ヤンデレ乙女ゲーの世界で普通に生きています(*物理)
高校生活が始まって早半年。いつも通りの普通な日々を送っていた私は、よく分からん状況に陥っていた。
「――ハハ、捕まえちゃった」
人気の少ない放課後の階段裏。
流れ落ちる滝を逆流させるかのように、勢い良く背筋を駆け上がる寒気を帯びた声が耳元から響く。私の身体の上にのしかかる男子生徒が発したものだ。
糸のように細い銀髪に美術品の如く整った顔、そして高背且つ均整のとれた体つき。おそらくは人類のみならずゴリラや熊を含めても1・2を争うレベルのイケメン、名前は確か……飛上何とかだった気がする。
今現在私は、そんなイケメンに腕を押さえつけられのしかかられるという女冥利に尽きる状況に置かれていたのだ。いやまぁ、多分そうなんじゃないかな。よく分からんけど。
「……あぁ。えっと、飛上くんでしたか。一体何を――」
「――やめてよ、そんな冷たい呼び方。心が張裂けそうになる」
――ギチリ、と。彼の名を口にした瞬間、私の手首にかかる圧力が増した。
まぁその程度で痛みを感じるようなヤワな肉体はしていないのだけれど、客観的に見て結構な力強さなのではなかろうか。少なくとも普通の女の子だったら顔を顰めるレベル、あんま感心しないな。
ともあれ。
「……と、言われましても。私と飛上くんに何か接点ありましたっけか。おんなじクラスだって事くらいしか無かった気がするけど」
そう、私と彼の関係は、精々すれ違った際に挨拶するとか休み時間に目が合うとか、それくらいの知り合いよりちょっと上程度の関係性だったはずだ。
会話も接触もロクに無く、断じてこのような色気のある展開に発展するものでは無かった――――そう伝えれば、彼は悲しさと苛立たしさをないまぜにした表情で唇の端を歪め、片手で私の顎先を撫でた。バラにも似た香りがふわりと漂い、鼻腔に張り付く。
「――悲しいなぁ、何でそんな事を言うんだ。僕はこんなにも君の事が好きなのに、愛しているのに……」
「…………ぅぉぉッ」
ゾワッと来た。嬉しさとか悦びとかそういう物ではなく、得体のしれない気持ち悪さに。
だってそうだろう、さっきも言ったが私と彼は友人にも満たない関係だった訳で。なのにこんな事をこんな体勢で言われれば、例えどんなイケメンからのものであろうと嫌悪が勝るというもの。
加えて、愛しているという言葉と突然連れ込まれたこの場の事も合わせ、私は事ここに至りようやっと彼の思惑を察した。いやさっさと気付けという話である。
「――君の存在が、心を閉ざしていた僕を救ったんだよ。好きなんだ、この世の誰よりも」
なんのこっちゃ、と思いつつ続く言葉を聞いてみれば詳細は至極単純なものだった。どうも彼は容姿のせいで女性に迫られる事が多く、半ばトラウマ染みたものがあったそうな。
しかしそんな中でこちらに全く興味を示さない私が目に付き――何やかんや。結果としてこれ以上ない程に惚れ込んでしまったとか。うーん。
「あぁ、いや。お気持ちは嬉しいのですが、そういうのは段階を踏んでからで……」
「――いやだね、もう我慢なんて出来ない。僕は君を何時も見ていたのに、君が僕を見ていないなんて耐えられない。見るようにさせるんだ、これからずっとね」
その「――」って付けなきゃ喋れないんすか。なんて言ってる場合ではなく。
いやこれイケメンが喋ってるから許される雰囲気出てるけど、普通に考えてストーカーの言葉じゃないすかね。うひょー。
耳朶を溶かすようなエロヴォイスを聞きつつそんな事をつらつら考えるけど、状況はかなり切羽を詰めている。手首を絞める力はさらに増し、ゆっくりと彼の顔が近づいてきた。
「――君は僕の傍に居る事が何よりの幸せになるんだ。今からその証を刻んであげる……!」
このままだと確実にキスの流れである。まぁ別に減るもんでもないのだが、こちらにも選り好みする権利はある。
幾ら好かれているとはいえ、正直彼はタイプではないので遠慮したい。そう思った私は拘束を解こうと腕に力を込め、筋肉を膨らませ――――
『Let's Do Battle!』
――胸中に轟くのは、そんな外国人男性の叫び声。そして視界の端に緑色のバーが伸び、タイマーが時を刻む光景を幻視した。
「――フフ、無駄だよ。君みたいな女の子が僕に――、!?」
「そりゃっ」
みっちん、と湿った音がして。私を抑えていた彼の指が大きく開き、手首が解放された。
その際彼の人差指と中指の角度が90°を越えてしまったような気がするけど、まぁ最初に手を出そうとしてきたのは向こうだから仕方ないね。
