになりました。クッキー、モンブラン、タルト、シュークリーム。どれも子供たちは喜んでくれました。
けれど、今、僕は悩んでいます。次に持っていくお菓子が決まりません。時期的にはりんごを使った何かにしたいと思っているのですが、まだ村の市場にりんごが届いていないのです。どうやら先日降った雨で道がぐちゃぐちゃになり配達するのが困難になっているようでした。
これまでに持ってきたお菓子と似通ってしまうけれど別のものにしようか迷っていると、部屋の隅のほうでがさっ、がさっという物音がしました。僕は身を強張らせました。物音をたてないように慎重に立ち上がり、棚に立てかけてある箒を手に取りました。いつ何が出てきてもいいように身を構えてそっと近づきました。積み上げられている小箱をどかそうと手を伸ばしたら、小さいものがぬっと出てきました。僕は思わず後ずさりしました。それから箒を強く握り締め、少しづつ前屈みになり、それが何かを確かめるために目を凝らしました。やはりというかそれはネズミでした。白みがかった黒い毛並みに薄赤い色をした鼻、ピンと張った耳。ところが、そのネズミはとても変わっていました。僕と目が合うと両前足を挙げて立ち上がり、しきりに首を左右に振り出しました。それから「待ってくれ。俺は食べ物を漁りに来たんじゃない」と喋り出しました。
僕はひどく混乱しました。喋るネズミなんて聞いたことがありません。いるとしてもそれはどこかの町に伝わる伝記や誰かが紡ぎあげた童話に出てくる架空の存在、としてくらいのものです。僕が呆然と立ち尽くしていると、また何か言い出しました「頼む、聞いてくれ」
必死になって懇願するその様相から、僕は喋るネズミを目の前にするという現実を受け入れることにしました。
「……え、えっと何を聞いたらいいんでしょうか?」
「話を聞いてくれてありがとう。俺は見ての通りネズミだ。名前なんて大層なものはないから君の好きなように呼んでくれればいい」
僕はこのネズミをなんと言っていいのか分かりません。だから話を進めることにしました。「それで、僕に何の用ですか?」
「単刀直入に言うと、眼鏡が欲しいんだ」
メガネ? 『ネズミ』とかけ離れた言葉が出てきたことに僕はぼうっとしてしまいました。その様子に気づいたのかネズミは続けました。
「おかしいのはわかっている。けれども俺は眼鏡が必要なんだ。目を悪くしてしまって遠くのものがよく見えなくなってしまったんだ。これじゃあ餌が取れなくなって困ってしまう。だからお願いだ」ネズミは前足を床について頭を下げました。
僕は悩みました。まずネズミ用の眼鏡なんてあるわけがありません。あったとしても目が良くなって食べ物が齧られてしまうのはよくありません。
「大丈夫。君は食べ物の心配をしているようだが、俺は人の食べ物を取らない主義なんだ。あくまでも自然に生っている物を選んでいるんだ。人の家に忍び込んで荒らすような他の連中と一緒にしないで欲しい」
胸を張って誇らしそうにしているネズミの姿に僕はあきらめました。きっと彼(多分)は人の食べ物を盗んで不幸な目に遭わせたりはしない、義理と人情に厚いネズミなんだ。そう考えることにして眼鏡を探すことにしました。でも普通の眼鏡ではネズミの彼には大きすぎます。とすると、何かで代用するしかありません。僕は動植物の観察用に使うレンズのついた道具(専門用語でルーペといいます)を用具箱から取り出しました。
「これをのぞいて見てください」
ネズミの彼は手に取ったレンズを恐る恐るといった様子で覗き込みましたが、すぐに「おお、良く見えるぞ」感嘆の声を上げました。
僕はレンズを外し、針金を持ってきて彼が付けられるように枠を作りました。耳に引っ掛けられるように伸ばしたり、曲げたりしてようやく眼鏡らしいものが完成しました。その間ネズミの彼はテーブルの上によじ登って作業している僕の様子をじっと見ていました。ずいぶん時間が経ったようで、外はしんと静まり返っていました。誰も彼もがその日の役割を終えて寝静まっていました。起きてこんなことをしているのは僕たちだけのようでした。
「ありがとう」ネズミの彼は眼鏡の位置を動かしました。「いい具合だ」
「もしよかったら、何か飲んでいきますか?」僕は喉が渇いていました。
「うむ、いただくよ」
僕は紅茶を淹れるため薬缶を沸かしました。葉っぱを濾す道具に入れ、沸騰したお湯を注ぎ込みました。ネズミの彼のために平たいお皿に淹れようとしましたが、彼は食器棚の上によじ登り、薬草を入れるために使っていた小さな空きビンを指差して、これに淹れてくれないかと言いました。どうやら彼はそんじょそこらのネズミとは違うことに誇りを持っているようです。
「ありがとう」彼は飲み終わるとビンを丁寧に置きました。「これで安心して生活ができるよ」
「でも、人の家の食料に手を出さないでくださいね」
「君は心配性だなあ。そんなんじゃあ、いいことはやってこないぞ」
僕はドアを開けました。ひんやりとした空気が部屋の中に入ってきました。ネズミの彼はゆったりとした足取りで出て行きました。一度振り返って右目をパチッと瞑りました。これも彼の礼儀なのかもしれません。
彼が去ってからも何とかならないか考えていましたが、結局りんごは間に合わないようでした。なので、不本意ながらも有り合わせのお菓子にしようと決めました。またこのお菓子か、とがっかりする子供たちの姿をベッドの中で思い浮かべました。
ついにパーティの日が来ました。僕は準備のために朝早く起きました。気持ちを整えるために外の空気を吸おうとドアを開けると、目の前に小さくて丸いものが何個か置いてありました。まだ暗かったので屈んでよく見るとりんごのような果物でした。それを手に取ろうとするとその下に紙が敷いてあるのに気づきました。その紙の端には小さな四本の線のような模様が記されていました。とっさに彼の足の形を思い出しました。どうやら彼がやって来たようです。僕は嬉しかった反面、これは人のものではないか、という疑念に駆られました。
でも、このまま放っておいても仕方がないと思い、その『りんご』を食べてみることにしました。その瞬間、その心配は無くなりました。なぜなら村にいつもやって来るりんごの味と違っていたからです。誰も知らない秘密の場所で生育している木からもぎ取って、一個ずつせっせと運んでくる彼の姿を思い浮かべました。僕は、その少し硬くてちょっと酸っぱい味のする、不思議なりんごを使ってアップルパイを作り始めました。
ありがとうございました。