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廻天のアキラ  作者: 920
16/18

15話

1860年 旧暦1月3日 朝

登城のため上屋敷を出た大老井伊掃部頭(かもんのかみ)の駕籠を、武装した水戸・薩摩藩士が

襲撃、掃部頭かもんのかみと警護8名を殺害した。襲撃者18名のうち討死・自死併せ6名、

後の出頭・捕縛による斬罪等を含めると16名が死亡。

残る2人の行方は、今も知れていない.


「助けられたのはウチの隊士だ。捨て置くわけにはいくまい」

 大宣ひろのぶが燭台を灯すと、うす明かりがあばら家の内壁を照らした。黒ずんだ敷板に

埃まみれの船道具が転がり、こぼれた屋根から、月の無い闇が差し込んでいる。

「捨て置きゃ良かったろう。余計な真似しやがって」

旭から引っ張り出した座布団を並べながら、高美たかよしが聞こえよがしに鼻息をつく。

 軍制の改革を試みた諸侯がまず突き当たった壁が、兵員の確保だった。

ろくに視界の効かない鉄の箱に詰め込まれる操縦手や、その足元を甲冑もけず

歩き回る供廻ともまわりに進んで手を挙げる家士はまれで、頭数を揃えるため百姓・町人から徴用した家々では、隊内の喧嘩や城下での狼藉騒ぎも頻発していた。

 こうした風評に誰より気を揉んだのは同じ械備の隊士達で、彼らにとって交わりの無い他国の機兵は、疑懼ぎくの対象でしかなかった。


ざすり、と表で砂を踏む音が響く。

「来たな」

耳聡みみざとく立ち上がった大宣ひろのぶが土間に降りると、高美たかよしは部屋の隅に目をやった。

綻びた網の上に胡坐をかいた光暉みつきは、支給品の旋銃エンフィールドを抱えたまま、戸口で揺れるむしろを見つめている。

「これはこれは、よう参られた」

やがて頓狂とんきょうに明るい声と連れ立つように、人影が戸口をくぐる。

「井伊家物頭、佐野監物(けんもつ)にござる」

かまちに立った男の顔を見て、部屋の空気がこわった。剃り上げた額から鼻筋を刀傷がえぐり、筋を断たれた右頬の肉がべろりと顎へ垂れ下がっている。

「わざわざのお招き恐悦なれど、ご覧通り我ら宴席に差し障るもの少なからぬ故、それがし一人、名代として容赦願いたい」

「滅相もない。急な申し出によく応じて下された。どうぞこちらへ」

笑顔の大宣ひろのぶに促されるまま、座布団に腰を下ろす監物けんもつを凝視するわけにもいかず、かといって仲間内で顔を見合すのも気が引けて、身の置き所のない沈黙が部屋に

立ち込める。

「いやはや」

静けさに耐えかねるように、向かいに座った春日はるあきが口を開いた。

「見れば見るほど、千軍せんぐんも只ならぬ風格。お勤めはみやこの方で」

「いえ」

よどみのない声とともに、不自然に開かれた右眼がじろりと動く。

「もとは江戸詰めでしたが、傷を負ってからは国許くにもとに戻りました」

ほう、と唸った春日が何ごとか応える前に、すかさず高美たかよしが口を挟む。

「しかし、先日の御手前には感服致した。我ら旭にはいささかの長ありと自惚れて

おりましたが、鼻をへし折られた思いです。御家中では何時いつから械備を…」

「五年前です」

「五年前となると、ちょうど」

言いかけた春日の喉に千間かずまのこぶしがあたる。

「ならば、浮鳴われらよりも早いくらいだ。やはり海防の関わりですか」

咳き込む同僚をよそに、高美たかよしは身を乗り出した。

「海防、というより戦支度というべきでしょうか」

「なるほど」

頷きながら高美は、手酌を受ける監物を見据える。

薩長の攘夷騒動に先立って械備を導入した家には、過激な攘夷論に先導されたものも多く、言葉の取捨を間違え夜道でなますにされた人間は枚挙にいとまがない。

「さすが勇武に聞こえた御家柄。相手はイギリスですか、それともフランス?」

「水戸です」

「…」

しん、と水を打ったような満座のなか、監物けんもつが静かに杯をあおる。

「戯れにござる」

唇の欠けた口の端が、裂けるように笑った。

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