「な、く……ぉごッ!」
支えが失われ私に倒れこんできた飛上くんだったが、咄嗟にその胸へ膝を埋め込みそれを阻止。そのままスネに彼の腹から下を乗せ、バネのように上空に跳ね上げた。
彼は何が起こったのか分からないようで、切れ長の瞳がまん丸になっていて――全く、打ち甲斐のある表情をしてくれるじゃあないか。
「――せっ、やぁッ!」
「がっは!?」
そうして彼が天井に衝突する前に直ぐ様それを追って跳躍し、拳、爪、打と更に追撃を加える。
鼻血と共に綺羅びやかなエフェクトが散り、薄暗い闇を鮮烈に照らす。かち上げ膝から熊追三撃、私の生み出した私だけの美しいエアリアルコンボの始点である。
通常ならば総体力ゲージ二割程度の威力しか無く、撃ち落としから超必殺までの繋ぎなのだが――こと彼に関してはその限りではないようだ。一打ごとにガシガシ削れていく彼の体力ゲージに危機感を覚え、このままでは死んでしまうんじゃないかとコンボを中断。そのドタマに踵落としを決め、早めのフィニッシュを飾らせて頂いた。
「ぶげぇッ!?」顔面から墜落した飛上くんは床をぶち抜き車田落ち。情けない悲鳴を上げ、奇っ怪なオブジェとその姿を変える。
遅れて着地した私の足元には折れた前歯らしい白い欠片が転がっており、彼の顔面偏差値が著しく下がっただろう事が伺えた。やり過ぎたかなと一瞬思ったけど、婦女暴行未遂の代償としては相応のものなんじゃないかと思い直す。
え? 過剰防衛? 私馬鹿だから分かんねぇわ。
――『PERFECT!』
再び外国人男性の声が響き、視界に駐在していた体力ゲージとタイマーの幻覚が立ち消える。どうやら完全勝利したらしい。
2ラウンド目まで持たない飛上くんのか弱さに少しだけ失望し、彼の惨状をそのままに背を向けた。一応彼のゲージは2・3ドット分残しておいたし、死にはしないだろう。これまでの奴も死ななかったしね、うん。
「……いやはや、いつもの如く得る物の無い戦いであった」
私は溜息を吐きながら、付近に落ちていた鞄を拾い階段裏からヌルリとまろび出る。
放課後の学校――私立留木学園の二階廊下にはやはり人気は無く、私の起こしたバトルの観客も居ない。その事に安堵と残念さ両方を感じながら、私は軽い足取りで下駄箱まで歩き去るのであった。
――――申し遅れた。私の名前は一ノ瀬リコ、私立留木学園の一年生。
好きな物は塩鮭、嫌いなものは待ちガイル。一見すれば平均的な容姿と平均以下の学力を備えた平々凡々なるおバカ系少女であるが、その実幾つもの身の丈に合わない要素を持っている。
それは私が異世界からの転生者であるということであったり、先程の人並み外れた身体能力の事であったり。まぁ色々だ。
――しかし、その中でも一番強烈な存在感を放つ要素が一つある。
何でもこの世界は攻略対象が皆ヤンデレ?とか言う奴の乙女ゲーム「鳥籠の……」何だっけ。まぁ名前は忘れたけどそんな感じの世界であり、私はその主人公であると友人は言うのだ。
……信じますか? 私は信じていません。
否、ゲームの世界であると言う事だけは信じよう。しかしそのジャンルは乙女ゲームでは断じて無いと言わせて頂く。
――何故ならば、ここは格闘ゲームの世界であるのだ。
華の代わりに拳打が飛び、ハートの代わりに血潮が飛び散る。そんな血湧き肉躍るバトルワールドであると私は確信していたのである。
*
女神「ごっめ~ん☆ うっかりまつがって殺しちった☆ お詫びにゲームの主人公に転生させて曙☆」
転生前、自らを神と名乗るフワッフワした存在と交わした会話は、要約するとこんな感じだった気がする。
まぁ当時の私はトラックに跳ねられた余韻を引きずり放心状態だったためにイマイチうろ覚えなのだが、大筋は間違っていないんじゃないかな。多分。
ともあれそんな感じで良く分からないままに転生し、赤ん坊となった私だったが、最初は何の世界に生まれたのかよく分かっていなかった。
フワッフワは単にゲームとしか言っていなかったし、目に見える部分にはファンタジー要素は一切見受けられなかった。世界は正しく現代社会であり、ジャンルの特定などとてもじゃないが無理な話だった訳だ。
「こら精々都市経営シミュレーションですわ」早々に世界について見切りをつけた私は、気を取り直して第二の人生を謳歌する事にした。せっかくの機会だしね、楽しまなくては損であろう。
