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第十二話 外の世界(2)

 果然、扉の向こうには駐車場のような硬質のアスファルトが広がっていた。空は鮮烈な夕焼けに染まり、地上は淡い斜陽に照らされていた。

 物憂げな薄暮だった。

「ここは……」

 眼前には四角い箱が横一列に設置してあった。立方体。白っぽい扉が取り付けてある。箱の外観はくすんだ緑色だ。

 遠くにはポツポツと民家が立ち並んでいる。後景には茜色の峰。

 僕はある予感がして、首を巡らせて振り返ってみた。

 そこにもやはり、箱。

 緑色の箱。

 妙に見覚えのある箱。

 やはり白っぽい扉が設けてあり、ドアノブの下部には当然、鍵穴があった。両面シリンダー。

 さぁーっと血の気が引いていく感覚があった。理解が進むにつれ、自分がいかに特異な状況に置かれていたか、はっきりとする。

「かっ、貸し倉庫なんだ。貸し倉庫っ! 僕が監禁されていたのは貸し倉庫の中だったんだ!」

 緑の箱――貸し倉庫の壁に背を預け、しばし茫然自失。想像のスケールを超える展開に、衝撃というか、度肝を抜かれたというか……とにかく、一休みしたい心境だった。

「あいつはっ、貸し倉庫の中にわざわざ防音室を自作して、二重の密室を演出したんだ! そうすることで外部からの音をシャットダウンできる。防音室の設置はそれにあった。しかも貸し倉庫の周辺なんてそうそう人が来るとは思えないし、貸し倉庫をレンタルし続ける限り、僕を監禁することができる……。はるかに手の込んだ犯行。自宅のスペースを使わない、合理的な計画――」

 慄然とした面持ちとなり、今にも腰が抜けそうになる。だって尋常じゃない。普通ならば思いついても実行はしない。でも、彼女は平然と実行して、僕を(とりこ)にしたんだ。

 一群をなす貸し倉庫の左側には道路があった。すぐ近くに自動販売機がある。そして周囲には丈の長い草が茂っていた。

 いまだに頭がズキズキする。

 放置せざるを得なかった右目は、とっくに腐っているだろう。穿孔性外傷などの眼部の外傷は迅速な処置が求められるのだ。刺突を受け、すでに二、三時間は経過している。もはや手遅れの公算が高い。治療を受けたところで、光は戻らない。

「だったらいっそ……」

 視線を草むらに転じる。

 草の丈は僕の腰ほどもあり、無秩序に繁茂している。野放図だ。貸し倉庫の管理人が草刈をサボっていたためだろうか。

 ちょうど人一人隠れられるほどの茂み……。

 僕はこみ上げてくる衝動に身を任せることにした。




 *




 さながら雌伏するイタチのようだった。

 息を潜め、気配を消す。自然と同調するんだ。虫の羽音、鳥のさえずり、車の律動……。地に手足をつけ、体勢を低くし、一度たりともまばたきはしない。

 茂みにまぎれ、敵を討つ。

 全身を貫徹しているのは、厳とした緊張感だった。ピンと張り詰めている。僕はいつでも立ち上がれるよう、手足にバネのイメージを投影した。

 僕は悲鳴を訴える体を休ませることよりも、病院に向かうことよりも、血にまみれていたり布地を切り取られた服を取り替えることよりもまず、彼女に逆襲することを優先させた。これはもう僕の意地みたいなもので、絶対にないがしろにすることはできない。当たり前とか常識とか、そういったものを一切合切ふりきった選択なんだ。僕はプライドが高い男らしく、たとえ女といえども、きっちり報復しとかないと気がすまないようだった。

