表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
廻天のアキラ  作者: 920
10/18

9話

摂津国東成、大坂。

京へ続く淀川を見下ろす大阪城には天守がない。

幕府によって再建された天守が落雷で焼失して以来、これに代わる平屋造りの本丸御殿の前で駕籠かごを降りた横尾よこすえ月卿げっけいは、大きく伸びをした。

不養生のたたりか、齢のせいか、近頃は揺られるだけでも腰に堪えるようになっている。

 

壮麗な御殿の南、人いきれであふれる大広間には、酒の膳と裃姿の男達がずらりと並んでいた。

「よう」

金地の襖の前を通り抜け、決められた席まで進んだ月卿げっけいに左側から声がかかる。


尼崎松平4万5千石家老、服部大学(だいがく)

尼崎松平家は家康の親戚筋にあたる分家の一つで、浮鳴松平とは

中屋敷が向かい同士で当主の年も近く、家士の交流が不断にあった。


「江戸詰めは降ろされたのか」

皮肉交じりに尋ねた月卿に「ああ」と大学が応じた。

「いまや政局は京だからな。春からは械備かせぞなえの頭取だ」

「械備は言い過ぎだろう」

割り込むように、右隣の男が口を開いた。

あきらどころか、歩兵すらまともに揃ってない」


津山松平9万石家老、永見丹波(たんば)のかみ

越前松平の流れを組む津山家は、吉備一円(*1)唯一の親藩で、近国の浮鳴とは経済的な結びつきも強い。


「結構じゃないか。どこぞのように借入までして武備を揃えた挙げ句、茶番狂言に引っ張り出されたのでは割に合わん」

なあ、と乗り出すように覗き込む大学に、拾遺は無言のまま手酌を注いだ。

「茶番とは言い切れまい」

視線を前に向けたまま、丹波が言った。

「今度の再征はすこぶる評判が悪い。調停にかけ回った芸州は無論、薩摩に至っては異人から武器を買い漁っている」

「そりゃ何時ものことだろう」

「荷受先が下関、だとしたら? 」

 丹波の言に月卿がむせる。

薩摩の島津家は一昨年の征討令の折、芸州浅野家とともに和睦交渉のまとめ上げに努めたが、再征を巡って幕府と対立し、国許へ兵を引き揚げている。

「それは……島津公がそこまでやるのか」

うえにその気が無くとも、末端したまでそうとは限らん。あそこの下士も大概跳ね返りが多いが、腹の黒さは長人に比べるべくもない」

「腹が、いかがなされたかな? 」

いつの間にか、三人の背後に年嵩としかさの男が佇んでいる。

うぐいす染めの帷子かたびらに長袴を垂らし、烏帽子えぼしからのぞく髪には白いものが混ざっている。

慌てて居住いを正す男達をまあまあと制しながら、松平伯耆(ほうき)のかみ宗秀(むねひで)は笑った。


丹後宮津7万石の当主である老中松平宗秀は、総督徳川茂承と並び今次征討の

総責で、一部では勅令にかこつけ幕威回復を図る江戸城大溜(おおだまり)の別当(*2)とも

囁かれている。


「松平山城守が名代、横尾よこすえ月卿げっけい用江(もちただ)に御座ります」

おもてを下げる拾遺に「ほう」と宗秀むねひでが眼差しを緩めた。

「聞けば、御家中では近隣に先駆け械備を整えられたとか」

「はっ。 もっぱら借入では在りまするが」

陪臣の身上ではまず対面することの無いえも言えぬ威圧感に、月卿はようやく

相槌を打った。

「まったく殊勝な御心懸けだ。本来なら我ら閣老こそ、率先し範を示さねばならぬはずであるのに、国許の連中はどうにも頭が固すぎて」

「いえ、公儀の重職を預かる上では、配慮なさるべきことも多くござりましょうし…」

「配慮すべきは戦のそなえです」

張り上げた声に、部屋中の視線が宗秀に向く。

「公家の在り方、武家の在り方、あらゆる在り方が変わりつつある今、皇国は開闢かいびゃく以来の急革、まさに廻天の只中にある」

膳と膳の間から中央を通り、部屋を縦断するように上座へ歩みを進めた後、床に描かれた金雲を束ねる松の壁画を背に、宗秀は満座を振り返った。

「この期に及んで、家門・譜代の別なく一致結束し事に当たらぬことには、日の本は清国の二ノ舞いを舞いかねぬ。この場は細やかな心ばかりの席では御座るが、

互いに腹蔵あらば遠慮なく申し語らい、親睦の軒端のきばとして頂きたい」

 静まり返った座敷を見渡しつつ、手にした盃をかざし上げる宗秀に

卒爾そつじながら」と奥席から若い男が腰をあげた。

松重まつがさねの裃の肩に、丸に違い鷹羽を重ねた「浅野鷹」の羽紋。

「浅野安芸守名代、植田与右衛門(よえもん)に御座る」

宗秀が口を開くより先に、若者が名乗った。

「毛利家の処分については、一連の騒乱を導いた家老三名の斬首をもって決し、

既に解兵の旨まで通達されたはず。それがいかにして今度こたびの再征と相成ったか

その内儀の運び、是非お聞かせ願いたい」

「いや植田殿。それはいささか誤解がござる」

刺すように見据える与右衛門よえもんに、宗秀は笑みを返した。

「そもそも今度の進発は、口さがぬ者どもの言う様な殺伐を目するものではなく、あくまで先の和議の詰めとして大膳たいぜん殿(*3)に江戸へおいで頂き、公方さまと対面をもって」

「聞くところによれば、防長36万うち10万石の削封および、当主並びに嫡子長門守

永蟄居の内儀(*4)、既にこれありと」

「いやはや、いったい誰がそのような」

「家老の首を差し出しながら、朝敵の赦免もなされぬまま、父子ともども江戸へ

出頭すべしとなれば、いかな風説も然るべきでは御座るまいか。当家において

斯様かような難険が突き付けられたなら、百姓(せん)民に至るまで武器を取り、一丸となって抗するは必定なり」

「それは徳政の篤いことだ」

 響いた声に、月卿は首を動かした。

上段の宗秀の隣で羅紗の陣羽を着た色黒の男が、与右衛門よえもんを睨めあげている。


新宮藩3万5千石家老、細井将監(しょうげん)八左衛門。

主家の新宮水野家は、征長総督に任じられた紀州中納言家の筆頭家老を兼務する。


「再征はあくまで勅諚に基づくもの。承服できぬというなら薩摩・佐賀にならい、早々に兵を引けば良ろしかろう」

無礼ではないか、と詰め寄る与右衛門よえもんの矢先、おもむろに将監しょうげんが立ち上がる。

しん、 とりついた沈黙が広間を流れた。

「酒が回りすぎたようだ。失礼する」

身構えた与右衛門を一瞥したあと、広間に後ろをむけて歩き去るその背中に、言葉をかけるものはなかった。



*1 吉備は美作・備前・備中・備後の4国の旧称で、現在の岡山県全域と広島県東部をさす

*2 ここでは「代理人」の意味

*3 内々の決定

*4 当時の長州藩主、毛利敬親(たかちか)のこと

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