「そんなの簡単簡単_2」
血で汚れていた場所は怪我人がなんとかしてくれたようだし、制服も騒ぎがおさまってから買いかえればいい。自室にこもりたいのが本音だが、彼を一人ここに寝かせ野放しにする訳にもいかない。…暇だ。ため息を漏らし仰向けになる。視界に入ってきたのは、ソファからはみ出した彼の手。大きく骨ばって見える指先に腕を伸ばす。
「…っ」
触れる寸前私は手を下ろした。何しようとしてるんだ。警戒しているはずなのに頭とは別の行動をしたがる。何がしたいんだ。意味が分からない。ゴロンと何度目かの寝返りをうつ。結局そのまま時間は進み、部屋は暗くなった。体を起こし、電気を付ける。酷い立ちくらみに耐えながら中崎さんに目を向けると、眩しさに彼は唸り瞼を持ち上げた。
「何してる。」
朝の聞き方とは違う。鋭い目付きでもない。むしろ瞳が揺れている。私を敵視しているわけでは無いようだ。口を開こうにも今は体を支えるのが精一杯でその場から動けない。
「座れ。」
中崎さんは立ち上がり、私に近づく。肩と両膝に手がかけられ浮遊感が襲った。ゆっくりと彼が寝ていたソファに下ろされると、これが俗にいうお姫様抱っこかとぼーっとする。床とは異なり暖かい。ほらでた馬鹿な私。そんな事どうでもいいじゃない。怪我人に負担かけてどうするの。
「ただの立ちくらみです。」
だいぶ良くなり体制を整えると、大きな手が私の頭を撫でた。またか。触られるのが私は嫌いだ。両親にさえ物心ついた時から許したことがない。けれど彼が触れるとなると話が別になる。何故こうも安心するのか。こんな人間に…大人に逢ったのは初めてだ。
「そうか。ならいい。」
そう言うと彼は髪から手をどかした。そしてどうして分かったのか引き出しに入れて置いた拳銃を取りだし、部屋の出口へ向かおうとする。
「世話になった。」
は?こいつも馬鹿だった。どこに行くつもりだ。考えてみろ。ただでさえ他の人間とは異質な空気を放っている男だ。騒ぎがある今、外に出たらパトロールをしているであろう警察に職質されるぞ。
「待ちなって。捕まりますよ?」
私は拳銃を指差す。刃物や銃の所持は禁止。それを中崎さんが知らないとは思えない。着ているジャケットには赤黒い色がこべりついているし、本来着るはずのシャツにいたっては使い物にならないから着ていない。包帯が巻かれた逞しい体にジャケットを合わせている彼は誰がどう観ても危ない奴だ。
「捕まりたくないから発つんだが。」
当たり前だろうとでも言うように彼は私の目を見る。なんだその目は。つまりこういう事だろう。私が信じられない。ここにいるより外に出て遠くに行く方が捕まらない。こう言いたいんだろう。ふざけるな。
「貴方がどれだけ自分に自信あるのか知らないけれど、今出て行くのは賢くないよ。」
怖い。何がとは言え無いけれど、とにかく怖い。
「その怪我でもその格好でも害がない所にいた方が良い。そっちの方がよっぽど賢いでしょ。」
見下ろしてくる彼が私に手をあげないという確証はないのに。どうして私は…
「簡単な事じゃない。利用すれば良いんですよ。私を。子供なら尚更。利用しやすいでしょ?」
言ってしまった。背中を冷たい汗が伝う。上手く息が吸えない。この男が出て行こうが捕まろうが私には関係無いのに。ほっとけば良かったのに。ドクドクと全身が波打つ。それでも目をそらしてはいけない。苦しい。おかしくなりそうだ。
「…お前が俺の嫌う人種だったらそうしてたさ。」
中崎さんの私を見る目が変わる。はじめて向けられる種類の目に、恐怖が鎮まった。代わりに胸に温かさが押し寄せる。
「子供…な。この怪我が治るまでは言葉に甘えてやろう。」
そう言うと彼は私にフッと笑みを浮かべて見せた。
<続く>