幸い両親はどちらも良い人であり、生活に不自由はしなかった。暖かな家族に囲まれ、近所や保育園の小さな友人達と遊び回る日々。それはとても幸せな時間で、高校生になった今でも色あせずに心へ焼き付いている。
……しかし、そんな幸せは5歳の時に終わりを告げた。両親が交通事故で死亡し、私は一人きりとなったのだ。
涙は出なかった。精神年齢の事もあったが、その後に引き取られた叔父夫妻の家が最悪すぎて泣いてる暇など無かったのである。
いやぁ酷かった。何が酷かったって、嫌がらせが。
彼らはおそらく両親の遺産だけが目当てだったのだろう。暴言、暴力と言った直接的な物から、食事を抜かれるといった陰湿なものまでそれは多岐に渡った。
私が私でなければ耐え切れずに家出をしていたかもしれない――というか、多分それを狙っていたのかもしれない。
一向に家を出ようとしない私に焦れたのか、叔父夫妻は酷い暴挙に出た。車で三時間以上かかる県端の山奥に私を捨て、そのまま走り去ったのである。いや酷い酷い。
右を見れば深い葉の群れ。左を見れば鬱蒼と生い茂る木々。前も後ろもそれに同じ。
当然子供だった私にはどうする事も出来ず、このまま第二の人生も閉幕かと失意に暮れた訳であるが――――その時、ふと女神の言葉を思い出した。即ち、私が某かのゲームの主人公だという戯言を。
――もしアレが嘘ではないとしたら。もしかしたら、これは主人公によくある「悲惨な過去」と言う奴ではないのか――?
「――――!」
……その事に気がついた瞬間、まるで未来が開けたかのような錯覚を受けた。
果たして私は何の主人公なのか。このような過酷な過去があるとすれば、それ相応の展開が待っているに違いない。だとすれば自ずと候補は決まってくる。
RPGか、格闘ゲームか、戦争ものか、はたまた異世界召喚ファンタジーか。少なくとも今の経験が礎になる類の、決して穏やかなものではないだろう――――と。
「!」
ガサリ、と。妙な高揚感と共に息が荒くする私の背後で、草が揺れる音を聞いた。
来た。おそらくこれはよくある後の師匠となるべき人物との出会いイベントだ。これを切っ掛けとして私は拾われ、養子となり弟子となり、某かの技術を学ぶ事になるに違いない。
突拍子もない考えと嗤うかもしれんが、それがお約束というものである。主人公補正と言い換えてもいい。
(どんな人なのだろう……!)
私は逸る心を抑え、これからの養父――或いは養母――となる人物の御尊顔を拝もうと勢い良く振り返った――――!
「がおー」
「うひょー」
――熊だった。
*
「そうして私は熊父さんの元でクマ式戦闘術を学び、」
「無理やりそのまま進めんなよバーカ! バーカ! バーーーーカ!!」
所変わって現代。学園の風紀委員会室。
例の飛……とびあがりくん?をフェイタルKOした件で呼び出されていた私は、風紀委員長である友人――同じ転生者仲間である野上優乃に罵声を浴びせられていた。
「バカとは酷い事を言うなぁ。親の顔を見てみたいだとか、どんな育ちをしたらこうなるのだとか、そういうのを聞きたがったのはそちらではないですか」
「その無駄に文学系の喋りをやめろ野生児の癖に! 何よ熊、熊て、熊……ああもう何でこんな奴が主人公なのよぅ……!!」
優乃は最後にそう吐き捨てると、頭を抱えて机に突っ伏す。思わずその頭を撫でたい衝動に駆られるが、それをやったら怒られる事は目に見えているのでグッと堪えた。
……さて、今の会話から分かるように「この世界は乙女ゲームの世界だ」などというトンチキを唱える友人とは彼女の事である。
その出会いは強烈なものであった。この学校に入学した当初、とびあがりくんの様に襲い掛かってきた男が居たのであるが――ソイツを完膚無きまでに熨した時に、彼女が『アンタ逆ハー築く気無いのっ!?』と怒鳴りこんできたのだ。
最初は何を言っているのか分からなかったのだが、どうやら優乃は私がその逆ハーとやらを目的としていたと思っていたようだった。
逆ハーとやらの事はよく知らないが、全く失礼な話である。私の目的は唯一つ、自身の武を高め、動物園の檻を砕き熊父さんを助け出す事のみであるのです。
私が人間に保護された際、仁王立ちのまま麻酔銃で撃たれた熊父さんの雄姿を思い出し涙を浮かべる私に、優乃はぐったりと脱力し『今までの気揉みは一体』と首を落とした。
どうも乙女ゲームの中では優乃は意地悪キャラとなっているらしく、もし主人公が転生者だった場合は色々と酷い事をされる可能性があったそうな。妄想逞しいお嬢さんである、ははは。
「笑うなッ!!」
