10話
障子から差し込んだ陽光で、新庄春日は目を開けた。汲み水で顔を洗い、月代を剃り終える頃、「お早うございます」と襖のむこうから女の声がかかる。
「朝げの支度は出来ておりますので」
「ああ、すみません」
春日の返事に、障子の影は静かに頭を下げる。
椀に飯を装い、汁と漬物を並べたところで、奥部屋から朝の喧騒が響き始める。
「情けない! 家主のあとにのそのそ起きてくる居候がありますか」
「だから、俺はここの下男じゃあないし、そもそも今日は非番だろうが! 」
「そんなことを言っているから、いつまでも甲斐性が立たないんでしょう。
自分から供をする気概くらいみせたらどうなんですこのごくつぶし! 」
すっかり耳慣れた諍い合いを聞きながら、春日は豆腐に箸を入れた。
「くそ婆め。飯も喰わない内に放り出しやがって」
串の団子を食みながら、高美は忌々しげに唸った。
「だったら、少しは母上に気を遣え。いい加減静かに飯が食いたい」
運ばれてきた湯呑みを受け取る春日の横で、空になった皿を盆にのせた茶汲娘が
店の奥へと下がっていく。
「なぜあんなもんを忖度せねばならん。居候は自分も同じくせに」
高美は舌打ちをしながら、茶屋の向いにある邸宅に目を移した。
代々の家老筆頭を務める益坂の広大な筋塀を、おし包むような人垣が囲んでいる。
「あいつらいつまで張り付いてる気だ。邪魔でかなわん」
「噂はあっという間だからな。凶賊をねじ伏せた一番手柄を、一目見ようって
はらだろう」
「まともじゃないな。どいつもこいつも」
「……」
「…なんだよ」
「いや。別に…」
「よう、待たせたか」
黙りこんだ春日と入れ替わるように、店の裏手から声を響かせた大宣が
ずかずかと縁台のそばへ歩み寄る。
「いやあ、かなわんかなわん。読売が出てからずっとあの調子だ。もらうぞ」
「おい」
抗議を上げる高美の湯呑を呷りながら、大宣は小銭をばらばらと帳場へ置いた。
「場所を変えるぞ。人目が多すぎる」
エンフィールド2型後装式ライフル銃。 130センチ、3900グラム。
銃身後部、引き金のほぼ真上の位置にある装填口に弾をこめる。
床尾を肩に当て、撃鉄を戻し、照準をのぞく。
ずだん、と抜けるような音とともに硝煙が巻き上がると、光暉は金蓋を引いて
銃尾から薬莢を抜き取った。
「当たらんじゃないか」
射場をのぞむ縁側に座ったまま、月卿が口を開いた。
「空撃だからな」
微動だにしない案山子をみながら千間が答えると、月卿はじろりと隣に座る息子へ顔を向ける。
「そんなものが修練になるのか」
「なら、本物を持たせるか」
被さるような銃声が響いたあと、無言のまま煙管を取り出した父に、千間が灰入れの盆を押して寄こす。
「大宣の奴は、本気であれを入れるつもりなのか」
「つもりでしょう。頭数が足りないんだから」
灼けた木切れが火皿に落ち、半分刻みの莨が紅く燃え解ける。
ぶすぶすと燻り始めた煙管を揺らしながら、月卿はゆっくりと視線を戻した。
「…玉で暴れたのは防東の郷士だそうだ。本来ならいくらでもじっくり検たい
ところだろうが、時期が時期だ。手続きが済み次第、毛利方へ引き渡すらしい」
「それは何より。ついでに町方の間抜け共も付けてやればいい」
「連中だってへまはする。そうでないなら、お前らは今も檻の中だ。……来たな」
縁側から立ち上がった月卿は、ぞろぞろと廊下を渡って来る大宣たちに向かって
声を張る。
「蔵へ集まれ。陣触れだ」