 元来、こういったケンカじみたことに女の子を巻き込むのは性分ではない。男女差別はケンカだけに持ち込めばいいのだ。

 しかしながら、それ以上に我慢できないんだ。これは僕の誇りとか、生き方とかに関わる問題だった。

 やられっぱなしは鼻につくし、一方的というのも好きではない。

 そもそも僕は立ち向かうことを是としているのだ。

 仕掛けられたら、こちらからも仕掛けるというのが、僕のかけなしの信念なのだ。

 アドレナリンの分泌とドーパミンの開放。徐々に神経が高揚し、体が熱を帯びる。試合に臨む前のボクサーのような、いい感じの高ぶり方だ。体が小刻みに震えている。武者震い。全身の筋肉が、冬の鮮魚のように程よくしまっているのが分かる。

 太陽が西の空に沈みつつある。

 すえたような草木のにおいと黒ずんだ排気ガスの異臭。

 亀のように微動だにしない。

 頭の中は空っぽで、思考よりも五感が先行している感じだ。

 そして視覚が瞬時に彼女の出現を知らせた。

 彼女は緩めの白のカットソーに、ロールアップの施されたショートパンツ、編みこみのベルトサンダルとラフな格好だ。そして手にはお盆を携えており、食器の類もあった。おそらく彼女の自宅はここからそう遠くはないのだろう。自宅で一度調理してから、ここに運び込んでいるのだ。

 彼女はウキウキとした表情でポケットに手を突っ込んだ。おそらく鍵を取り出すつもりだろう。

 気が抜けている。

 そう看取する。

 彼女との距離は十メートルもない。

 この距離ならしとめれそうだ。

 などとはたから見ると誤解されそうな潜考をしている間に、彼女に変化があった。

 止まっている。

 まるで彫刻のようだった。鍵を取った体勢のまま、不気味に静止している。

 瞬間冷凍でもされて動けないのか?

 しかし、事態はそんな生ぬるいものではなかったらしい。

 僕が草むらを飛び出した瞬間、彼女は手に持っていた食器類をぶちまけた。豆腐ハンバーグが皿からこぼれ落ち、汚らしく地面に着地する。ほかにもガチャガチャと箸や食器がかち合う音がして、一気に騒がしくなった。

 彼女がポケットから取り出したものは鍵ではなく、ホールディングナイフだった。

 目が合う。

 体をねじって後方に目を向けた彼女と、視線ががっちり噛み合った。

 なぜ?

 僕は一つの疑問に囚われた。なぜ、僕がわかったのだろう?

 彼女がスナップを利かせてナイフを振ると、中から鋭利な刃が飛び出した。流れるような動作だった。それが僕に向けられる。

 一度走り出してしまえば、もう止まることはできない。走るしか道はない。

 走りながら、必死に思い巡らしてみる。

 ……どうやら僕は決定的なミスを犯してしまったらしい。

 答えは地面にあった。

 鉛色のアスファルト。

 そこにはヘンゼルとグレーテルを彷彿とさせるような、点々としたまだらがあった。そして、ヘンゼルとグレーテルとの違いは、それが白い小石ではなく、黒々とした血であることだった。

 それが僕の潜んでいた茂みにまでポツポツと続いている。

 僕の血か。

 思い当たるのは、頭部の出血。

 まだ凝血していなかったのか……。

 しかも僕は、あろう事かそれに気付かなかったのだ。蓄積された疲労と脱出の安堵感で気が回らなくなっていたのか。それとも、彼女に報復することばかり考えていて、"血"のことをすっかり失念していたのか。

 どちらにせよ、アスファルトの鉛色と黒ずんだ血の色とが似通っていて気付かなかった、という言い訳は通用しない。現に彼女は気づいていたのだから。

 僕もその程度の器か。

「でも、ここまでくれば……っ!」

 もはや後悔する暇も、落胆する暇もないんだ。ただ彼女を倒すことだけを念頭に入れるべきだ。

「なんで真純君がこんなところにいるの?」

 ナイフを手に持ったまま、彼女は素朴な疑問を口にした。

 緊迫した近状にはとうてい似合わない、間の抜けた語調だった。

「さぁね」

 僕の拳が振り下ろされるのは、すぐその後の出来事だった。


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