ともあれ、彼女とはそれからよく一緒につるむようになった。風紀委員という立場上、私が誰かとバトルした後処理に嫌でも顔を突き合わせざるを得なかったのだ。
二年生で先輩、しかも有能という事もあり半ば後ろ盾のようにもなってくれる、私にとって頭が上がらない大切な存在である。
……それだけに、この世界が乙女ゲームだなんだと盲信している姿が痛ましくて堪らない。私としては何とかしてやりたいとは思うのだが、全くままならないものだ。ぐすん。
「さて、それで今回の処分は如何様になるのでしょうか」
「……まぁ、アレでしょ? 現状のイベントフラグを予想すれば……アレ、階段裏で何かされそうになったんでしょ?」
「はぁ、突然引きこまれキスされそうになりまして」
「んじゃま、一応正当防衛って事で学校には言っとくわね。ちょっとやり過ぎな気もしなくはないけど、タマ潰されてないんならどうとでもなるわ」
何がどうなるのだろうか。気にはなったが、聞いても理解できる気がしないので放っておく。
……しかし「イベントフラグ」か。
「……まだ乙女ゲームがあれこれと思っているのですか。相変わらず飽きませんね、そちらも」
「あのね、あんたがどう言おうとこの世界は乙女ゲームの世界なの。さっきの過去話が本当なら、さっさと叔父夫妻の家から逃げ出してれば今頃は攻略対象の一人と義兄妹になってたの! それが正史だったの!」
「ははは、またまたご冗談を」
何だかんだもっともらしい事を言っている気がするが、質の悪い妄想である。
「乙女ゲームって、恋愛ゲームでしょう? 優乃は知らないかもしれませんが、恋愛ゲームには熊に育てられるようなキテレツなイベントは起きないんですよ?」
「知っとるわバカ! あんたにだけは言われたかないわバカ! あんたが起こしたんだよバカ!」
「それにほら、私ってよく敵キャラに襲われるじゃないですか。私が強くなかったらきっと今まで生き残れなかっただろうし、やっぱり今の私が正規なんですよ」
そう、何故だかは知らないのだが、私はよく男に襲われる。
人間に保護された直後から今に至るまで、イケメンと呼ぶべき種類の男達の襲撃は数知れず。戦う術がなければ、今頃それはそれは不快な事になっていただろう。
「例えば最初の頃にはスタンガンを持った同級生に襲われました。肋骨全部折ってやりましたが」
「……雷紋行成。暴力系のヤンデレ幼馴染で、リコの人格形成に大きな影響を及ぼすキャラだったんだけどな……」
「例えば中学生の頃には孤立してリンチを受けそうになりました。返り討ちにして原因の男共々埋めましたが」
「……氷村圭一郎。中学校時代にリコを自分に依存させるために暗躍する鬼畜ヤンデレだったんだけどな……」
「ああ、あと少し前には保健室でみょーちきりんなクスリを飲まされた事もありましたっけ。すぐに気づいて吐瀉物をぶっかけてやりましたが」
「……木地村零士。保険医キャラでエロ……もういいや」
それ以外にも数々の敵と渡り合ってきたが、恋愛ゲームならばエンカウント自体しないはずであろう。
その戦闘システムもターン制ではなくリアルタイムの切った張ったである事だし、この世界は高確率で格闘ゲームの世界であるはずだ。私の来歴とかもほら、それっぽいし。
「いい加減認めましょうよ、ここは乙女ゲームではなく格闘ゲームの世界であるのですよ。ね」
「……あんたは、あんたって子は……」
「証拠として、最近体力ゲージが見えるようになったのです。加えてファイトの掛け声も、ね」
「それビョーキよビョーキ。頭のビョーキ」
優乃は全てを諦めた表情でひらひらと手を振り、手元の書類に視線を落とした。
ようやく分かってくれたのだろうか。そうであったら嬉しいけれど、まぁきっと違うだろう。
どうせその内にまた新しい敵キャラが出てきた際、同じような問答を繰り返す事になるに違いない。その時にこそ分かってくれると嬉しいな。
私はブツブツと何事かを呟く友人の姿に目を細め、ずずずと一口お茶を飲む。うむ、流石風紀委員会室ともいうべきか、高い茶の葉を使っているようで。
そのやわらかな苦味にほっと息を吐き――何となく、思った。
――――ああ、次の敵キャラはフルコンボ叩き込めるくらい頑丈だったらいいのになぁ。
……ぱきり、と。未来に待つ敵の影に指関節が疼き、乾いた音が会室内を木霊した。
「鳥籠の中の青」
出てくる攻略対象全てがヤンデレの乙ゲーらしいよ。あんまやりたくないね!
「叔父夫妻」
主人公が人間に保護された際色々喋ったおかげで服役してるらしいよ。